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*古事記について*
古事記(もしくは日本書紀)において、加具土を産んで黄泉の国に下った伊邪那美は黄泉戸契を済ましていましたが、伊邪那岐が禁を犯さなければ、一緒に帰る事が出来たのでしょうか?推察でも構いませんので、是非お聞かせ下さい。 また「死んだ恋人を生き返らせようとする。禁を破り、永遠の別れを迎える。」というのは多くの寓話に見られる元型のようです。 オルペウスとエウディリュケーのように、似ているお話をご存知の方、教えてください。
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#3です。 丁寧なお礼ありがとうございます。 たまにこのような熱心なお礼を頂くと回答者冥利(?)に尽きます。 こちらのご質問を拝見したのはタイミング的に偶然の要素が大きかったのですが、回答させて頂いて良かったです・・なんてちょっと偉そうですよね(笑) >食べた石榴の粒の数には諸説あるのでしょうか? どちらにしても明確な数は後付けの解釈でしょう。 神話はそこまで言及していません。 後世の人々が「冥界のものを口にしたにも拘らず限定的に戻ることが叶った」ということから「ということは口にしたのはその一部だったということではないのか」という風に考えられたのだと思います。 ペルセポネが冥界に住まねばならない期間は「一年の三分の一」という伝承が最もよく知られていますが「半年」と伝えるものもあります。 つまり「三分の一」であれば石榴を三分の一、「半年」であれば二分の一それぞれ口にしたと解釈しているという訳でしょう。 >言い方が嫌味っぽくてすいません; いえいえ、素直に有難いお言葉頂戴致しましたよ(笑) まあ褒めて頂けるほど詳しいと言えるのかわかりませんが、好きなことは確かですね。 「好きこそものの上手なれ」というやつ・・だと良いのですが。 >神話の世界では、ごく自然に近親婚が行われていて、時々ぎょっとします; 神々の物語と言ってもやはりそこは古代の人々の感覚が投影されています。 古代には特に「腹違い」であれば「近親婚」とは見なされないというように考えられていることがままありました。 日本などでもそうですね。 高貴な人ほどその血筋を守らねばなりませんから、自然と遠からぬところと夫婦になるようなことは多かったのです。 >大蛇の化身を妻に持った男がその力を借りて裕福になったにもかかわらず、妻の本性を暴いて、別離する事になっていました。なんだか可哀想ですね。 まだお若いので純粋に「可哀想」と思われるのも無理はありませんが、例え深い愛情で結ばれていたとしても相手が自分とは違う「人間以外のもの」であることを知った時に、一体どれほどの人がそのまま関係を続けていくことが出来るものか、これは中々フィクションのようにはいかないものでしょう。 人間同士ですら何らかの「隠し事」の為にその関係が一瞬にして崩壊してしまうようなことは掃いて捨てるほど世の中にある訳です。 逆にそうではない事例は希少であるからこそ「美談」として語られるとも言えます。 まあ若い方には何か「夢のない話」のように思えてしまうかもしれませんね・・余談が過ぎました。 >面白い資料や文献など、お教えいただけると幸いです。 う~ん、私如きで良ければ何でもお教えするのですが、人に本などをすすめたりするのは中々難しいんですよね。 一見同じようなことに興味を持っているようでも、同じものを同じように「面白い」と感じるかはまた別ですし・・。 それに質問者さんは入門書のようなものをすすめられも満足はされないような感じが致しますし・・(笑) お話を伺っていて思ったのは「神話」そのものも勿論面白い話がゴロゴロ転がっている訳なのですが、質問者さんには「民俗学」や「比較神話学」のような分野なども向いているのではないかと言うことです。 そこで・・と思ったのですが、以前目を通したものを何かにきちんと整理しているような訳でもないので、すぐには明確にお知らせすることが出来そうもありません(一応すぐ出来そうなことはやってみたりもしたのですが)。 ただ比較神話学のほうでは吉田敦彦の「比較神話学の試み」というシリーズや「比較神話学の鳥瞰図」などを覗いて見られると良いのではないかと思います。 