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使者に鞭打つ文化は日本には無い
星進一の小説で、 記憶があいまいですが。 「ー死ねばそれが全ての罪を洗い流してー ー使者に鞭打つー」 というような内容が、 要は 「使者に鞭打つ文化は日本には無い」 という趣旨の登場人物(たぶn使い込み)発言出てきますが、これは現実世界において事実ですか? 事実なら実例を教えてください。 また、なんとか還元水の大臣の方の罪は帳消しになりましたか? それもあわせて教えてください。
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#2さんの見解は一面ではその通りです。 井沢元彦氏も日本は怨霊の文化と書いていますけど、罪人は穢れであり、怒らせると怖いんですよ。 奉行所役人を「不浄役人」と言いますけど、穢れを扱う役目ですから、同じ武士からも一段低く見られ、その不浄役人すら罪人の首を打つことが怖いので、市井の浪人に外注して首を切ってもらいます。 この浪人を山田朝衛門といって、奉行所から首打ち手数料が出るので、江戸初期には著名な首切り人が数人いましたが、無料で首を切るという一種のディスカウントでこの仕事を独占し、報酬の代わりに死体を切らせてもらって、刀の切れ味を試すということと、死体の肝臓を干して薬として売ることで、儲けていました。 つまり死者の怨念などの穢れを浪人が背負ったということで、浪人は徳川家とは関係ありませんから、権力者は処刑した悪霊に化けて出られることなく枕を高くして寝られるというシステムです。 話を戻すと、先に紹介した崇徳上皇初め死後も許されない方は多々います。 有名どころでは徳川宗春、8代将軍吉宗のライバルで、死後75年に渡って墓石に金網が被せられていました。 しかし昔ですから、権力者が病気になると怨霊に祟られたと怯えるわけです。 将軍家から徳川斉荘が養子に来たときに、今で言うノイローゼになり、これはひょっとしてうちのご先祖の吉宗さんを恨んで、宗春が祟って出たと考えて、名誉回復をやったんです。 崇徳上皇も祟ると有名な方で、明治天皇が名誉回復をしました。 死者の悪口を言うと祟られるという思想はあって、暴力団の親分、例えば国定忠治なども美化されて権力に反抗した革命家扱いですし、他の親分も似たり寄ったり、しかし実像は・・・・。 首を打たれた罪人もきちんと供養され、そうしないと祟って出ますから、今で言う核廃棄物並に考えられます。 死者を悪く言わないのは、この怨霊思想にもあると思います。
- 2nyoizumi
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鞭打ってると思いますよ。 死してなお、戒名にまで差別用語を用いたり… 「罪人」はさらし首にしたり… 松岡さんについては帳消しというよりはうやむやなんでないでしょうか。 あの人だけが絡んでるわけではないと思うので。
その通りです。 例えば崇徳上皇、ご承知のように保元の乱の張本人として讃岐に流され、無念のうちに亡くなりますが、怨霊伝説が出て、神に祭り上げられ、明治天皇によって名誉回復が図られました。 細川氏に守り神でもあります。 ここまで古くなくても、田中角栄氏、生きているうちはロッキードで叩かれ、悪徳政治家、闇将軍と庶民に嫌われていましたが、亡くなってみると時代の先駆者、異能の政治家として時流を読む眼力は一流との評価を受け、娘の真紀子さんもその恩恵にあずかっています。 松岡大臣も板ばさみになった不器用な政治家という、同情的な記事が出てきていると思います。