• 締切済み

感動して泣く

私は一般に泣けるという触れ込みの映画や本でほぼ泣くことはできません。 なぜかというと、ただ人や動物が死ぬだけじゃないの?という考えが先行してしまうからです。 たしかに人や動物が結果的に死んでしまう物語はウルっと来ます。 ですがそれは親族が死んで泣くのと同じではないですか? だとしたら葬式で泣くのは感動したからですか?などというひねくれた考えも思いつきます 人の感性によるものですから泣けないものは泣けないで終わらせることもできますが、ぜひ人が死ぬ話で感動するというのはどのようなものなのか教えていただけないでしょうか? 私がこれが感動だと自信を持って言えるのはアルプスの少女ハイジでハイジがフランクフルトからアルムの山に帰ってきた話です。 これは誰が死んだわけでもなく素直に気持ち良く泣くことができました

みんなの回答

  • -nanso-
  • ベストアンサー率18% (4/22)
回答No.5

♯2です。 >またひねくれた考えですが、今現在泣けると宣伝されている恋愛ドラマはどれだけ登場人物が可哀相な目に合うかということではないのでしょうか? 確かにそうかもしれないですね。 他の方々の回答などを読んでまた考えたのですが、実際に周りの人が亡くなった場合だけでなく、物語の中で人や動物が亡くなった場合も、その事実だけを理由に涙することもあるんですね。 そういう時は、主人公や残された他の登場人物に感情移入して、感動して泣くのでしょう。 実際のお葬式では自分が登場人物なわけですから、感情移入なんかはなしに「本当に悲しいから」泣くんですよね。 まさに他の方々の回答を読んで…の結果ですが、感動の涙のとお葬式での涙(悲しい場合)の涙の違いってそういうものかな、と思いました。 考えのころころ変わる人間ですみません。

回答No.4

泣くというのは、2種類あると思う。 ●ひとつは、感動して泣く。 ▲もうひとつは、同情して泣く。 ●前者は人を勇気づける様な、前向きな 涙 ですが。 ▲後者は、実は、自分じゃなくて良かった、という自己保身の裏返しというか。 「泣いてあげた」という奴。 たとえば、葬式では、体面上、立場上、泣かなければいけない。 まわりの雰囲気に同情して泣く。受動的なみだ。ベタな涙。予測可能な涙。 演出的な涙だ。映画館でみんな、めそめそしてるから、とりあえず泣く。 卒業する先輩を見送って、みんな泣いてるから、さあ泣きましょう。 これは感動ではなく、演出の雰囲気の涙。 でも●感動の涙は、ちがう。 感動とは、自主的だ。人それぞれ、感動するポイントはちがう。 俺は、この場面に共感して、自ら泣いたんだ!俺だけには、わかる!という涙。 他人はどうかしらないが、私には、この苦労を、この偉大さを理解できる。 メディアの宣伝文句としては、この二つの区別はどうでもよく。 ごっちゃにして宣伝している。というか、区別しようが無い。 感動の涙は、そもそも、個別的で、カテゴライズ不能だから。 まあ結局は、理屈じゃないですよね。感情の問題だから。 そもそも「泣けますよ」という時点で、すでに演出だから。 感動して泣くというのは、予測不能の涙だから。 他人に薦められて泣くというのは、すでに演出だから。 宣伝文句に過度の期待はしない方が良いかと。 さあ、今日は、泣くぞ、と用意して、ロボットスイッチみたいに感動できるわけがない。 それは唯の演出の涙。他人の涙。ウソの涙だ。

carp_3_8
質問者

お礼

すごく私の考えと近いですよね 卒業式で泣くのも少し違いますよね >>この苦労を、この偉大さを理解できる 壬生義士伝のような映画ではこの感じが強く気持ちよく泣けますね

