- 締切済み
シンガーソングライターは演歌歌手に学べ!!。って思うのは私だけ?
昔のフォークソング歌手も現在のシンガーソングライターも、デビューした当時は「自分の伝えたい事、訴えたい事」を曲にして歌い、コンサートに行ったりすれば、なかなかのものと注目していても、ひとたびちょっとでも売れてくればミーハーになり自分のポリシー何処へやら? 何でこうなるの?と思います。 その点、演歌一筋の歌手はその人の人生そのものを歌い続け、誠に自分の境涯を歌に託しているように思うのは私だけでしょうか? 長くなりましたが皆さんのご意見お待ちしています。
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
みんなの回答
gokurakuyamaさん、お久しぶりです。 今回の質問は私には少し難しい気がしますが、私なりに考えてみました。gootaraさんも書かれているように、演歌歌手(と言うか昔の流行歌手)は将来歌手になって有名になりたい!と言う願望が強く、その分、歌手としても思い入れが強いのではないでしょうか? 一方、昔のフォークシンガーは別に売れても売れなくてもいい!自分のやりたいようにやるさ!的な考えが強く、お金は二の次だったように思います。所が、自分の作った歌がヒットし、ある程度まとまったお金が転がり込んで来るのが分かると、もっと金儲けをしたいと思うようになり、少しでも曲が売れるように路線変更となるのではないでしょうか? この路線変更が私は大嫌いですが…。少し例を挙げてみると、まずはアリスですね。まだ駆け出しのころ、あまり曲が売れず、当時の売れっ子作詞・作曲家に曲を作って貰った所、自分たちの曲よりもヒットしました。所が、周りのファンからは大ブーイングが起こりました。この状況はアリスのライブ盤にも収録されており、釈明めいたMCが録音されています。次は陽水。この場合はアリスの時と良く似ています。最初のデビュー当時は全く売れず、他の作詞・作曲家が提供した曲を歌っています。ただ、陽水の場合、それでもヒットせず、一旦シンガーを辞めて、再度自分の曲で再デビューしています。その後の活躍はご存知の通りです。 と言う事で、一旦売れるとお金に対する執着心(少し語弊あり)のようなものが生れて来るからだと思うのですが、如何でしょうか? ボブディランが豪邸に住んでいるのは有名ですが、それも歌があったからです。でも、詞の内容とのギャップにファンは激怒していますね。そう言うもんだと思いますよ。理想と現実のギャップがこれらの状況を生んでいるのではないでしょうか? 質問の回答になっていませんが、gokurakuyama氏の質問と言う事で、思わず書き込んでしまいました。お許し下さい。
- songbook
- ベストアンサー率36% (334/910)
お気持ちは、非常によくわかります。その傾向は昔からあったと思います。 が、今回はあえて苦言を呈します。 メッセージを送り続けるソングライター。自分のポリシーや、人生そのものを表現していくタイプの人には、確かに魅力を感じるところがあります。 しかし、その路線でやりつづけていくというのは、非常に難しいとも思うのです。 何十曲、何百曲と、自分のあふれる思いを世に問いつづける。で、売れたとします。それはすなわち、その人の思いが、ある意味、受け入れられたわけです。その方面の歌は、多くの場合、「不当に受け入れてもらえない私の正論をぶつける」ものですから、受け入れられてしまったら、次の攻撃相手を見つけるしかない。これを延々と繰り返していくのです。厳しい自分への戦い、下手すれば、不毛な戦いです。 ふと、亡くなった尾崎豊さんの顔が浮かんでしまいました。 もう一つ。「哲学的、詩、言論的には、伝えたいことなど始めから持っていない」「どちらかといえば、音楽、サウンド的に伝えたいものがある」というソングライターのほうが多数になってきているという現状を思います。 最初は、少しぐらいメッセージの強いう曲を書いていても、本来その人がやりたいことはサウンドであって、ちょっと売れたら、歌詞は2の次、3の次。 実際には、こういう人が大多数だと思うのです。私も、サウンドが先で、歌詞は最後に聞くタイプですので、あまり気にしていませんでしたが、gokurakuyamaさんのような聞き方をする人だって多いはずですよね。そういう方々にとって、現状は悲惨としかいいようがありません。 ただ、私は先述のようなタイプですので、現在の演歌の世界に対しては大いに不満です。あまりにも自己模倣が多すぎる。演歌さえ、詩に命を吹き込まなくなり、惚れた腫れたを日本酒でごまかしたようなものばかりになってきています。 10年程前、冠二郎さんが「炎」を出したときには、かなり期待をしましたが、残念ながら後続なし。ポリシーや人生を演歌に託すのならば、和服を捨てよ!冒険せよ!サウンドを無視する事なかれ! そんなわけで、現状では、ソングライターが演歌歌手に学ぶことはないかもしれません。サウンド重視から始まっていますから。ただ、どちらも極端はよくありません。ソングライターが言論的哲学を持ち、演歌製作者がサウンドに目覚めることを望んでいます。 冠二郎さんの「炎」とか、細川たかしさんの「応援歌、いきます」お勧めです。
