• ベストアンサー

みずほでも第一勧銀?富士銀?

みずほ銀行は「第一勧銀」と「富士銀」が合併してできたと記憶しているのですが、当時としての力関係はどうだったのでしょう? また力関係でたとえば富士銀の社員が肩をたたかれるなどのようなことが少なからずあるのでしょうか? 個人で税金を納めたときに、近所の富士銀より、5分離れた第一勧銀のほうが流れ作業で手際がよく好印象だったのですが、 富士銀行の文化とはのんびり屋さんの社風だったのでしょうか? 興味本位の質問で申し訳ありませんが、社内にみずほ銀行の支店長経験者がおり、これが銀行マン?と思う人がいますので。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • dod1972
  • ベストアンサー率43% (2842/6576)
回答No.1

>当時としての力関係はどうだったのでしょう? 富士銀行・・・ ・有名なのは、富士をはじめとする芙蓉グループは、住友系を抜かそうとして無茶(銀行の無茶とは、不良債権になりそうな所でも積極的に融資)しまくって膨大な不良債権が発生し、半ば死に体 ・山一証券(富士銀行と密接な関係有り)がコケたりして、さらに死に体 第一勧業銀行・・・規模は、住友とか三和と比べると小規模だが、堅実にはやってたと思います。でも、第一勧業は、第一銀行と勧業銀行が合併して、そこでの派閥争いは厳しかったとは聞いてます。 みずほ銀行→本店は、元 第一勧業銀行の本店 存続銀行も第一勧業。 実質は、富士銀行は救済されたみたいなもんですけど、富士側には芙蓉財閥が付いてますから、力関係としたら微妙ですねえ。 >近所の富士銀より、5分離れた第一勧銀のほうが流れ作業で手際がよく好印象だったのですが、 窓口に座ってる人のスキルに極めて強く左右されるので、なんとも言えません。 第一勧業でも、ノロマさんいてますし。 >富士銀行の文化とはのんびり屋さんの社風だったのでしょうか? いや、それとは逆ww 富士銀行・・・ピリピリ体育会。住友に追いつけ追い越せ。規模だけは大きかった(が、それでコケた。) 第一勧業・・・おっとりのんびり(だから、規模がそんなに大きくない) >社内にみずほ銀行の支店長経験者がおり、これが銀行マン?と思う人がいますので。 銀行マンは、転職時に潰しが効かないのは有名です。銀行のスキルは、業界内では幅をきかせますが、他業種では役立たずの事が多いので。 でも、その元支店長、対銀行とかの折衝にはめちゃくちゃ役に立ちませんか?銀行マンも、元金融マン相手なら、無茶な要求はしませんから。 そういうのを活かせない部署ならば、少し配置を見直したほうが・・・

noname#117012
質問者

お礼

早速のお返事ありがとうございます。 芙蓉グループはもともとは富士銀だったのですか てっきり第一勧銀だと勘違いしてました たしか第一も勧銀もそもそも国立にちかい生い立ちの銀行ですからおっとりは第一勧銀なのかもしれませんね。 >窓口に座ってる人のスキルに極めて強く左右されるので、なんとも言えません。 というかシステマチックだったんです。4,5人が役割分担されていて席も手の届く範囲で12の3ハイといった合理的だったのがとても印象的で、逆に富士銀行やさくら銀行は動作も緩慢で1人でじっくりチェック、入金、お釣り、押印といった感じでした。 体育会系っぽい印象が強いのはUFJですかね。他がやらないサービスを率先して出してきておっと驚きました。ガンガン前を突き進めー的な。 確かに時折近所の信用金庫との折衝はしておりますが、実はバブル期にいいように使われ負債がまだほにゃらら億円の負債を抱えたままの法人です。 周囲の話ではバブル期に無茶な融資をして回収できない事態になり責任を取らされたたぐいじゃないかなーとの噂でして。やっぱり富士ということになりますでしょうかね。

その他の回答 (3)

  • zingaro
  • ベストアンサー率23% (177/760)
回答No.4

質問者さん、かなりお詳しいですね。 >体育会系っぽい印象が強いのはUFJ なんてぴったりですw。UFJというよりあれは旧三和銀行の流れではないでしょうか。あの銀行の人は年齢が違っても笑えるくらい行員の外見や雰囲気が似てました。 富士銀と第一勧銀の力関係は知りませんが、35年近く前に合併した後者はいまだにたすきがけ人事をしていると聞きますので、どちらで入社したかは銀行内部では一大事なのでしょうね。統合後の店舗統合のやり方を見ていても、客の都合どころか銀行の儲けも脇に置いて、つばぜりあいをしているようでした。(例えば、A駅の近くに富士、第一勧銀があり、B駅には富士がある。統合後、何故かB駅の方を閉鎖。A駅の両支店ともその後数年別々に存続。こんなことばっかりやってました) ただ、事務手続きは富士はスピーディだし、頼めば少しは無理がきいたので悪いイメージは全くなく、むしろ良いです、個人的には。むしろ第一勧銀は預金者が多くて、いつもATMで並んでいたので×。 興銀はホントにエリート意識が強かったですね。都銀なんて、という雰囲気ありありでした。大蔵省にも日銀にも行けなかったのの集まりなのに、どうしてあんなにえらそう?!、と不思議な程で既出の尾上縫事件には結構周りの人も笑ってました。

noname#117012
質問者

お礼

お返事ありがとうございます。 >質問者さん、かなりお詳しいですね。 いえいえ。社風というのはサービスや言葉遣い、融資相談の対応にでますよね。その印象で思っただけです。 >ただ、事務手続きは富士はスピーディだし、 >頼めば少しは無理がきいたので悪いイメージは全くなく、 >むしろ良いです、個人的には。むしろ第一勧銀は預金者が多くて、 >いつもATMで並んでいたので×。 店舗によって違うんですかね?ただ富士銀はいつもがらんとしていた印象がありますね。個人より企業など大手ばかりの大口顧客を重視しているのかな?という感じで知名度も低い感じでしたけど・・・。ちなみに横浜界隈と東京都下のお話です。 第一勧銀はATMは確かに並ばされましたね。あれにはうんざりでした。今でもですが。

