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将棋の棋聖戦って、昔は何故1年に2期だったのでしょう?
素朴な疑問ですが、 将棋の棋聖戦は、現在は他のタイトル戦と同様1年1期ですが、 昔は何故1年に2期だったのでしょう? 理由若しくは背景をご存知の方、お願いいたします。
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棋聖戦は2期行われていた当時は前期・後期といっていました。 開始当時から2期だったわけですが、当時主要なタイトル戦は2日制。 しかも名人戦などは7番勝負。それに比べ棋聖戦は1日制で5番勝負。 なら釣り合いを取るため1年2期制にしようという流れになったと思います。 それならば2日制にして7番勝負にすればいいじゃないかと思いますが、 一説では升田先生のために設立された棋戦だというのです。 升田先生はもともと頑丈な方でしたが、戦争で体をこわされました。 陣屋事件の頃はその影響が出始めていました。 それで1日制で番勝負も短い方が先生有利という理由です。 産経も関西なら升田先生も関西。とりあえず辻褄は合いそうです。
お礼
ほー それは興味深い説です。 棋聖戦が始まった1962年度から1966年度までのタイトル保持者(王座戦を除く)は、大山27、二上2。 棋聖戦だけ見ると、大山8、二上1。 大山先生が圧倒的に強く、二上先生が孤軍奮闘でしたね。 升田先生のタイトルは1958年度の名人が最後ですね。 棋聖戦も、当時は結局大山先生のためのタイトルでしたか。 皮肉ですね。 ありがとうございます。