ですが何分この手の本は価格が高かったり数が出回っていなかったりと、そこら辺にゴロゴロしている訳ではないので機会があったらという感じになってしまうかもしれません(大きめの図書館であれば置いてくれている可能性もありますが)。 まあ今はネットなどでも色々な情報が得られる時代ですから、その手の話に触れることも難しくはないのかもしれませんが、「誰でも多数の人々に向かって手軽に情報を開示出来る」ネットの情報は玉石混交ですからね(堂々と適当な情報が流されていることもしばしばですし)。 その辺の兼ね合いも中々難しいところではあります。 だからこそ有益なものを色々具体的にご紹介出来れば良いのですが・・本当に申し訳ありません。 そのお詫びという訳でもありませんが、記憶を辿っていた時に出てきたお話が一つあったので前回同様お求めのタイプのものとは少々異なるのですが、ご興味があればと思い簡単に触れさせて頂こうかなと思います。 ケルトの神話は北欧神話ほどではないにしろ、最近は多少注目されるようになっておりまして、そんなケルト神話の伝承の一つです。 エリン島(アイルランド)のフィアナ騎士団の惣領フィンの息子オシアンはある狩りの途中「ティル・ナ・ノグ(「常若の国」などとも訳される西の海の彼方の異境の地)」の姫ニァヴと出会います。 「オシアンと結婚するためにやってきた」というその美しい姫に一目で心奪われたオシアンは姫と誓約(ケルト世界では非常に重要な「ゲッシュ」と言われるもの)を結ぶと、父達の嘆きをよそに白馬に乗って海上や天空までもを駆け抜けてティル・ナ・ノグへ辿り着き姫と結婚して夢のような日々を送ります。 そうしてあっという間に三年が過ぎました。 ふと父や仲間達に会いたいと郷愁の念に駆られたオシアンは悲しむ姫に「必ず戻る」と約束し、それに応じた姫は「もう故郷に戻っても父も仲間もとうの昔に死んでしまっているだろうが、それでも行くというのであれば決して白馬から降りることのないように」と告げます。 オシアンは意気揚々と故郷に帰りますが、どこにも昔の面影はなく聞けば三年と思っていたのは三百年の月日であったとのこと。 悲しみに打ちひしがれるオシアンがせめてもと昔の景色を求めて彷徨っていると、小さな人々が懸命に大きな板石を動かしているところに出くわします。 それを手伝おうと思って馬上から身を屈めるとした時、鐙が切れてオシアンは落馬し「決して馬から降りることがないように」という約束を違えてしまった為に、忽ち皺だらけの老人になり馬は走り去ってしまったということです。 この伝承は異境から帰還する際に故郷の様子が明確に語られていることや「戻ってくる」という意志を示していること、故意に約束を違えた訳ではないというところなどが異なっていますが、西洋では最も「浦島太郎」に類似したものなのではないかと思います。 ご存知の話でしたらすみません。
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- mapato
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こんにちは。 黄泉の国へやってきたイザナギに対しイザナミは「もうこちらの食べ物を口にしてしまったので帰ることは叶わない」と言っています。 そう言われても「どうしても」と引き下がらないイザナギに応えて「では黄泉の国の神々にお伺いを立ててみる」と言う訳ですが、イザナミはそうすれば何とかなると思っていたのか、それとも無理なことは承知の上でイザナギの要求をかわす為にそのように言ったのか、二通りの解釈が可能であると思います。 個人的にはペルセポネとハデスの神話をはじめとする多くの伝承が物語ってもいるように、冥界などの「異界」のものを一度口にしてしまうとその地の住人になるしかない、もしくは戻れたとしても何らかのペナルティを負う(期間が限定されるなど)ことになると考えられていたように思います。 ペルセポネもデメテルの必死の嘆願にも拘らず一年のうち三分の一を冥界で過ごさねばならなくなりましたし、イザナミの場合も例えイザナギが約束を違えなかったとしても以前と同じように地上や天界で暮らすことは出来なかったのではないでしょうか。 エウリュディケの場合はオルペウスの類稀なる楽才の前にハデスさえも好意的な態度を示したということも大きいのですが、恐らくまだ冥界の食べ物を口にしていなかった為に戻ることが出来るチャンスを与えられたのだと思います。 