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高潔な日本を取り戻すのに何が必要か? 何をすべきか?
昔の日本人の文章を見ると、いかに志が高く高潔であったかに、日本人である自分自身が驚いていたりします。 勿論、昔の日本を全賛美する訳ではなく、そうでない人間も多々見られますが、 現代の日本に置いてはそうした人間が少なくなってきているのかな、 という印象を拭い切れません。 現在の日本人にはある程度その精神を残しつつも、戦前のそうした気概が徐々に衰退しつつあると考えているのですが、 今後、日本に戦前の高潔な精神を取り戻すのにはどうすれば良いか、漠然とした不安のみが残るのみで具体的な回答を得るまでには至っておりません。 皆様のお考えで良い意見等ありましたら、是非お聞かせ頂きたく。 尚、質問のカテゴリーを 「学問/心理学」「学問/歴史」「社会/社会問題」「社会/行政」 にもしようかと思っておりましたが、 最終的にこのカテゴリーに質問を投下させて頂く事にしました。 尚余談ですが、この質問をしたのは、下記サイトに記載してある戦後マッカーサーによる日本の統治政策(一応フィクションのようです)の文面を見て考えさせられた為です。 http://big-hug.at.webry.info/200506/article_11.html
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質問者が選んだベストアンサー
11番です。 先の安部内閣の愛国心教育は戦後教育からの脱却の一歩と成り得たのですが、大変残念ですね。 政策に関しては教育制度の抜本的見直しです。 まず教員の選別として、言い方は悪いですがレッドパージの実行です。 教師は生徒児童のお手本でなければならないため、思想的に問題のある方々には辞めていただく他ありません。 手始めが日教組の解体と、加入していた方の追放処分です。 次に教科としての道徳の必須化です。 教材は昔に習い儒学・朱子学でよいかと。 これに関しては小学校以前、公立私立を問わず幼稚園・保育園から暗誦をさせるのが良いと考えています。 中学・高校・大学入試においても、必須科目扱いにし、繰り返し刷り込み教育を行うことにより道徳を理解することが出来るようになるかと。 3つ目に、会藩の什や薩藩の郷中をモデルとした、地域の同世代及び異なる学年における組織化と実践的な道徳教育の義務化です。 友達同士の中においても、互いに道徳的であるように努力仕合、正しい行為や作法を心身に叩き込むことが可能となります。 また小組織内では競い合い、また他の組織との競争と、他の組織との競争に勝つために協力し合うことが身につきます。 教育改革が社会に影響するのには60年前後の歳月がかかり気の遠い話ですが、日本が日本であり続けるためには避けられないことなんですよね。 (3世代ないし現役世代が同一の教育を受け終わるまでの期間であるため、晩婚化が進めばより長く、戦前のように早婚であれば短くなります) ちなみに現在は戦後教育から60年が経過していますし、戦前でも国家総動員法あたりから全体色が強くなりすぎて着ましたがこれに至るまでに48年、勅語の出る前から教育制度では既にこの考え方は導入されており、そこから考えると約60年が経過しています。 教育勅語は山縣卿の軍事思想が強く入りすぎていたため、最終的に全体主義に陥ってしまいましたが、そこを除けば大変良い内容だと思っております。
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- sikou-sakugo
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あらゆる評価の基準を“人徳”に切り替えれば可能かもしれません。 でも、これでは経済的繁栄は望めません。 誹謗・中傷、疑心暗鬼に苛まれつつ今日の贅沢を享受するか、田野に質朴に生きるかの選択にならざるを得ないでしょう。 “清貧・せいひん”は、相当の覚悟が必要です。
お礼
回答ありがとうございます。 こちらも文明の享受を削れば高潔になる、とのお考えですね。
- maxmixmax
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文明退化。 もう一回焼け野原になる。
お礼
回答ありがとうございます。 進んでいない文明に反比例して、人は文化が洗練されるという事ですね。
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補足
思う所があって長文を書かせて頂きました。ご容赦下さい。 過激な論ですが、レッドパージは必要という部分は意見が同じです。 No.11で回答を頂いている様に、ウチは犯罪者の家系なんだ、と教えられている件については大きく頷きました。 現在の教師達が、本当に日本の為、引いては百歩譲って中国の為になるには、日本自身が元気を取り戻さなければならないのに、 犯罪者の家系を主意とした教育を覚えこませる事は、日本国益の損失と共産国利益にはなっても日本に利する事は無いですから。 森首相に続き、安倍内閣も教育改革を唱えたのですが、教育改革を唱えると短期政権に終わる傾向があるようです。 日教組ですが、2005年には、加入率が29.5%と教員全体の3割しか加入していない実態が報告され、日教組の原動力となった団塊世代の退職により更に縮小化が進むようです。 これを鑑み、2015年辺りには更に縮小化している事を予想すれば、レッドパージの断行はせず、ここを目標に新たなアクションを起こした方が国内政略的・資材的・時間的にも良いのではと思っております。 古典の暗誦ですが、私的には暗誦の利が少し分からないので、参考意見として受け止めておきます。 例えば、武者小路実篤が書いた『愛と死』では、主人公の愛の深さを知るべきなのに、 テストでは、「『愛と死』を書いたのは誰か」というような内容も何も関係無いような、 これでは何の為に教育を子供達に与えているのか分からないような本末転倒の問題が出されており、 その延長上に暗誦を連想してしまっている為、暗誦の利が分からないのです。 > 友達同士の中においても、互いに道徳的であるように努力仕合、正しい行為や作法を心身に叩き込むことが可能となります。 同意致します。こうした切磋琢磨こそ必要だと感じています。 が、現状の子供達を見ると、「しらけ」という雰囲気が漂っており、努力する者・目立つ者が白い目で見られて正しく評価されない、故に努力をしないという悪習があるようです。 こうした現状を打破する為に、匿名での読書感想文等を学校側が用意したBlogシステムで書かせ、個人の匿名性に配慮しつつも名誉欲、認知欲を満たせるような、新しい教育の方向を個人的に模索しております。 > 教育改革が社会に影響するのには60年前後の歳月がかかり気の遠い話ですが、日本が日本であり続けるためには避けられないことなんですよね。 そうですね。鎖国時代ならまだしも、100年の計を現実に実践してくる中国とまともに張り合う為には、こちらも長期運用を考えなければなりません。 > 教育勅語は(中略)大変良い内容だと思っております。 恥ずかしながら、教育勅語の存在は知っておりますが文面そのものは見た事がありません。 こちらも研究材料の一つとしていきます。 ------------------------------------------------------------------------------------ 余談ですが、戦後教育を受けた私としては、やはり中国人から見た被戦というものは日本人として反省しなければならない、と感じているのですが、 ・柴五郎の話などを見るにつけ中国人が日本人への攻撃をしていた。 ・中国人というものは、理由がどうあれ引かば押し、事由がどうあれ押さば引く性質 なので、心情的な部分はある程度内面に保ちつつも、こと外交に絡む歴史的国際問題については、こちらがどれだけ悪かろうとも中国の無法な攻勢から守る為、無法には無法という形で突っぱねなければならないという事を感じております。 戦後教育にはこうしたものも必要でしょう。 現地中国人を相手に商売する時に、堂々と論陣を張れずに不利益を蒙るケースも多々あるようです。 また、高潔な日本人を育成する為、道徳の必須化というのは同意致します。 この他、金銭・交渉・ディベートなどの項目も検討項目に入れるべきだと私は考えております。 管理・運営等も必要だと思いますが、大学の経営学かもしくはそれに順ずる独立科目でやれば良いかな。