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横浜と霧

父と雑談していたときに「むかし横浜は霧の街というイメージだった」という話が出ました。 そのような話は初めて聞きました。 (霧の街といえばロンドンかサンフランシスコというイメージがあります) 「霧の街ヨコハマ」について詳しく知りたいと思います。 昔の日活映画などはそうしたシーンがお決まりだったのでしょうか? それとも大佛次郎の「霧笛」かなにかの影響でしょうか?

みんなの回答

回答No.1

横浜で生まれ育って30年ですが、霧の街というイメージは初めて聞きました。 が、思い浮かんだのは横浜元町で有名なフレンチレストラン「霧笛楼」。 all aboutによると 店名も横浜ゆかりの小説家・大佛次郎の小説『霧笛』から名付けられました。 霧笛に関係ありそうですね。

loadambala_2001
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 先日、知人から山手にある横浜気象台のことを教わり、データをいただいてきました。 霧が多かったというのは間違いないようです。 観測が始まったのは1897年(明治30年)からですが、1916年(大正2年)から急速に霧の発生件数が増えました。 その後1953年ごろまで、べらぼうに霧の発生件数が多かったのです。 現在は年間で5~10件程度しか発生しない霧ですが、その当時はコンスタントに年30~40件発生していました。 1922、1927、1935、1936年は60件以上発生していますし、1944年はなんと86件も発生しています。 原因は大気汚染だそうです。 本来は「もや」として観測されるべきものが、大気汚染による視認性の悪化により「霧」となってしまったのです。 1951年に「神奈川県事業場公害防止条例」が制定されてから、徐々に大気がきれいになり、霧の発生も減ったそうです。 「質問者が回答する」という自作自演気味の事態になってしまい、失礼しました。

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