- ベストアンサー
何故、ガンダムF-91でMSは小型化されたのか?
「機動戦士ガンダムF-91」でMSは何故、小型化されたのでしょうか? 劇中の設定的な事は知っているのですが、何故、そのような設定が取り入れられたのかという、主に作劇的な部分での理由をご存知でしたら教えてください。(本筋に関係のある設定なの?) 商業的な理由でもよいのですが、「プラモデルにする際に、小さいと材料が少なくてコストが安く出来る」という説は説得力に欠ける気がしますので、それ以外の部分でありましたらよろしくお願いいたします。
- みんなの回答 (6)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
#3です。 補足します。 今でこそ、MGによりプラモデルは1/100がスタンダードになりつつありますが、当時は1/144がスタンダードです。その名残でHGUCが1/144で展開されています。 さて、本題。 この件はスポンサーサイドの要求を富野氏が受け入れた、ただそれだけです。 ガンダム放映20周年にあたり、大河原氏が画集にガンダムのリニューアルデザインを描き起こしたところ、それがバンダイの目に止まりF-90として商品化が決定します。(画集の発行はバンダイ系列の会社なので商品化と並行の可能性もありますが、配色等を考えるとこのように考えられます。)~F-91とF-90の商品化の流れは、SEEDとアストレイの関係に似ています。~ このガンダムF-90の価値を高めるために武器換装システムと映画F-91へのリンクが採用され、プラモデルをターゲットとする消費者が受け入れられる価格に設定するためにモビルスーツのサイズが小さくされました。これは#3で回答した通りです。(F-90が主役のゲームでは小さい自機が大きい敵機を破壊する爽快感が得られることになります。ただ、ゲームの解像度でどこまでそれが再現できたかは疑問ですが) このスポンサーサイドからの要求を富野氏が作劇にどう効果的に反映させるかというと、まず、主人公側の旧式がこれまで通りの大きいMS、敵側が小さいMSでバッタバッタと大きいMSをなぎ倒し、小型かつ高性能の兵器の方が圧倒的であることを示したあと、完成したばかりの味方側がそれと同サイズでもっと高性能の兵器で迎え撃つという、「襲われた主人公が反撃を加えるものの、力及ばず、ダメかと思われたとき、秘密の武器で逆転勝利する」の物語の典型を再現しました。(実際の映画F-91は主人公側の組織は敵側に完敗しましたが) というわけで、富野氏は劇中にモビルスーツの世代交代を盛り込んだわけです。作劇的には旧来のモビルスーツを弱く見せるわけですから、これまでの商品を売っているスポンサーとしてはいい顔はできないでしょうが、そこは富野氏がうまく皮肉をきかせつつ見せ場のシーンを用意して誤魔化したというところでしょうか?(笑)<そういうスポンサーサイドからの規制を逆手にとって、あからさまにストーリーに反映させるところが、彼の作品の魅力のひとつです> CCA(逆襲のシャアの略語)とF-91の両作品でジェガンというモビルスーツが登場していますが、それを定規にして「ほら見て、作品中のモビルスーツがこんなに小さくて強くなったよ!」ということを演出しています。 これまで強さはデザインに頼るのが普通でした。(たとえば、太く大きく、トゲトゲ、ドリル、翼、大砲) 強さを動き(ストーリー)で見せた作品って、実は快挙なんですよ。
その他の回答 (5)
うろ覚えだけど、物の進化が進むと小型軽量化されていくのにガンダムだけは拡大路線な事に富野監督が不満を漏らしていたような記事をどこかで読んだ記憶があります。 確かに初期のガンダム~逆シャアの間でMSの平均身長は上がっていきます。 富野監督は生活環境などの人の営みに敏感な人なので、その事に気づいた時に不満だったんではないでしょうか? 部屋中探しましたが出典が確認できなかったので回答の自信はありませんが…。 参考までに回答しておきます。
お礼
回答いただき、ありがとうございます。 これは興味深いお話ですね。確かに納得のいく理屈です。 富野監督の偏屈(?)さがよくわかる、面白いエピソードですね^^
- hg120
- ベストアンサー率35% (91/260)
すでに出ている理由以外だと、小型化でMSと人間が一画面に 入る構図を作りやすくし、パイロットとともに感情移入しやすく した、みたいな説明を読んだ記憶があります。 極端な例で言えば、身長18メートル=頭は3メートル程度の マジンガーZやガンダムの場合、頭の前にパイロットを立たせる 構図で「こいつが乗っているロボットだ」ということをわかりやすく 表現できます。(ゴッドシグマのエンディングにそんな絵があった 気がします。あれは地球との対比で設定身長変更されてしまいましたが) これが身長200メートルのガンバスターやダンガードAだと頭だけ でも大型MS以上の大きさがあり、頭全体が入る構図ではパイロット が小さくなりすぎます。 F91の場合さらに、コックピットを歴代ガンダムの腹から胸に移動し、 ハッチを頭の前に持ってくることで、パイロットが出ると頭と同じ 画面に入っている効果も狙ったとどっかで読んだような(原典が 示せないのですが)
