こんにちは。
もし、先生が質問者さん書かれたとおりの言い方をしたなら、そのあまりの暴言ぶりに唖然としてしまいます。当然、この言葉を真に受ける必要はありません。
しかし・・・多少なりとも大学の先生方とのおつきあいがありました。これを通じ、少々悔しいですが、ある方向性は存在するように感じています。
私も多少なりとも過剰なくらいに単純化し、例えば工学系と比較してみましょう・・・(両者の境も曖昧ですがあえて)
これまた悔しいですが、いわゆる大学のランクによって、学生の「質」が異なるのは事実でしょう。やはり上位大学の学生は充実した受験勉強を経験しており、基礎知識が豊富な上、記憶力や理論の組み立て(応用力)のほか、何より集中力のある学生が集まります。
しかしながら、理学に比べ、例えば工学では、研究レベルの差はそれほど極端にならずに済むかもしれません。目の前に研究対象物があるために集中力は維持しやすく、目的ごとに特化した実験等を行うため純粋な理論型知識の不足も大きな差にはならない望みがあり、また、「技術者」としての成果や能力は就職してから個々の分野の業務・勉強等を通じて発揮することになるため、「大学の格差」が比較的見えにくくなります。
一方、理学ではかなり状況が異なります。
純粋理論とも言える数学はもちろん、物理・天文などを見ても利用できる計測/実験成果は極めて限られており、充実感ある研究を行うためにはしっかりした基礎知識と「見えないものにもめり込む」集中力が必要です。
理学者としての就職の道は少なく大学だけで成果を出すことにもなるため、「高校の勉強もできないヤツに・・・」とは聞きたくないセリフですが、高校の退屈な勉強さえ楽しめたか、高校の勉強が嫌いでも理学への強い執着のために努力できたか、どちらかの素養が必要と言えるでしょう。
さらに理学には無視できない大きな要素があります。
一般に理学は研究成果の社会への還元が難しいため予算が得にくいにもかかわらず、研究(理論の実証)のための機器(設備)が大規模になりやすいことから、どうしても予算が特定の研究機関(大学)に集中することになります。もちろん、これらの設備を他の大学の学生(研究室)が利用できる仕組みはあり、成果もインターネット等を通じて共有できる時代ではありますが、身内に設備があるかどうかは運用の容易性だけでなく集中力の維持・イメージ作りへの影響も出てしまうでしょう。
この結果、指導者も切磋琢磨する仲間もますます偏り、全体の格差はいささか大きくなるのは否定できません。(その先生もひょっとしたら何かの形で悔しさを経験されたのかも知れません)
もっとも、工学に比べて、理学では大学を選定(受験)する段階で参加したい研究テーマを絞る重要性(傾向)が大きくなります。他の方の意見にもありますが、どの分野の、どんな研究に参加し、あるいはどの先生に学びたいか、大学の研究室のテーマ、教授の著書などを通じてしっかり選定すれば、恥じることはないかと思います。
ちょっと長くなってしまい、あえて画一的な言い方をしてしまいましたがいかがでしょうか。
お役に立てば幸いです。