わたしはクジ、とりわけおみくじで大吉を引くのが得意です。確率でいくと35回ひいて31回ぐらいが大吉で、残りが中吉2、吉2 ぐらいです。おみくじの箱の中に手をつっこんで「どれにしようかなぁ」って考えていると(ほんの1、2秒)突然無になる瞬間があって、指もピタッとくる瞬間があって「絶対これを引こう」と強く思うので引き上げると、ほとんど大吉です。
不思議な確率かもしれませんが、もう私の中では何十年と大吉を引くのが当たり前なので、いちいち弱気になったり強気になったりはしません。恵まれます、あるいは恵まれていますという文章があれば、「今までも恵まれていたんだな。自分が感謝してなかっただけだ。」とあらためて感謝するだけです。何か気になることが書いてあれば、「それを気をつけなさいということか。指針ができてありがたかったな。」とやはり拝んで帰ります。
私は占いも、結果によらず有り難いもんだなと思うんですね。ある種のアドバイスがいただけたってことですよね。そのもの自体に腹を立てたり、悔しがったり、有頂天になるって、どっか見当違いだと思えてなりません。
OKWAVEでも多数回答をしているので色んな反応を頂くのに慣れていますが、例えば「こういう状況ではこういう風に思うとこうなると言われています。もしも質問者様がそういうタイプであるならば…」という書き方をよくしますが、ある時「断定はしていなくてもまるで私がそうだと言わんばかりだ」という反応を頂いたことがあります。
人の心って面白いもので、外からくる言葉でも、その人の心の中に無いものの場合は、よくも悪くも心を動かされず、その人の心の中にある場合のみ反応が起こると言われています。私は占いも人の言葉もある程度気にしますが、それは「外部の人の言った事を信じる」からではなくて、自分を信頼しているからです。人は他人に嘘はつけても、自分を裏切るのは難しいし不可能なことだと思います。ですから外からの言葉は、自分が自分に問い掛けるときの貴重なネタなんです。
例えば病気に気をつけろとか、周囲の人に感謝をと書かれていたら、自分の心に「ぶっちゃけのところどうなのか」を問い掛けます。自分の運は自分以外の誰にもよくすることはできませんし、自分自身の存在についても同じです。ですからどんなメッセージも、メッセージ自体に飲み込まれるためのものではなく、その人がどう生かすか、、、つまり、考える力や自分に問いかけて自分をリフレッシュする力の無い人にはおみくじも占いも意味がないのではと思います。豚に真珠といいますか。
前に戻りますが、アドバイスなどというものは、その内容が見当違いだったとかで腹を立てる種のものではないんですね。そしてむしろ、内容に影響されてしまう場合は、得てして「アドバイス内容が、その人の弱みと一致したから痛い=つまり的を得ている、得すぎている」ことがほとんどです。その人のことはその人以上にわかる人、責任を持てる人はいないのだから、当たったら自分でそれを活かせばよいし、外れても相手を恨むことこそ見当違いです。
おみくじもそんなもんだと思いますよ。私は多分40本以上は大吉を引いてます。「山と詰まれた財宝があなたの家の門をくぐり」とか「あらゆる名声がふりかかり」と有り難い文章も沢山読みましたけれど、宝くじも旅行も当たっていません。けれど大吉の文章も有り難く頂いたし、忠告も(気にして眠れなくなったりはしませんが)自分に問い掛けるキッカケとして充分活かさせてもらいました。
大吉を当たり前のようにたくさん引いたことからそういう事を考えるようになったのかわかりませんが、占いやおみくじもそういう大きな「有り難いこと」として受け取れるような人間になったことが、個人的には一番の大吉かなあと振り返っています。
お礼
僕の場合待ち人・・・あらわれず・・・でした すごくへこみます 今年は誰にもアタックしないでしかもあらわれないし異性じゃなく何か他のことを一生懸命打ち込もうとおもいました それにしても・・・あらわれず・・・へこみますよ