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脳死は人の「死」であるか?
今、学校(僕は高1です)の保健・生物・社会・総合の授業で、「生命(いのち)」について調べています。それで、7月下旬に、ディベートをします。今、僕たちの班は、論題として、「脳死は人の『死』である」が与えられました。僕は否定側なんですが、このような論題を取り扱ったホームページまたは、有効な資料をできるだけ詳しく教えてください。意見もおっしゃってくれたらとてもうれしいです。
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この問題を肯定するためには、医学的見地、統計学上の可能性の低さ、病院側の経営の問題、患者家族の経済的、精神的負担の大きさと日本人的思考からも見る必要はあるでしょうし、何より臓器移植法案の存在は大きいですね。どこかでくぎりを付けなければいけない問題です。心情だけでは解決できない、でもどこをくぎりをつけるのが正解なのかは、生きている人にはわからない問題です。医学的に手のほどこしようがなく、将来の希望も薄い場合は命のリレーも命を大事にする意味にもなりますし、脳死判定は引き継がれていく患者側と提供者のぎりぎりの人権や生きる権利の瀬戸際とも言えるし、移植はしないにしても家族の気持ちの整理を促したり、覚悟や決心を促す基準にもなるのではないでしょうか。判定はしても、結局家族に全ての選択権はあるのだから、問題があるとは言えないともいえるのではないでしょうか。 ちなみに私は肯定も否定もしません。物事を考える上での基準の一つだと思っています。本当の基準は本人にしかわからない問題でありながら、周囲の人間にしか決めれない問題ですから。本人は生きたくても、体が・・・という話も確かにありますが、逆に医師はまだ治療を続けているし、可能性もある状態ながら、本人の魂は既に家に戻っており、病院に戻ってこない為かどうかはわかりませんが、帰らない人になったという話も身近にありました。私には霊感はありませんし、本人の魂や気持ちなんて、普通わかりませんから話題にはならないし、信じない人も多いし、解明できる事でもないのでさらにわかりませんが、だからこそ誰にでもわかる基準が必要だともいえるのではないでしょうか?なんでもある程度基準がないと世の中は混乱しますし。 お役に立てるようなアドバイスではありませんでしたが、コツコツとキーワードを検索して、自分なりの答えを見つけて下さい。ただの論題ですが、大事な問題でもあると思いますし、いつか自分の周りでも起きうる問題でもあるのですから、面倒でも時間をかけるだけの価値はあると思いますし、完全に自分のモノにしてしまうのが、ディベートで勝つコツでもあるのではないでしょうか?自分とは考え方が違う側につくから、勉強になることもあと思いますし。とにかく頑張ってくださいね。
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- iyukihiro
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ディベートをするなら両方の意見を知るべきでしょう。 私の意見を少々、 しかし、高校でディベートをするとは良い高校ですね。 否定意見。 脳死とは人の死ではない。 なぜなら、脳死状態の人間とは生命活動を停止していないからだ。 大脳の活動は停止しているが、それ以外の活動に支障はなく、健常者と異なるのは「大脳の活動」一点のみである。 体の機能が一部停止しただけの人間を死人扱いするのは生命に対する冒涜である。 肯定意見 脳死とは人の死である。 なぜなら人間は脳で考えることで自我を認識しているからである。 ここで大切なのは「人の」という文字が文に入っていることである。 したがって、その自我を認識する脳が活動を停止したということは、その人間が死んだということになる。 言い方は最低になるが、脳死状態の人間は「心臓が動いている、人の形をした肉」という表現も出来る。 こんなところでしょうか、両方とも私の意見です。 相対する意見が両方正しいと思われる、ということも世の中にはあるんです。 でも一番大事なのは、そのことについて考えるということなんです。 なぜなら、あらゆる人間社会において「常に正しい結論」というのは存在しないからです。 答えが無いからこそ考えることが大切、なんだか禅問答みたいになっちゃいましたね。
お礼
肯定・否定の両方の立場でのご回答ありがとうございます。僕の学校は「生命(いのち)の教育」と称する授業を、生物・総合・保健・(現社)のそれぞれの授業でそれぞれの観点から観た授業を行っています。自分や家族がこのような状況下におかれた時に正しい判断が下せるようになる、などが目的だそうです。この授業は僕は好きです。 で、1つ質問なんですが、iyukihiroさんの回答の中に、 >否定意見…(中略)…大脳の活動は停止しているが、それ以外の活動に支障はなく、健常者と異なるのは「大脳の活動」一点のみである。 とありますが、脳死の定義は「脳幹を含む全脳が不可逆的に停止した状態」のことです。大脳だけですと、脳幹は停止していないので、いわゆる「植物状態」になります。脳死だと、延髄反射などは起こりませんし、呼吸も延髄が不可逆的に停止していますので、レスピレーターなしでは即死です。しかし、大脳停止だけですと、延髄反射や呼吸はします。上記の点を考慮するとどのような否定意見を実際に述べれば良いのでしょうか?
- hnacl
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過去に同じような質問がありましたよ。 下記URLをご参考にされてはいかがでしょうか?
お礼
早急の回答ありがとうございます。参考URLみたら、なんか、同じ学校の子かなぁ?とか思うぐらい同じ時期で同じ事をやっています。まさか、同じ学校??!
お礼
回答ありがとうございます。「中立」の立場の方も重要ですね。ディベートは25日にあります。あと少しの期間ですが頑張って勝ちたいと思います。