  • mahopie
  • ベストアンサー率64% (563/872)
回答No.3

みずほ銀行は旧第一勧銀・富士・日本興業銀行の3行が統合してできた銀行です。(念の為) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%BF%E3%81%9A%E3%81%BB%E9%8A%80%E8%A1%8C%E3%81%AE%E5%90%88%E4%BD%B5%E5%87%A6%E7%90%86 持株会社のFGの社長が旧富士出身、傘下のみずほ銀行頭取が旧一監勧、大企業主体のみずほコーポレート銀行頭取が興銀と一応の棲み分けは出来ていますが、個人的名見解では旧富士の勢力図が大きいという印象です。(現前田社長が権力を掌握したと推測される) 旧興銀マン:選別意識のある超エリート(あくまでも本人の意識上)だが、頭取の国会尋問を招いた「尾上縫」事件(ネットで調べて下さい)以降地盤沈下、合併時点では長期信用銀行自体が存在意義を無くしていた。「海外留学→MBA取得→退社・外資転職」が内部の成功事例で、社内残留組のレベルは低位。また「リテール(個人・中小企業向け業務)なんてやってられるか」というのが企業文化。 旧第一勧銀マン:中位規模の第一と勧業の合併で規模が大きくなった銀行で、英語表記DKBから木偶の某(デクノボー)と称されトップ層から末端までの人材レベルが他行比低かったというのが通説。不正融資事件で当時のトップ層が一斉逮捕・自殺となり、みずほ合併時点での勢力争いで後手に回った様子。 旧富士銀マン:先の回答にあるように、バブル期に住友銀行を意識しすぎて高転び。社内での出世階段昇進層と一般層の区別が厳しく、出世層は仕事を知らない・しない、虐げられた一般行員には不祥事が多いとの業界評。質問にある人物は正に、旧富士銀マンです。 ちなみに一般銀行は51歳定年という世界です。大型店支店長・本部部長・執行役員といったポストにつけない人は40台後半から外部企業・関係会社へこぼれ落ちていきます。旧一勧人材も同じように出向・退社の憂き目に合っています。 逆の意味で、質問者の会社は高給の元銀行支店長の食い扶持を賄っている余力がある企業という評価なのかもしれません。ちなみに、銀行側は出生中の銀行員の年収が1200万円として、出向先の給与基準が800万円なら、800万円を出向先企業が負担、400万円を銀行が継続負担という形で人件費の負担軽減を図っています。

noname#117012
質問者

お礼

早速のお返事ありがとうございます。 みなさんのお返事はほんとうに面白いですね。デグノボー何て呼び名があったんですか。 >質問にある人物は正に、旧富士銀マンです。 そうですか。確かに不正スレスレしあすねー。 工事好きなのですがどうもキックバックを自分の懐にいれて独り占めしているような気がしますね。 常勤勤務の筈ですが不在な事も多いです。接待ゴルフかなにかでしょうか? 法人に入りたての頃は威張って挨拶してもふんぞり返っていたそうです。 >ちなみに、銀行側は出生中の銀行員の年収が1200万円として、 >出向先の給与基準が800万円なら、800万円を出向先企業が負担、 >400万円を銀行が継続負担という形で人件費の負担軽減を図っています。 目からウロコです。法人の職員をこの方法で出向させています。それもヨチヨチの新米をです。これはこの元支店長の入れ知恵ということのようですね。 貴重で楽しいお返事ありがとうございました。

  • keirimas
  • ベストアンサー率28% (1119/3993)
回答No.2

 第一勧業のほうが上だったはずです。社内での派閥争いのようなものはあったでしょう。  かつて東海銀行が三和と合併してUFJとなった際、東海の人たちは肩身の狭い思いをしたとか。そして今度は旧三和の人たちが、東京三菱との合併で三菱東京UFJとなったときは逆の思いをした、みたいな週刊誌記事が載っていました。ま、しょせん週刊誌のおうわさ話ですので、軽く聞き流してください。  みずほ銀の話ではありませんが、私個人的には旧さくら銀行と取引していたころは感じがよかったのに、住友系が入ってきたら、ちょっと変わってしまった、というようなことはありました。  みずほの場合も、地域によってはそんな感じもあることでしょう。客の主観にもよりますが。好き嫌いはあると思います。

noname#117012
質問者

お礼

早速のお返事ありがとうございます。第一勧業もそういえば第一と勧業銀行の合併でできた銀行でしたね。 かなり昔の話で派閥など解消されていると思ったのですがそうでもないんですね。社風や文化が違う会社を一つとしてやっていくのは大変なことですね。 合併すると無駄な事に労力を使って自滅する道をたどってしまいそうですね。

関連するQ&A