- 締切済み
べジータはなぜ死んだ?
ベジータって魔人ブウ篇で死にましたけど、どうして死んだんでしょうか? ピッコロが「べジータは死ぬ気だ」みたいなことを言ってましたけど、ドランゴンボールの世界では気を使いきると死ぬことは共通認識なんでしょうか? それと砂のように消えていくのも疑問です。あれは餃子のような自爆だったんでしょうか? ドラゴンボールに理屈などはなくノリ次第という気もしますが、なんらかの理由を考え付く方がいらっしゃいましたらご回答お願いします。
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
みんなの回答
体細胞一つ一つからすべての生命エネルギーを消費すると大地が砂漠へと変わって行くようにそのみずみずしさを失ってしまうのではないでしょうか。成人では体の60~70%が水分であると聞いた事があります。つまり「気」とは水分と密接な関係があるのではないでしょうか? 気を使いきる事=体中の水分を使い切る事 人間は水なしでは生きていけません。 我々もスポーツをすると汗をかき、のどが乾きます。もしかすると気を使って体が乾いたのかもしれませんね。
- inato1123
- ベストアンサー率38% (19/50)
べジータはトランクスを守るために、自分の全力の気と生命力をつかいきった。と思っていました(ドラクエで言うメガンテみたいな)。 自分の気では足りなかったから、命まで使ったのでは、ないかなと。 砂のようになったのは命が尽きたのを分かりやすくしたんでしょう。
- takenoko_0
- ベストアンサー率100% (3/3)
一応、気がなくなると死ぬという認識ではあるようですよね。 でも、最初に孫悟空が死んで界王さまのところで修行していた時には 死んでても修行でパワーアップして気力が上昇していますよね。あれは不思議な原理だと思いました。 砂のように消えていく…についてですが、ベジータと餃子の自爆は原理が違うんでしょうね。ベジータは気を放出しきって死滅したのに対し、餃子は内部から爆発みたいな感じでしょうか。。 う~ん、結局、理屈ってあるんでしょうかぁ (^^;
- sa-roin
- ベストアンサー率18% (17/91)
おっす! おらゴクウ♪ 気を開放する時に、炎みたいなの出ますよね? あれは炎です。 通常気を開放した時に自分も焼け焦げちゃわないように 同じだけの気を体の周りに置き、つりあわせて守っています。 べジー太君はその守ってる気までを攻撃にまわして 最後の攻撃をしたんだって事だと思います。 だからまぁ餃子と同じテロ行為です^^; きんとーん ====@@@
お礼
最後の攻撃でしたが、残念な結果でしたよね。 映画でのべジータの扱いなんて可哀想過ぎです。ピッコロは格好良いとこ持ってくんですけど…
気を使い切ると死ぬことは共通の範囲です。 天津飯も気功砲を連発し、 「やめろ!これ以上気を使うと死んでしまうぞ!」 というシーンがありました。 餃子のいわゆる自爆とはまた違うと思います。 砂のように消えるというのは 文字通り気を使いすぎてしまい 体を原型のままとどめることができなかったという 解釈を自分はしています
お礼
天津飯ってそういえばセル篇で死に掛けましたね(^^; 新気功砲でしたっけ。悟空は気功砲との区別が付かなかったみたいですが…天津飯も昔は強かったのにな~
お礼
多分、ドラゴンボールには理屈なんてないんでしょうね。 考えてみればドラゴンボールって矛盾だらけですよね。「精神と時の部屋って二人が定員じゃなかったのかよ!」とかブウ篇で思いましたね。 でも、改造したかなんかでしたっけ… まあそんな所も含めて好きですけど^^