お礼
songbookさん、お久しゅうございます。そしてありがとうございました。 確かに、自分の思いを歌い続けるという事はなかなか大変でしょうね。 ただ、「ある程度売れれば自分のターゲットを違う方向に向ける」っていうあたりがくせ者なんでしょう? >もう一つ。「哲学的、詩、言論的には、伝えたいことなど始めから持っていない」「どちらかといえば、音楽、サウンド的に伝えたいものがある」というソングライターのほうが多数になってきているという現状を思います。 >最初は、少しぐらいメッセージの強いう曲を書いていても、本来その人がやりたいことはサウンドであって、ちょっと売れたら、歌詞は2の次、3の次。 やはりサウンド重視っていうのは、少し前からその傾向が出てましたね。 私は、売れる=自分のメッセージを認めてもらえた=満足=売れている状況を維持する=万人受けしたい=ミーハーでも聞ける曲作りをする。という図式があるような気がしてなりません。 「何でもいいから売れたらいいんかいな?」と言いたくなります。 演歌歌手の事を例えに出しましたが、ちょっと失礼な書き方だったかも知れません。 >現在の演歌の世界に対しては大いに不満です。あまりにも自己模倣が多すぎる。演歌さえ、詩に命を吹き込まなくなり、惚れた腫れたを日本酒でごまかしたようなものばかりになってきています。 当に最近の演歌は酒に関するものばかりですね。又、惚れたの腫れたの、くっついたの別れたの・・・・。もうゲップがでそうです。 昔はもうちょっとマシだったですよね。 ご紹介の2曲機会があったら聞いてみたいと思います。 >ソングライターが言論的哲学を持ち、演歌製作者がサウンドに目覚めることを望んでいます。 この話には「目からウロコ」です。 ありがとうございました。
- gootara
- ベストアンサー率25% (65/259)
ソングライターも、売れてくると事務所サイドの意見が強くなり「安定志向」が求められるから。 一方、演歌歌手は「歌手になりたい」と「新人を売り出したい」という利害(?)がはじめから一致しているので、ずっと同じ路線で行ける。 こういうことではないでしょうか。 もっとも、ソングライターも人間ですから、時代の変化とともに気持ちも変わって行きますね。
お礼
gootaraさん、ありがとうございました。 なるほど、ソングライターも売れるか売れないかで違うって言うのは、私も考えていました。 しかし、自分の伝えたい事、言いたい事を歌にして自ら歌うから「シンガーソングライター」たる所以だと思うのですが・・・・。 年齢とともに伝えたい事は変わってくるのは、良くわかります。 演歌歌手は歌手と事務所の思いが一致しているというのは、本当によくわかりました。 ありがとうございました。
お礼
yama585さん、ありがとうございました。 さすが、フォークに詳しいあなただからこその、詳しい例を上げての説明。 恐縮至極に存じます。 >演歌歌手(と言うか昔の流行歌手)は将来歌手になって有名になりたい!と言う願望が強く、その分、歌手としても思い入れが強いのではないでしょうか? そうそう、当にその通りです。 フォークシンガーはそれが、「自分の生きざまから伝えたいこと、思っている事を歌にして訴え続ける」という事に、差し替える事が出来るとも言えますね。 アリスと陽水を例に上げての説明大変よくわかりました。 ライブでブーイングがあったのですか? ファンの方のほうがポリシーがあったんですね。(笑) ボブディランは豪邸に住んでいるのですか? 古今東西、誰でも一緒なんですかね? たぶんyama585さんもご存じだと思いますが、「ゆず」というシンガーがいますね。 初期の頃の曲に「てっぺん」って言うのがありましてね。 がらにもなく「おっ。結構ええやん」と思ってたんですよ。 有名大学出のインテリを痛烈?に批判した歌でね。 でもね、最近はその曲歌わないんですよ。 その大学生からクレームが出たとか何とか、学園祭に呼んでもらえないとかで・・・。 それと、最近のライブ(子供が好きなんで偶然一緒に見てしまったんです)。ヘドが出そうですわ。(ちょっと厳しすぎるかな?) 自分の思い、ポリシー、スタンスは?ビジョンは? ああ、もともと無いか? 最終結論は昨今の「路上ライブ組にそこまで求めるのは無理?」って言うところにおちつきそうです。 少し、我見がすぎてしまったようです。 お許しを・・・・。