  • UMBRO
  • ベストアンサー率47% (29/61)
回答No.3

映画や本で人が死ぬのを見て泣くのは、2パターンあると思います。 1つは主人公や登場人物に共感して、悲しさや喪失感、心の痛みを感じる場合です。これは作品に入り込むほどに強く、その現場にいる感覚に近いものです。ですので、「非現実的だな」「こんなことあるの?」といった否定的な感覚で鑑賞すると、どうやっても泣けません。 もう一つは、自分の過去の経験や身の回りの出来事とリンクさせて、似たような経験を思い出し泣いてしまう物です。経験が浅い若者や、行動範囲が狭い人、交友関係が狭い&浅い人などはこちらで泣くことは少ないと思います。年をとると涙もろくなる、といわれているのはこの為です。 質問者さんが「ハイジ」で泣くことが出来たのは、おそらく1つ目の理由の、長期間放映でじっくりと作品に入り込み、自分の友達のような感覚になっていたからではないかと推察します。ですので質問者さんが興味のある、または自分の身の回りの環境と似ている設定で、比較的長編物の作品ならば泣くことになるのではないかと思います。 質問者さんも言っておられるように人それぞれなんで、あまり深く考えなくてもいいのではないかと思います。「バカボン」「寅さん」などで泣く人もいますからね。そのうち普通にわんわん泣く日がきますよきっと。

carp_3_8
質問者

お礼

悲しさや喪失感、心の痛みを感じての涙は感動での涙ですか? 悲しさや喪失感というのは親族が死んだときも感じますよね? それが感動というなら文句は言えませんが、私は感動というのはもっときれいで気持ちのいいものだと思うのです

  • -nanso-
  • ベストアンサー率18% (4/22)
回答No.2

「人や動物が死ぬから、感動して泣く」というのは違うと思います。 実際に親族が亡くなって泣くのは、だいたいは寂しい、悲しいという気持ちからですよね。 寂しかったり悲しかったりして泣くのと感動して泣くというのは、違う気がします。 人や動物が死ぬ物語で感動するのは、「死んでしまう」という事実ではなく、その死んでしまう人(動物)を取り囲む人々や、物語の背景にあるんだと思います。 ただ、とても安らかで穏やかな息の引き取り方をしたときなんかは、親族でも感動して泣くということもあり得ますね。 「いいお葬式」なんて言い方をする場合もありますので、実際にお葬式で感動することもあるかもしれません。 稚拙な文章で申し訳ありません。

carp_3_8
質問者

お礼

>>人や動物が死ぬ物語で感動するのは、「死んでしまう」という事実ではなく、その死んでしまう人(動物)を取り囲む人々や、物語の背景にあるんだと思います たしかにそういうこともあると思います たとえば英雄が活躍して結果的には死んでしまうというような時代劇などはそれにあてはまりますよね ですが普通の恋愛ドラマでもその仮説はあてはまりますかね? 私が妹と一緒に彼女が病気にかかり弱っていくというドラマを見ていたときに最終回でもなく死んだわけでもないのに泣いていました なんで泣いたの?と後で聞いてみると、「可哀相過ぎて泣いた」とそう答えたのです じゃあセ○チューはどうだった?とも聞いてみました やっぱり「すごい可哀相だった」そう答えたのです そこでわかったのですが、私の妹は死んでいく彼女が可哀相と思い、さらに彼女が死んでゆく彼氏までも可哀相だと思い泣いたのだと またひねくれた考えですが、今現在泣けると宣伝されている恋愛ドラマはどれだけ登場人物が可哀相な目に合うかということではないのでしょうか? 長文失礼しました

  • tuntun07
  • ベストアンサー率46% (140/299)
回答No.1

「感動」という言葉を辞書で引いてみました。 深く物に感じて心を動かすこと  岩波書店広辞苑第4版より 人が死ぬ話で泣く気持ち… 共感するからかなぁ、と思っております。仰るとおり、親族が亡くなった時と同じような感覚を、自分自身が物語の主人公に重ね合わせることで、あるいは死んでいった登場人物を自分の大切な人が亡くなった時と重ね合わせることで、共感し、泣けてくるのかなと。 この「共感」という部分が、「物に感じて心を動かす」ことなのではないでしょうか。

carp_3_8
質問者

お礼

なるほどその場合も感動ということになるのですね