しかしペルセポネの場合も元々誘拐の仕掛け人でもあるゼウスの意向が大きく働いており、張本人である冥王ハデスの許可がおりる筈もないのであのようなかたちになりましたが、冥界の支配者が許しさえすれば条件付で蘇ることは可能であると考えられていたようにも思います。 またオルペウスの話の最も古い伝承では彼は決して「振り向いて確認したい」という誘惑に負けることなく試練を乗り越えたと言われます。 その後ウェルギリウスやオウィディウスの物語ではこれが約束を違えた為に起こった「悲劇」となった訳ですが、これは物語性を追求した古代作家達によって変えられたストーリーであるのかもしれませんね。 >オルペウスとエウディリュケーのように、似ているお話をご存知の方、教えてください。 沢山あるように思うのですが、最近情けないことに頭の回転がひどく鈍くなっているようで中々出てきません。 ぱっと思いついたのはヘリオポリス神話のオシリスとイシスの話くらいです。 既知の話かもしれませんが、イシスは殺されてエジプト中にばら撒かれた夫オシリスの遺体を苦労して掻き集め、遂には復活させることが叶うものの、遺体の一部が既にナイルの鰐に食われてしまっていた為にオシリスは結局冥界へと去っていかねばなりませんでした。 これはイシスが何か約束を違えた為の罰ではないのでお探しのものとは違うかもしませんね。 すみません。 ウガヤフキアエズを生んだトヨタマヒメの話に代表される「異類婚姻譚」においては、その殆どが「約束を違えて異類である相手の正体を知ってしまう」ということによってその関係は破綻しています。 結局は「異類」や「異界のもの(冥界の住人となってしまった死者を含めて)」とは短期間幸福な生活を送ることは可能だとしても、遠からぬうちに別離が訪れるのが必然であると昔の人々は考えており、その理由づけとして「約束を違えてしまう」というきっかけを与えているだけに過ぎないようにも思います。
お礼
ご回答ありがとうございます♪ 様々な例をあげて説明してくださって、非常に勉強になります。 >ペルセポネもデメテルの必死の嘆願にも拘らず~ そういえば、ペルセポネも黄泉戸契のようなシーンがありますね! 食べた石榴の粒の数には諸説あるのでしょうか?ある文献には二分の一、ある文献には三分の一と書いてありました。どちらなんでしょうね?(^^;) >またオルペウスの話の最も古い伝承では~ そうなんですか!まだまだ努力が足りませんね。未熟ですので、回答者様のような方にアドバイスをいただけると本当に勉強になります。ありがとうございます。(言い方が嫌味っぽくてすいません; >イシスは殺されてエジプト中にばら撒かれた夫オシリスの遺体を苦労して掻き集め~ すいません。本筋とずれるのですが、イシスは、オシリスの妻だったんですね!これまた知りませんでした。発見、発見の連続です(^^;) 神話の世界では、ごく自然に近親婚が行われていて、時々ぎょっとします; >これはイシスが何か約束を違えた為の罰ではないのでお探しのものとは違うかもしませんね。 いえいえ!お知恵を分けてくださって、幸いです♪ >ウガヤフキアエズを生んだトヨタマヒメの話に代表される「異類婚姻譚」においては~ これは読んだことがありませんでした!下記の通り、資料の情報をいただけると、本当に助かります。探してみますね。 >結局は「異類」や「異界のもの(冥界の住人となってしまった死者を含めて)」とは~ これは非常に頷けますね。神話やあらゆる伝承に言える事です。 高校生なのでよく漢文を読むのですが、漢文においてすら、大蛇の化身を妻に持った男がその力を借りて裕福になったにもかかわらず、妻の本性を暴いて、別離する事になっていました。なんだか可哀想ですね。 非常に恐縮なのですが、拝見いたしましたところ、伝承の部類に大変お詳しそうなので、もしよろしかったら、面白い資料や文献など、お教えいただけると幸いです。m(__)m 参考になりました♪ありがとうございます。
- mako_sea