お礼
回答いただき、ありがとうございます。 なるほど、構図による演出に影響を与えているのですね。 確かにMSが小さいと、人物との構図はとりやすくなりますね。 これも理由(利点?)の一つでしょうね。
補足
う~む、ここまで頂いた回答を見る限りでは、やはり、作劇部分での理由というより、商業的理由の側面の方が強いようですね。 もう少しの間、締めずに様子を見させていただこうかと思います。
- orihalcon
- ベストアンサー率50% (155/307)
ファーストガンダムの1/144スケールのプラモデルは300円でした。 それがガンダムMk-IIでは1/144のサイズで500円になり、ニューガンダムでは800円になりました。 確かに原材料のプラスチックの値上がりもありますが、関節機構の複雑化とデザイン的にバックパック等が大型化したためにアイテムの平均価格がが上昇しました。 これでは対象とする子供たちが気軽に買えなくなるので、アイテムの設定の大きさを小さくしてプラモデルの販売設定価格の低下を狙ったものです。 F91は対象がまだ青年でしたが、Vガンダムになるとそれがモロに表面化します。 これはファーストガンダム放送当時とは違い、時代的にサンライズがバンダイの子会社と化した事情も働いていると思われます。
お礼
回答いただき、ありがとうございます。 アイテムを小型化しても、結局従来の1/144スケールである12~3cmの商品(F-91なら1/100に該当?)での商品が好まれるのでは…?と考えて質問文において「説得力に欠ける」と書かせていただいたのですが、orihalcon様の書かれているのを読む限りでは、そういう訳でもないようですね。 私にはプラモデルの客層に関する考えが分かっていなかったようです。 商業面での理由は、これで決まりの様な気がします。 もし、商業面だけでなく、作劇的な部分での理由もご存知でしたら、よろしくお願いいたします。
- catfool
- ベストアンサー率23% (92/390)
技術の進歩でエンジンが小型で高出力な物が出来れば期待を小型化した方が被弾しににくくなります。 小型化で機体が軽くなれば機動性が上がるのでより有利に戦えるようになります。 同じ船に10体しか搭載できなかったのが15体搭載できるようになれば同じ船の運用でも戦力の大幅アップできますからね。 ガンダムの頃より技術力が上がっているんだよという演出じゃないですか?
お礼
回答いただき、ありがとうございます。 はい、そうなんですね。catfoolさんがおっしゃるように小型化するメリットというのは幾つかあって、その設定を導入する事で、技術の発達を表現する。という考え方は正解なのだと思うのですが…。 その、「技術の発達」という設定が、「機動戦士ガンダムF-91」というアニメ作品のストーリーを構成する要素として、使われていないと思うのです。 ストーリー上で必要があって設定されたのか、スポンサーサイドからの要請があって設定されたのか。 その辺りの事が知りたくて質問をさせていただきました。 わかりにくい質問文でごめんなさい^^;
- ksa
- ベストアンサー率30% (33/107)
コスト面は説得力に欠けると言っていますがそんな事はありません。ビデオカメラや携帯電話を取ってみても市場に出回って直ぐの頃のタイプと今のタイプ、サイズを比較したら雲泥の差です。ましてや日常使うものではなく戦争時という資源が限られた状態であれば少しでもコストを減らさないといけないと考えるのは当然の真理です。事実一年戦争でジオンは資源面が無いからこそ資源豊富なオデッサ等の拠点の確保に躍起になってます。 さらに逆襲のシャアでνガンダムは初代ガンダムと比較してもかなりのデカサです。1機のMSがああも大きければ戦艦に搭載できるMSの数も少なくなってしまいますよね?コスト面や運用方法の関係上MSの軽量化は避けては通れない道です。 例外としてはMAのように1機で戦場を大きく変えれるような局地専用の機体、この類であれば巨大になるのはコンセプト上仕方ないといえます。
お礼
回答いただきましてありがとうございます。 設定でのコスト面からのお話ですね。 参考にさせていただきますね。
お礼
再度の回答&捕捉ありがとうございます。 なるほど、商品側の都合で出来た設定を、手法的にそこまで昇華させる事で、演出に利用した、という事ですね。 「ガンダム」である以上、スポンサーの都合というものが多分に反映させられるというのは理解しているのですが、やはり、商業的理由の比率がここまで高いのも、寂しい気がしますね。 蛇足ながら、富野監督は、「ビジネス」と「作品性」という、相反するものをバランスよく落とし込んで、作品を仕上げる(敬意をこめて「デッチ上げる」という言葉でも良いかも?(笑))という点において、日本有数のクリエイターだとここ数年で思うようになってきました。 私の、わかったような、わからんような質問に、回答いただきまして、皆様、本当にありがとうございました。