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日本人は変わった?
日本人は職人のように、一つの技能を高めることに秀でていて、現在での世界に通用する科学技術や、国際的地位にも深く関係していると思います。 そして独創的なもの(前例が無いもの)を生み出す能力は見劣りすると思ってました。 しかし任天堂の「Wii」をみて感じました。こんなに独創的なものをつくったのかと。 日本人は変わったのではないのでしょうか?少なくとも、変わらなければならないと感じてるのではないでしょうか? その理由や、反対意見、未来予想、なんでもいいのでお願いします。
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日本人は資本主義の社会に生きているのだから、みんな毎日前例のないものを作ろうと会社で頭を凝らしてるのではないでしょうか。ですから、独創的なものを生み出す能力はじょじょに進化していると思います。安直ですが。 話は変わりますが、何にもない所から新たなものが生まれるということはないと私は思います。 歌舞伎や能を、そのような捉え方されるのは、元も子もないのではないかと思います。 私は、新しいものは全て模倣、他者へのリスペクトから生まれると思います。全然知りませんがアメリカのポップカルチャーは、歌舞伎が生まれる過程と同じように、以前の文化の模倣を繰り返すことで生まれたのではないでしょうか。 Wiiのゲームの機能「体を動かして遊ぶ」というものは以前からいろいろありました。野球のバッドのオモチャで、実際に振って遊ぶというものを私は持っていました。 そのオモチャを作った方は、実際の野球の楽しさを知っているから、このようなオモチャを作ろうと思い立ったのではないでしょうか。つまり野球に対するリスペクトから生まれたのではないでしょうか。多少強引に思いますが、私は本当にそう考えます。 このような考え方をする故、私はwiiを独創的なものと評価するならば、他にも日本人はたくさんの評価できるものを生み出しているのではと思います。日本の科学技術のレベルの高さも十分評価できるものとして捉えても良いのではないかと思います。 私は#1さんの意見同様、日本人の能力は見劣りするようなものではないと思います。 それよりも私は、日本人は「日本の文化を大切にする」という能力の方が欠けているのではないかと思います。
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- kirara77
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初めまして。 日本人はと十羽一絡げに言ってしまうと何とも言えませんが、どの時代の日本人を指して言い、 それがどのレベルの日本人を言うのか、あるいはどの分野を指して言うのかにもよりますが。。。 必ずしも日本人は手先が器用であり、職人芸に達するまで鍛錬する辛抱強さはあるけど、 独創性には欠けると言うのは必ずしも当てはまらないと思いますよ。 文学で言えば『源氏物語』やその他の文学でも世界的に評価されていますし、芸術の世界でも 浮世絵や能、歌舞伎とかも日本人よりも寧ろ海外での評価の方が高いし、影響を与えていますよね。 科学技術についても、算術や建築技術、土木技術についても遜色の無いレベルに達していたと言われています。 勿論、それぞれの国の事情によってベースが違いますから、単純に比べられるものではありませんけど、 鎖国によってある意味で情報閉鎖されていた中で、独自に編み出してきたのですから、 日本人が特性として独創性が劣っているとは言えないのでは無いでしょうか? 寧ろ、明治の開国時に西洋文化を唯一の手本としたこと、その後の敗戦によって戦後教育のなかで、 欧米文化、科学技術を妄信したことが裏返しになって、そう言った見方が定着したのではと思いますが。 先々のことは判りませんけど、これからの日本人に求められるのはそんな価値観の一大転換が、 世界が抱える問題を解決していく上で必要となってくるかも知れませんよ。 『温故知新』は、これからますます重要なキーワードとなるかも知れませんね、 それが日本人が本来持っていた日本人らしい独創性を発揮する上で必要なことかも。。。
お礼
ご回答ありがとうございます。 独創的という言葉はあいまいなので「前例がないこと」だと定義したのですが。 それに私も「日本人は手先が器用であり、職人芸に達するまで鍛錬する辛抱強さ」だけだとはいっていません。 浮世絵や能、歌舞伎は前例のない文化だったでしょうか? アメリカのポップカルチャーが輸入され変容した日本のオタク文化のように、 中国の絵画や戯曲が変容したもの(模倣を繰り返すことでまったく別なものになった) と解釈しています。(かつて鎖国していた日本文化と、閉鎖的なオタク文化がともに欧米に“発見”されたという点でも酷似していませんか。) それは日本人の謙虚な姿勢、他者へのリスペクトが理由でしょう。 孔子がいう『温故知新』というのはすでにある文化を否定せず、発展させる為のものですよね。 よそからきたものを劣化させず変容させることは日本人らしい長所だと思いますが、 前例がないものをつくりだす意識があったといえるでしょうか? もちろんかつてのソニーやコムデギャルソンのように、例外はありますが。(古典文学は詳しくないのですが源氏物語もそうかもしれません。) 対照的に西洋の文化は、既にある文化、思想、原理を否定し続けて発展しました。 それは20世紀になってからはさらに顕著です。 以上を踏まえた上で、西洋のように既にあるものを否定し、前例のないものを作る力が日本にも備わってきたと感じるのですが、、 あと欧米の影響を受ける以前、科学技術で日本は確実に劣っていたと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 “独創的なものを生み出す能力はじょじょに進化している”とお考えのようですので、根本的な意見は一致していますね。 そしてWiiの独創性についての反対意見は、おっしゃるとおりかもしれません。勉強不足でした。 私も日本の伝統文化は幼い頃から触れていますし、この世で最も愛着のある文化です。もちろん日本人、日本の文化が劣っているとは考えていません。 日本の伝統文化には仏教や神道にもみられる、東洋の“あるがままを受け入れる精神”が受け継がれていると感じます。 しかしそれは創造的でしょうか。そしてグローバルな資本主義の世界で生き残っていけるような精神でしょうか。 対してアメリカは20世紀、科学技術で未曾有の技術革新を繰り返し、大衆文化(ポップカルチャー)においても世界をリードし続けました。 その躍進には、西洋の神学や哲学、科学の系譜である“真理を追究する精神”が影響していると考えています。 私が質問で書いたのは、現代の日本は“あるがままを受け入れる精神”を土台にして、“真理を追究する精神”を輸入する過渡期にあるということです。 世界で勝ち残るために、それは自国の文化の保全よりも優先すべき事柄ではないでしょうか。