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何故、日本人はもう○○才だから。って使いたがるのか?
とても素朴な疑問なのですが。。。 私は27歳なのですが、最近回りの友達が「もう27歳かーもうおばさんだよー。」とか、「もう27歳なんだから、クラブとかで遊ぶのは恥ずかしい。」 と話してるのを良く聞きます。 また日本人男性からも、おばさん扱いされるのですが・・ そんな時私は、(何で日本とゆう国はもういくつだから。と考えたがるんだろう?)と不思議になります。 私は海外で生活していたのですが、そのような考えの人は少なかったです。 30歳になろうが結婚しようが踊りにも行くし、(面白いのでは、私の良く行っていたヒップホップのクラブには70歳位の老夫婦が来ていた事もあります。)自分の興味のあることはチャレンジしていくし。歳を気にして諦める。何て考えが全くありませんでした。 就職時の履歴書にも、生年月日などを書く必要もありません。(日本では考えられないですよね。) 何で、日本の文化はこうも歳を気にするのでしょうか?私から見ると、まだ若いのにわざわざ早く歳をとりたがってるように見えます。(逆に日本にずっといる友達からは、私が幼稚に見えるのでしょうが。) 国民性と言えばそれまでですが、こうゆう文化になったのには何か理由があると思うんです。 皆さんの見解をお聞かせ下さい。
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- tanuki4u
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儒教の影響です。 論語に、十有五にして学に志す。とか三十にして立つとか、年齢刻みの教えがあります。 キリスト教や仏教にはそのような教えが教典にありません。 しかも、江戸時代には論語を素読することが、武士階級に取っての基本的な教養となりましたので、物事を考えるときに、常に年齢のことを言うことが「不思議にならない」状態になりました。 んじゃ日本が変か?と言えば、キリスト教国家の英語圏では OH MY GOD と、ちょっと驚くだけで神様を呼んだり おはようございます が GOOD MORNING < 朝に神があなたとのもとにいらっしゃるように と、毎日神様を唱えています。日本人にとっては、異常です。 慣習というモノは、だいたい そんなものです。
- t78abyrf9c
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#4です。 日本の場合、仏教よりも神道の歴史が長く、その影響が根強いのではないかと思います。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E9%81%93 私的な想像ですが、江戸時代以前の日本は、差ほど年齢に拘ってなかったと思います。 明治以降、欧州から「社会」を取り入れたものの、それを作り上る背景となったキリスト教まで取り入れる事が出来ず、「個人」の確立に至る事が出来なかったので、肩書きや年齢の「外枠」的なものに拘る結果となってしまったのではないかと考えてます。 ちなみに、江戸の商人の間で「江戸しぐさ(繁盛しぐさ)」というものが伝えられ続けていたのですが、 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E3%81%97%E3%81%90%E3%81%95 その教えの中に、「三脱の教え。初対面の人に年齢、職業、地位を聞くな」 というのがあったとの事です。 http://www.asahi-mullion.com/mullion/column/edo/60412edo.html http://www1.seaple.icc.ne.jp/t-hirose/text/edoshigusa/edosshigusa.html
- t78abyrf9c
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年齢に対して拘りが無い国は、キリスト教の影響が大きいのではないかというのが私の考えです。 日本を含み、年功序列を重視する国では、キリスト教の影響が希薄だと思います。 http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002046.html http://www.pat.hi-ho.ne.jp/nobu-nisi/kokugo/seken.htm http://blog.goo.ne.jp/kaetzchen/e/a07b5fba342db1d008aa18d35e6f8237 http://old2.josuikai.net/josuikai/21f/main53-1.htm
- debukuro
- ベストアンサー率19% (3634/18947)
歴史の長さが影響していると思います。
補足
ありがとうございます! 歴史の長さの違いですか、、 すみません(><) 歴史の長さでどの様に変わってくるのか、もし良ろしかったらもう少し詳しく教えて下さい!!
- uskt
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質問者様のおっしゃる「海外」というのは、どこでしょうか? 日本以外のすべての国がそうだったのでしょうか? 中国を中心とする東アジア圏では、老幼の序というものが、社会秩序の中でも重視されているとともに、「四十にして迷わず」などの語に象徴されるように、年相応の個人のあり方を追求する哲学が、文化として根付いています。 このようなことを背景に、年齢とその人の環境を関連付けて考える文化が構成されてきたのでしょう。 日本がそういう文化であることは、上述のように、特に特殊なことではありません。逆に東アジア圏の人から見ると、高齢者に向かっても呼び捨てにするような文化は、ずいぶんおかしいわけで、そうなったのにはどういう理由が?と不思議に感じられることになります。 日本だけが特殊、欧米が標準という考え方では、海外に行っても視野を広げたり文化を理解する際の妨げになることもあるので、あくまで「違っている」ということでいいのではないかな?と思います。
お礼
とても分かりやすいご回答ありがとうございます! そうですね(^^)同じアジア系の方達からは日本の感覚と近いものを感じました! アジア圏にある様な、年上の方を敬う文化はあまり欧米には見られないものですよね。 その様な思考はやはり仏教から来ているのでしょうか? 調べてみたいと思います!
- trickstar2
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日本人だから歳を気にすると言うものではなく、比較的多い(比較というからにはその対象が必ずあるわけです)というだけだと思います。 日本人は古来から"ロリコン"です。 戦国時代などは、女性では13~15歳で結婚するのが当たり前でした。 また20歳前半で出産するのと、30歳後半で出産するのとでは危険度の違いが医学的に明白ですから、若いうちに結婚したほうがリスク回避できるというメリットもあります。 話がそれましたが、これは差別というものに値せず、その国の文化に過ぎないと思います。 太った女性を美しいと言う国もあれば、若い女性を美しいと言う国もあるでしょう。
お礼
ありがとうございます。 女性が妊娠しやすい年齢は15歳がピークで、そこから年々確立が減っていくとゆうのを聞いた事があります! もしかしたら日本の大昔の人もそれを知っていたのかも知れないですね(^^)? でも中世ヨーロッパでは17~20歳が結婚適齢期だったようなんです(><) その国の文化の違いなんでしょうが、、 不思議ですよね(^^;)
お礼
ありがとうございます! 貼って頂いたホームページの文献、とても面白く拝見させて頂きました。 キリスト教と仏教の教えの違いのようですね。 ここに書かれている内容では、一個人と世間との関わりあい方の差が、キリスト教と仏教とでは違うようですね。 仏教では、人はあくまで生命体の一つにすぎなく、特別なものではない。おごり高ぶる事がないように。 という教えが元にある様な気がします。(私は仏教徒でないので、もし違っていたらすみません) その教えを考えたら、世間と共に自分がいるという意識でなく、世間の中に自分がいるとゆう意識が生まれた理由が納得できました。 宗教って、面白いですね(^^)