右の意味での・・・
現代文についてです。
自然は真空を嫌う、という古い言い方がある。同様に、科学者は哲学を嫌う、と言いたい時がある。
物の見方というよいうな論議を、哲学と評する人がある。当の論議の内容が、哲学であるか、哲学でないか、それを論じるつもりは私にはない。私が興味を持つのは、むしろ、ある人がある状況を哲学と評したということ、そのことである。そこに、その人の哲学に関する考え方が表出しているからである。
それがすなわち、その人の「物の見方」にほかならない。そして、その人をそう見ることが、こんどは、同様にして、ヒトの見方にほかならないのである。
どんな叙述にも二つの面がある。一つはその叙述の内容そのものであり、もう一つは、その叙述が、ある状況で、ある人によって、どういうふうにか、なされたということである。
ここでいう「物の見方」とは、つまり後者に近い。叙述の内容にとりあえず反論せず、叙述そのものを、素直に事実として受け入れる。それは、いわば、ヒトの博物学とでも言うべき立場を導く。
叙述を素直に認め、逆にそれを発言者の立場を考えるよすがとする、というやり方を、われわれの祖先は古くから実行してきた。だから、「語るに落ちる」というのである。そこでは、語りの内容の当否や、置かれた状況をあらわす。そして、そのことは、科学であっても同じことである。
これを、叙述の「形式と内容」と表現できよう。たとえば、文学について批評が成立するのは、基本的には批評が右の意味での事実、つまり形式を扱うからである。そこでは批評の方法は、「科学」の方法と、とくに変りようがない。
ラストから2文目なんですが、「右」という意味がわからないんです。ここで、どうして突然「右」が出てくるんでしょうか?右ってどこをさしてるんでしょうか。
お礼
utsustutさま ご回答ありがとうございます。 掲示板内の前後の話の内容からすると確かにハンドボールと関係がありそうです。