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岐阜県の東濃地方(多治見や可児など)にたくさんのニュータウンが建設されていますが

開発主体はどの組織ですか? そして、いつごろの年代にどういう経緯で、なぜあんなにたくさん開発されたのでしょうか。

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  • ryu1995
  • ベストアンサー率52% (193/369)
回答No.2

#1さんのおっしゃるように、主体となる企業はありません。 宅地造成したのは1980年頃で、10年以上かけて分譲していきました。 (多治見)ホワイトタウン → 地上社 1981年から分譲開始 2360世帯 http://www.wendy-net.com/nw/news&view/danchi41.html (多治見)市之倉ハイランド → 内田橋住宅 1982年から分譲開始 1200戸 http://www.uhouse.co.jp/ichinokura/index.html 開発の経緯と理由は 1.開発できる土地がたくさんあった。 2.愛知県内で一戸建てを買うより安い。 3.名古屋駅までJR中央線で30分で、それほど不便ではない。 だと思います。 多治見市の場合、春日井市にある「高蔵寺ニュータウン」(公団)から一戸建てを求めて引っ越してきた人が多かったです。 同じ中央線沿線が理由だと思います。

eshiro_m
質問者

お礼

ありがとうございました。

eshiro_m
質問者

補足

私の以前のIDで出した質問を見ていただいてのご回答でしょうか。 (不慣れだったので質問だけ残すという失態を犯してしまいましたが) ピンポイントで答えていただき感謝します。 なるほど。高蔵寺ニュータウン計画にその開発経緯の一端があったんですね。たしかに、一戸建てがほしくなった人たちにとって、まとまった土地が同じ沿線上にあったら、金銭的に余裕がある方にとって魅力的に見えるでしょうね。 しかし、両町とも結構な戸数があるんですね。 でも、高齢化の問題など、確かにニュータウンにとって死活問題になりかねないですね。 そういう意味では、先の先までは見越した計画でなかったのでしょうかね。人工的な都市を計画するには日常生活、世代交代、そしてその先まで見通した計画を立てる必要があるんですね。考えただけでも途方もない計画性が求められそうで・・・。 大変勉強になりました。 ご回答ありがとうございました。

その他の回答 (1)

  • nitto3
  • ベストアンサー率21% (2656/12205)
回答No.1

主体となるような企業はなかったんじゃないかな、 だから皆が勝手な思い込みで開発していったんでしょうね。 主な計画はバブル前で実際に開発が進んだのはバブルに時でしょう。 その後セラミックパークなど工業団地は今も進んでいます。

eshiro_m
質問者

お礼

返事はこちらに書くんですね・・・。 不慣れなもので。

eshiro_m
質問者

補足

なるほど。バブル期の人々の様々な思いが開発の原動力となったということですね。 調べてみれば、本当にたくさんの工業団地が造成されていますねえ。 セラミックパーク、一度行ってみようと思います。 ご回答ありがとうございました。

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