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私も戒め話だと思います。 約束を守らぬと痛い目を見るのだよという。 聖書ではソドムとゴモラの滅亡でのロトに近いものがあり、 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%88_(%E8%81%96%E6%9B%B8) そう考えると鶴の恩返しとか、雪女の伝説とかも似ていますね。 (どれも「見てはいけない」「話してはいけない」と・・・) ここからは妄想ですが たぶんイザナギは禁を破らなかったとして、 イザナミと同じ亡者とされ現世に帰ることはできないと思います。 でもイザナミと寄り添うことはできるよ、的な。 イザナミを従えた悪鬼のたくらみとしてはそんなとこではないでしょうか。
お礼
ご回答ありがとうございます♪また、お礼が送れまして申し訳ございません。 >聖書ではソドムとゴモラの滅亡でのロトに近いものがあり、~ これは知りませんでした!あとでじっくり調べて見ますね! 伝承や伝説に興味があるので、こういった資料の情報を頂けると嬉しいです。 >ここからは妄想ですが~ やっぱり、帰る事は出来そうにないですよね。私も同じ考えです。 結局、一度死した者と邂逅することは決してできないと言うお話なのかもしれません。 参考になりました♪ありがとうございます。
結果を見通されていたのではないでしょうか。 芥川龍之介の蜘蛛の糸でも、主人公のカンダタが他の罪人を励まし、一緒に極楽に上ってきたら、極楽は地獄の亡者で埋まってしまいます。 お釈迦様はカンタダが自分だけ助かろうとするという予想の元に蜘蛛の糸を垂れたのではないかな。 神話ですからどうとでも考えられますけど、伊邪那岐も禁を犯すという予想の元に一緒に帰るという期待を抱かせたのだと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます♪ 蜘蛛の糸も似ていますね!回答者様のおっしゃることは非常に深くて、様々な事を考えさせられます。青髭や鶴の恩返し、雪女、その他諸々の童話なんかを見ていても、必ず誰かが禁忌を犯してしまうんですよね。 そのどれもが、皆『結果を見通していた』のだと考えると、なるほど合点のいくところが多いです。 伊邪那美と伊邪那岐のお話も、そういった人(神ですが^^;)の性が色濃く出ていますよね。 とはいえ、伊邪那美は伊邪那岐と同様期待を抱いていたのでしょう。 だからこそ、予想通りになったのが悲しくて、黄泉醜女に追いかけさせたのかもしれませんね。 参考になりました。ありがとうございます♪
お礼
再びご回答ありがとうございます♪ こちらこそ、ニ度にわたる丁寧なご回答感謝いたします。 実は、回答されなくても仕方ないかな...なんて思っておりましたので、非常に嬉しいです。 >「好きこそものの上手なれ」というやつ・・だと良いのですが。 良いお言葉です。私も、回答者様のようになれますよう精進したいと思います。(^^; すいません、すべての話題にお返事させていただきたいのですが、超長文になってしまいますので、少々割愛させていただきますね; >質問者さんには「民俗学」や「比較神話学」のような分野なども向いているのではないかと言うことです そうなんです!今非常に民俗学、神話学に興味が合って、大学で専攻しようかと考えているくらいです。 >そこで・・と思ったのですが、~ お手数おかけいたします。ご厚意感謝いたします。(>-<) >ただ比較神話学のほうでは吉田敦彦の「比較神話学の試み」というシリーズ~ 以前目をつけていたのですが、なかなかレアな古書のようで断念してしまいました(;-;) ますます興味を持ちました。図書館回って探します!! おっしゃる通り、ネットでもたくさんの情報が得られますので、便利と言えば便利なのですが、どうも情報社会特有の要点重視(所謂「深み」の欠落)が垣間見えて、満足できないんですよね;やっぱり分厚かろうとなんだろうと本が好きです。 >ケルトの神話は北欧神話ほどではないにしろ~ ちょうどケルトの妖精民話に興味を持っているところでした。 本当に良いタイミングで、驚くばかりです。(^^; >エリン島(アイルランド)のフィアナ騎士団の惣領フィンの息子オシアンは~ これは全く聴いた事がありませんでした。幼い頃、浦島太郎を初めて聞いた時と同様のやりきれなさを感じました。(^^; 他の神話とはまた雰囲気が違って面白いですね。まだケルト神話には興味を持った段階ですので、知らないことだらけです! 知的好奇心を刺激するご回答本当にありがとうございました。 これを足がかりにもっと勉強しようと思います。
補足
締め切り、遅れまして申し訳ありません。(>-<;)