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葬式にて、感動した!
最近、気になっているのですが。 たとえば「世界の中心で愛を叫ぶ」やクレヨンしんちゃんの戦国時代の 映画は泣ける、感動するといわれています。「泣ける」は分かるのです が、「感動する」がいまひとつぴんときません。 上で挙げた例は二つとも主要キャストがラストで死にます。 おそらく泣かれる方は、その人物なり他の主役級の登場人物なりに感情 移入していて、喪失の悲しみによって泣くのだ、と思っていました。 あるいはそれまでの、人物間の繋がり(絆)を思い出して泣いているのか も、と思っていました。 が、予告版で映画視聴者は「感動しました」と言っています。感動の涙 だと言っています。 彼らはあの映画のどのような部分に感動しているのか、いまひとつ分か りません。泣かれる方がいらっしゃれば、どこで感動したのか教えてい ただけないでしょうか? また、上のような意味で泣いているという方はたとえば葬式(人が死 ぬ、故人との思い出が蘇る)のような場所で流す涙も、あれも感動の涙 なのでしょうか。
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クレヨンしんちゃんの映画は本当に泣けると評判ですね。友達も絶賛です。 わたしは観たことないのでなんともいえませんが、LAST SAMURAIで泣きそうになりました(友人と観てたので我慢した)。 観てなければネタばれになりますが、わたしは渡辺謙(勝元盛次)が「すべてパーフェクトだ」という言葉を残して事切れたシーンで 「サ サムライ・・・!!」 と感動しました。なんというか武士としての侠ってものを感じたのです。 すばらしい・・勝元・・あんたはすばらしかったよ・・!と思ったとき涙がね。ちょろっとね。他の映画で泣くのは、わたしはもう絶対無理だと思ってたふたりが困難にうちかって結ばれたときとか(具体的に思い出せないので映画名は出ない)、ベタなやつだと最近テレビでやってたアルマゲドンの、ハリー・スタンパー(ブルース・ウィリス)が娘の恋人の代わりに、地球のために自分の命を犠牲にするシーンで泣けました。これは多分感動よりも、娘の幸せを思ってその恋人をはねのけて自分ひとり残った父親に対して、ああ死んでしまうのか。なんて悲しいんだろう・・という気持ちのが強かったです。でも感動もまじってるのかなあ。 なので、喪失感による悲しみは感動と相まっていることもありうると思います。 で、葬式ですが葬式で感動して泣く人は滅多にいないと思いますよ。 悲しいからでしょう。こればかりは感動とは種類が違います。故人との思い出が蘇って泣くとしても、感動ではないはず。 文章を読んでる限りわかってるとは思いますが、感動ってのはすばらしいことなどに対して強い印象を受け心を奪われることで、プラスかマイナスかで言えばプラスの事柄が対象の言葉なので、葬式などといった悲しい事柄に対して「感動」という表現は使いません。
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- ucok
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「感動」とは読んで字の如し「感情を動かされること」ですよね。つまり、なんらかの理由で「心揺さぶられる」とき、それを人は「感動」と呼ぶのだと思います。 あいにくと映画版『せかちゅう』は見ていないし、しんちゃんの戦国映画では感動しなかったのですが、テレビ版『世界の中心で、愛を叫ぶ』では感動しっぱなしでした。若い主役二人の、いかにも純真そうなルックスの美しさに感動し、亜紀の両親役二人の押し殺した演技に感動し、カメラワークと音楽の上手な連動に感動していましたね。 私はよく、「上手に作られた作品だなあ」と思うと、その上手さ加減に心揺さぶられます。作り手の情熱や魂に感動するとでも申しましょうか。「すごいなあ~~」「よくぞ作ったなあ~~」「これを待ってましたぁぁぁ」って感じの思いです。それが感動。 そういう意味では、お葬式でものすごく上手な演出があったら感動するかもしれません。喪主の心のこもったスピーチの温かさに感動したり、故人の生前の人となりがわかるビデオを見て、その生きざまに感動したりしたことはありますね。 スポーツで優勝したときに人がこぼす涙も一種の感動の涙なのではないでしょうか。それまで辛い練習を重ね、いろいろなことをグッと我慢してきて、それが一気にゴールで実を結んだときに、グワッと心が揺さぶられるという。 そもそも、とかく涙って、強い緊張がふわっと解けた瞬間にポロッと出たりしますよね。あれも一種の感動ですよね。例えば、敵対していた相手にふっと優しい言葉をかけてもらったり、交響曲がじわっと盛り上がった瞬間などは、わりと人が感動したりするんですけどね。しんちゃんの戦国映画で感動する人は、あのヒロイズムに感動するんじゃないのかな。「カッコよかったねぇ」「壮大だったねぇ」って感じで。
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回答ありがとうございます。 回答者様はテレビ版セカチュウで本編以外の部分で感動されたのですね。 やはりセカチュウでヒロインが死ぬから感動するのはおかしいのでしょうね。
お礼
回答ありがとうございます。 やはり喪失の悲しみと感動はどこかで通じているのでしょうね。 しかし、現実の悲しみ(あるいは他人事の悲しみ)が虚構だと感動にすりかわるのにはおかしみを感じます。