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宗教を信じている方、教えてください。
私は無神論者で、一切の宗教を信じておりませんが、みなさんの信じる神様は「生まれながらに障害を持った子供」の存在についてどんな説明をしていらっしゃいますか? 是非教えてください。
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- 大空 二千翔(@oozora2000)
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カトリック信者ですが、仏教特に禅宗や他の宗教にも親近感を感じている者です。 さて、現世的に不幸とみられる人たち、例えば障害をもった人たちについて、各宗教がどういった見方をしているかですが、これこそ宗教の根本であり、存在価値であるような気がします。 具体的には、キリスト教の場合は、イエスの次の言葉に代表されると思います。 弟子たちがイエスに尋ねた。「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」 イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。」 (ヨハネによる福音書 9章2~3節、新共同訳) そして、イエスはこの人の目が見えるように奇跡を起こされます。 しかし、勿論このような奇跡が起こることは稀であって、通常は延々と一生涯、障害が続いていきます。それでも、世の中や自分の運命を恨まず、信仰や感謝をもって生活していくと、自然とその障害を心理的に乗り越え、障害をカバーできるような才能やもっと大きな人生の生きがいのようなものを見つけたりすることも出来ると思います。 キリスト教は、「闇と死に覆われたところにのみ、神の栄光が輝く」と考えているようです。 「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」(マタイによる福音書19章 24節)と述べられている通り、富むものは地上で幸せを得ているのだから、貧困や病苦にあえぐものにこそ、神の栄光が燦然と輝くように、配慮されているのだと思います。又例え富んでいても、その富や幸福を社会に還元しようという意識が非常に強く、ボランティア・スピリットが非常に強く社会に宿っているのも、キリスト教国家特にアメリカなどに見られる現象だと思います。 「キリストに最も近い聖人」と言われたアシジの聖フランシスコも清貧を貫き、最後は目が見えなくなりつつ、有名な「太陽の賛歌」(讃美歌21では223番「造られたものは」)という神を賛美する讃美歌を作りました。↓ http://www.janis.or.jp/users/ito-mar/love/francis/ryakuden.html 一方、仏教の輪廻説によれば、不幸の原因は、全て前世の「因果応報」だということで表現しているようですが、そこに救いがあるのかどうかは、正直な所、よくわかりません。
- Asa132-gym
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仏教徒です。 >「生まれながらに障害を持った子供」の存在について 私は障害を持っているということは「その子とその子に関わる全ての人が人間的に成長できるから」だと思います。 障害があることを「他の人と違う、大変なことだ」と悩み苦しむか、障害を通して「自分は多くの人に支えられて生きている」ということを学び、周囲に感謝をしていくか。 【どのような心で受け止め、人生を生きていくか、ということを障害を通して学んでいく】 さまざまな宗派があるので一概には言えませんが、仏教を信仰していると、このような考え方をするかと思います。
お礼
ありがとうございます。 仏教的には「学び、成長するチャンスを与えられた」という事でしょうか。 参考にさせていただきます
- ppp4649
- ベストアンサー率29% (614/2093)
障害を持った人自身も、親などの周りの人建ちの「今世での勉強」の為だと思います。 はたから見て不幸と決め付けるのは良くないと思います。 本人は障害を持って生まれて来たからこそ。 親や周りの人建ちは、其の子が居たからこそ学べた大切な事が数多く有ると思います。 テレビでやってたのですが障害者でやるパラリンピック。片足を事故で無くした男性の台詞です→⇒「足が無くなって良かったです。お陰で今の自分が有る」と毎日を充実してそうな顔で仰ってました。凄い考え方だと驚きました、「不幸と決め付けてはいけないな・・」と反省しました。
お礼
まず、輪廻の存在を前提としたご説明ですね。 参考とさせていただきます ありがとうございました
- to9311mu
- ベストアンサー率31% (268/842)
自称無宗教です。まあ家の都合で葬式とかは仏教的なんですけど。 そもそも宗教とは人が死を恐れるあまり、何かにすがりたいという恐怖や願望が宗教の始まりです。 だから、 >「生まれながらに障害を持った子供」の存在についてどんな説明をしていらっしゃいますか? というのは、何でも神のせいにする人(苦労・苦しみから逃れるために)がいるわけです。 僕は、言い方が少々乱暴ですが、ただ運が悪かったと思います。
お礼
ありがとうございます ご回答者様の宗教感に同感です
なんとなくで、神道なのでそういうのはありません。 想像するなら、神は万能でないし、あまり多くまで介入もしない、というところでしょうね。世界を作ったのは神じゃないんだから。 あとは、不幸はその人が望んだから起きる、という人を追い詰めるだけの思想というのも聞いたことがあります。これはとんでもないものだと考えています。クムランという団体が言ってるようなんですが。
お礼
ありがとうございました。神道では神は万能ではなく、創造主でもないのですね。 なんだか興味が湧きました
私はどこか特定の宗教の信徒というわけではありませんが、けして無神論者ではありません。 そして、宗教行脚というほどではないにしろ、いくつかの宗教を勉強したことはあります。 その中で聞いた話ですが、障害児は高級な魂を持った人達が多いようです。 障害児がいることによって、周りがその人の世話をしたり、人助けを学んだりと「愛」を実践しますよね。 そういった修行を多くの人にしてもらうために高級霊が宿ってるということです。 しかし、宗教によっては、前世で相当な悪業を積んだために、現世では障害児に生まれてくるんだというふうに説いてることもあります。 例えば、前世で人の目を潰した人間は、現世では目の障害を持って生まれてくるなどの教えです。 ただ、そのような教えは差別にもつながる恐れもあり、今はあまり流行らないように思いますし、先に挙げた説明のほうが受け入れやすいように思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 愛を学ばせる為の存在ですか。 勉強になりました
お礼
ご回答ありがとうございました。 おっしゃるように宗教が『救済』にのみ使われるといいのですが、ゴージャスな教会や、きらびやかな司祭の衣装を見るとがっかりしてしまいます。 個人的にはこの世から全ての宗教が無くなれば(非現実的ですが)戦争は半分以下になると思っています。 『清貧』 素晴らしい言葉ですね。 ありがとうございました。