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(茶道)内弟子を何故「業体」と呼ぶのですか
出典(千 登三子著「若水のこと」) これで大福茶が点てられ、一家一族、業体(内弟子)一同と共に新年を祝うのは年毎に心があらたまることである。 これで見ると、茶道の世界では「内弟子」を「業体」と呼ぶようです。 ア) 家元の内弟子だけを「業体」と呼ぶのですか、家元の家への住み込みでなくても内弟子は「業体」と呼ばれるのですか。 イ) 茶道に無縁の者には「内弟子」と「業体」は結びつきません。何故「内弟子」を「業体」と呼ぶのですか。 ウ) 内弟子は色々な分野に居ます。茶道以外にも「業体」と呼んでいる世界がありますか。 毛色の変わった質問ですみません。よろしくお願いします。
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正しくは 業躰と書きます。茶道裏千家流以外には内弟子を意味する この名称は使われていないと思います。住み込みとして お家元の元で厳しい修行を経て後 お家元の名代として茶道の指導に当たられます。道学実を兼ね備えられた茶道の達人です。
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- sbchakichi
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ア) 千家流で言えば免許は皆伝ではありません。相伝です。ある一定の所に達しますと そこから上の奥義はマンツーマンで教授されます。それによって家元制が保たれているのです。ですが修行している全ての内弟子が業躰になるとは限りません。 イ)お家元と業躰の立場は あくまでも お家元と弟子の立場で 同格と呼ぶのは憚りますが ”順ずる境地”というならそうなるかもしれません。内弟子修行を経た後に業躰として人品器量技量共に的確でなければ名代は勤まりませんね。
お礼
2-1 皆伝と相伝の使い分けには無神経でした。相伝と言い換えます。失礼しました。全ての内弟子が業躰になるとは限らないことも理解しました。 2-2 >>お家元と業躰の立場は あくまでも・・・勤まりませんね。 分かりました。門外漢にとっては家元とであれ業躰(呼びつけみたいだが失礼でないのか?)とであれ等距離ですから、如何にも両者に落差があるような表現はできません。「準ずる境地」は、これでも工夫した積もりです。 再度のご回答を有り難うございます。30日(月)24時までに何方からも新たな寄稿がないときは締め切ります。
お礼
1 質問のア)、ウ)について。 免許皆伝とでも言ってよいのでしょうか、過去に裏千家流家元で内弟子修行の経験があって家元の名代としての有資格者と、現に裏千家流の家元で内弟子修行中の方(の全員か一部)の呼称と理解しました。この理解で許されれば質問のア)とウ)は解決しました。 2 質問のイ)について。 「業躰」は「内弟子」とイコールなのではなく、裏千家流の茶道の維持や発展のために活動する人々のうち家元に準ずる境地にある方々とイコールなのだと理解してよいですか。この理解でよければ国語辞典にある「業体」の意味に結びついて人間を業躰と呼ぶことにも納得がいきます。 1、2の理解が許容範囲に入っていれば、ご返事は不要です。許容範囲に入っていなければ、お手数ですがご返事を下さいませ。 こうしたシステムでの質疑の制約上、勝手ながら30日(月)24時までに何方からも新たな寄稿がないときは1、2が許容されたと思ってしまうことにします。 ご回答、有り難うございました。勝手を言って済みません。