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王貞治選手がメジャーに行っていたら?

もしもの話で恐縮ですが、王貞治選手がメジャーに行っていたら、どれぐらいの成績を残せたのでしょうか。当時の日米の格差、投手の攻め方の違いなどを考慮するとどんなものでしょう。 また、王選手の全盛期にメジャー挑戦の話は出なかったのでしょうか。

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  • anser2002
  • ベストアンサー率16% (8/48)
回答No.8

ONの現役時代を良く知っております。 王さんが、30才から5年間大リーグに行けてたら ホームラン王には1回はなれるでしょう。(投手が 当時の江夏・村山クラスのがレベルは上、四球が少ない、150km程度の速球は王さんでなくとも打てます。変化球とのコンビネーションで押さえる日本の投手のが上) むしろ 首位打者を3回くらい取るでしょう。 日本では 頑固に引っ張り専門で王シフトを引いておりました(遊撃手が2塁の後、2塁手が1,2塁間) ここで左に流せば4割達成出来たのに頑固に引っ張っていました。 まあ後輩の松井選手が来年がんばってくれるでしょう

noname#4320
質問者

お礼

確かに、速球派の名投手ほど良く勝負し、打ち、打ち取られていたようですね。 そう考えると、かなり行けたのではと想像してしまいます。 回答ありがとうございました。

その他の回答 (7)

  • e33
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回答No.7

自分が知っているエピソードを1つ 王選手が引退して巨人の監督をしていた頃の事。 日米野球のときにアメリカの投手が 是非世界のホームラン王の王(笑)と勝負がしたいと言って 1打席だけ本気で勝負したことがあったそうです 結果は王監督がそのピッチャーからホームランを打ちました もう現役引退していたにもかかわらず。 ピッチャーはメジャ-リーグで現役バリバリにもかかわらず。 これってすごくないですか? メジャーでも活躍できたのではないでしょうか

noname#4320
質問者

お礼

すごい逸話ですね。日本ほどの成績は?にしても、 『活躍できたのでは』というのは、信じられそうですね。 回答ありがとうございました。

  • nakaichi
  • ベストアンサー率18% (36/191)
回答No.6

こんにちは。 王選手があの成績を残せたのは、日本だからだと思います。一番の理由は球場の広さが全然違う。(後楽園球場は狭かったもんね~)ピッチャーのレベルも段違いでしたでしょうし。 メジャー挑戦の話はどうでしょうか。たとえ王選手が挑戦したいと言っても、当時の巨人は許さなかったでしょうね。王と長島あっての巨人でしたから。

noname#4320
質問者

お礼

後楽園球場はせまかったのですか!?知りませんでした。 メジャーでの成績を予想していただけなかったのは少し残念でした。 回答ありがとうございました。

noname#21343
noname#21343
回答No.5

 王選手(現在はもちろん監督ですが)の本塁打の平均飛距離は、105~110メートル前後だったそうです。で、王選手が現役だった時代の各球場のフェンスまでの距離は両翼=91.52メートル、センター=118.83メートルです。 #1987年までのデータです。  一方、メジャーリーグの各球場のフェンスまでの距離は、30球場の平均でレフト=101.0メートル、センター=123.7メートル、ライト=100.5メートルです。 #メジャーの場合、「左右非対称」という球場がかなりあります。自チームに右の強打者がいればレフトが狭く、左の強打者がいればライトが狭い、という感じです。  単純に球場の大きさが影響したとは言い切れませんが、当時の日米のプロ野球のレベル差なども考慮に入れれば、日本と同じ成績を残せたとは思えないですね。

noname#4320
質問者

お礼

10メートル違うと、HRはガタ減りですね。 そのような観点からいくと、確かに同じ成績は無理っぽいですよね。 回答ありがとうございました。

  • yumesawa
  • ベストアンサー率37% (393/1037)
回答No.4

 お世話になります。  思わず、ハッと足を止めてしまう御質問で、ございますね。 >王貞治選手がメジャーに行っていたら、どれぐらいの成績を残せたのでしょうか。   彼はバッティングテクニックおよび選球眼は抜群だったと思いますので、日本人投手より早い速球や、よく曲がる(落ちる)変化球にも対応できたとは思います。日本より広いメジャーの球場でも、HRは、それなりに打てたとは思いますが、HR王となりますと、厳しかったのでは無いのでしょうか・・・  また彼は、健康管理には充分に気を遣っていたと聞いた憶えが有りますので、長距離移動などのメジャー独特の過酷な環境にも対応出来たのではないのでしょうか。   >王選手の全盛期にメジャー挑戦の話は出なかったのでしょうか。   当時は、日米の野球のレベルに、かなりの差が有ったと言われていたと思いますね。  日米野球でも、大リーグの単独チーム( 例えば 「 レッズ 」 とか )が来日した際には、全日本は 「 ドリームチーム 」 といってもいいメンバーで挑んだと思うのですが、歯がたたなかったと思います( 全敗はしなかったとは思うが )。  そういう事が有って、当時は 「 メジャーなんて “ 夢のまた夢 ”」 といった風潮が有ったのでは、ないのでしょうか・・・    ようやく 「 追いついたかな 」 と思われはじめたのは、84年オフにオリオールズとカープが対戦した時でしたか、カープの川口が若き大砲・マグワイヤやカンセコらを手玉にとって完封勝ちした頃からでしょうか。  でも 「 ノーラン・ライアン VS 王貞治 」 なんて対決は、見てみたかったとも思いますね。     ( 文中敬称略 )

noname#4320
質問者

お礼

当時は、『夢のまた夢』でメジャーは全く考えられなかったのですね。 日米野球の詳しいお話、勉強になりました。ありがとうございました。

  • dodonn
  • ベストアンサー率18% (3/16)
回答No.2

僕は、No1の人とは違って、55本は打てなかったと思います。ピッチャーのタイプも違うし、何よりも日本人としての注目があり、言葉も通じないのでそのために不調になってたかもしれません。メジャーで活躍した人が、日本に来ても必ず活躍できるとは限らないのとおんなじだと思います。 (例中日ドラゴンズに在籍していた、ディンゴ選手(デビットニルソン)は、メジャーで活躍していたけど、日本では活躍できずシーズン途中で解雇という形になりました)だから、55本も打てなかったと思います。

  • dodonn
  • ベストアンサー率18% (3/16)
回答No.3

僕は、No1の人とは違って、55本は打てなかったと思います。ピッチャーのタイプも違うし、何よりも日本人としての注目があり、言葉も通じないのでそのために不調になってたかもしれません。メジャーで活躍した人が、日本に来ても必ず活躍できるとは限らないのとおんなじだと思います。 (例中日ドラゴンズに在籍していた、ディンゴ選手(デビットニルソン)は、メジャーで活躍していたけど、日本では活躍できずシーズン途中で解雇という形になりました)だから、55本も打てなかったと思います。

noname#4320
質問者

お礼

ただ、タイプが違うからこそもっと打てることもあると思いますし、 必ずしも活躍できないというのは、誰だってそうなので、 予想の根拠としては、やや物足りなさを感じました。 回答ありがとうございました。

  • kanten
  • ベストアンサー率27% (479/1747)
回答No.1

日本よりは勝負してくれたと思うので シーズン55本以上打てたと思います。

noname#4320
質問者

お礼

シーズン55本はともかく、勝負してくれるから それなりに打てそうな気がしますね。 回答ありがとうございました。