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萩尾望都のSFのタイトルがわからないのです。
こんにちは。 昔の萩尾都SF作品ですが、 主人公のせりふではないのですが、 死ぬことを体がエーテル化する変異だという意味のことを言っていたように覚えているのです。変異してエーテルとなって生きているのなら悲しくないなあと妙に心に残りました。最近父が亡くなり、もう一度このお話が読みたくていけません。けれど、うろ覚えでよくわからないのです。 成長過程で体が変異するお話はよく描かれているようなのですが、いろいろ探してみてもよくわかりません。これだけの情報しかなくて申し訳ないのですが もしお分かりでしたら教えていただけないでしょうか?お願いします。
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回答ではないのですが、萩尾望都のオリジナル作品では、そういう話はないのではないかという気がします。山岸涼子なら、だいぶ不気味ですが、そういう類の話はありますし、大島弓子だと、「四月怪談」とか、その他いろいろな短編で、死んだ人の霊が、姿を持って、活躍する話があります。 萩尾望都オリジナルでは、「ない」と思えるのは、彼女の「死」に関する考えが、かなり明瞭だからです。彼女の処女作に当たるのは、一応、「ポーの一族」のシリーズですが、あの話では、ヴァンパネラは、死ぬと共に「埃」に散ります。魂は消えます。シーラ夫人も埃に消えましたし、メリーベルも、そして多分、アランも埃に散ったはずです。 「トーマの心臓」の冒頭で、トーマの独白として、人は二度死ぬ、一度は肉体の死として、もう一度は、親しい人の記憶のなかで……というものがあったはずです。トーマはそして自殺します。 トーマが「なぜ自殺できた」のかということについて、わたしの知人は、キリスト教の影響を指摘しています。萩尾望都は、キリスト教的に人の生死を把握しているというのです。トーマの思考が成立するには、キリスト教の信仰が前提になり、だから、本来、トーマの自殺の意味は、非キリスト教の日本人には理解できないはずだというのです。 そこまでいえるのかどうか、わたしは確信がありませんが、萩尾の作品では、死からの復活は、「記憶の延長」という形を取っています。例えば、「銀の三角」の未来人たちは、記憶を、別の肉体に転写して、非常な長命を維持しています。 「マージナル」で、氷のなかに閉じ込められていた少年は、記憶のテレパシー共有で、アッシジの元に戻ろうとします。つまり、「記憶」が肉体の死の後に残るなら、別の肉体で、記憶が永続できるという考えになります。「海のアリア」の主人公(というか、生物楽器に生命を交代して、記憶だけが残った少年)は、彼自身としては、死んでしまっているのです。 「スターレッド」の終わり方は、銀河世界のかなたの星で、失われたレッドの意識が、胎児として少年のなかに、記憶が残されることにより、やがて成長して誕生することで、再びレッドになるという話で終わりますが、ここでも、生と死のあいだに、「記憶の意識」が介在します。 過去の人間が「記憶」において甦るというのは、彼女の作詞作曲かつ歌も歌っているアルバムLPのなかのもっとも長い曲である「ターコイズ・ブルー・アイ」の歌詞で、何千年ものときの経過の後、「わたし」は別の人間として生まれ、再び、あの瞳に出会った、というような内容になっていますが、この場合も、「記憶」の移動ともいうべき転生です。 可能性としては、作品ではなく、新書版の詩画集のシリーズがあって、そのなかの彼女の本の絵にそえられていたポエムのなかに、そういう言葉があるかも知れません。(本が見つかりませんので確認ができません)。しかし、それでも、「記憶」が主体ではなかったかとも思います。 あと、彼女のオリジナルでない、レイ・ブラッドベリの作品をコミック化した作品に、そういう言葉がある可能性がありますが、ブラッドベリだと、彼の作風そのものに、そういう発想がないようにも思えます。「百億の昼と千億の夜」もないと思います。 こう考えると、あとは、彼女の書いた短編小説ぐらいしか残りません。しかし、それは記憶にないのです。本になっていなかったはずです。誰かとの対談のなかで、そういうことを述べていた可能性はあるかも知れません。手塚治虫だと、「火の鳥」で宇宙生命が出てきますから、手塚氏との対談で、それに類したことを述べている可能性があります。 萩尾望都ではなく、大島弓子ではないかと思いますが、どうでしょうか。萩尾望都では、生と死の中間に「霊的存在」というものを考えている余地がないように思えるのです。「生-意識-記憶-無-死」ということになります。
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- katori
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27年来の萩尾望都ファンです。 つい最近、全集を全部読み返す機会があったのですが、 emaemaさんがおっしゃるような話は記憶にありません。 まだ全集に入っていない作品も、たぶん全部読んでいるはずですが、 やはり思い浮かばないのです。 萩尾望都作品であるという確かなら、何かもう少し片鱗だけでも情報がないでしょうか。 昔といっても何年ぐらい前に読んだものか、とか。 SFではないのですが、「アメリカンパイ」という作品は、 やはり愛する者の死がテーマになっています。 「俺には友達がたくさんいるけど、あちこちに散らばっている。 旅に出たまま6年も帰らないヤツもいるけど、 何年も会わなくても俺はヤツらを忘れない」 「私のことも旅に出たんだと思っていてくれる? 死んだと思わないで、忘れないで」 こんな会話がありました。
お礼
お返事ありがとうございます。そうなのですか・・私の勘違いなのかもしれません。ひょっとして違う作家なのかも・・・子どものときに見たので、はっきり覚えていないのです。情けないのですがそこしか覚えていないのです・・・ わたしも、最近萩尾作品をできる限り読んだのですが、見つかりませんでした。でもそのすばらしさに感動し、ファンになりました。アメリカンパイも読みました。死のテーマのものは身にしみます。 いろいろと ありがとうございました。
お礼
ご回答ありがとうございます。 なんか私の勘違いだったみたいですね。大島弓子もSFを描いていたのですか?思い込みでずっとこれまできていたようです。萩尾作品は大好きですが、ここまで深く読み込むことができませんでした。書いてくださったこと、とても勉強になりました。すばらしい内容に感動しました。本当にありがとうございました。大島弓子の線でもう一度探してみます。