社会の中で犯罪を犯した人は犯罪者となるわけですが。
その犯罪の重さを判断するのは、あくまで裁判官であり、社会的にみたときの意見として検察が、犯罪を犯した方の意見として弁護士がその犯罪がどういうものであったかを語ります。裁判官が判決を下すための多くの材料の一つでしょう。
社会的に見たときに、例えば自分が被害者の立場だったらと考えると、やはり山口母子殺人事件の場合極刑を望む事件に当てはまると思います。
犯罪者本人と接していないのでどういう人物かはわかりませんが、自分が知りうる情報の中では、更正の可能性はなさそうですし、更正してどうやって罪を償っていくのだろうか?とも思います。
それをカタルシスを得るためといたら、そういう部分もあるとは思います。
被害者と何の関係も無い一般人が犯人の死刑を求める心理というのは、ある意味、見せしめのため(そういう犯罪を起こさぬように、おこしたらどうなるか。)また、それをすることで身を守るため(再び同じような事件が起きなければいい。)という部分もあるように思います。
私の中では基本、罪を憎んで人を憎まずです。
見せしめのために命まで奪っていいのか?!という議論になると、それはまた別の角度からモノをみたお話になります。
罰としての死刑はあっても仕方がないと私的には思います。
現実命を奪われている人間がいるとしたならば。奪われている人間の気持ちも考えるべきだと。
それだけのことをしていると、判断に足りうる罪を犯している人ならば。
でも、最終的には被害者とは何の関係も無い一般人が、事件を深く知り被害者の立場、加害者の立場をみて、その罪の重さを判断する。
それが裁判官であると思います。
うまくいえませんが、ケースバイケースだと思います。
お礼
ありがとうございました!