※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:花魁道中について)
花魁道中についての疑問
このQ&Aのポイント
吉原についての小説を書いている際に、花魁道中についての疑問が浮かびました。
江戸時代の花魁道中は、遊女が妓楼から引手茶屋に迎えに行く行列のことを指します。
しかし、引手茶屋で宴会を行うのか、妓楼は床入りのみなのかについて分からないです。また、客も一緒に花魁道中をするのかも疑問です。
今、吉原についての小説を個人で書いています。その中にどうしても?なことがあり、ご存知の方にお答え頂きたいと思い投稿しました。
江戸時代の花魁道中とは、トップクラスの遊女が妓楼から、馴染み客のいる引手茶屋に迎えに行く途中の行列の事を言うそうですが、引手茶屋で宴会をするんですか?妓楼では宴会しないんですか?妓楼は床入りのみですか?
それと、引手茶屋へ客を迎えに行って妓楼へ戻る時はまた花魁道中するんですか?客も一緒に??
この辺りのことがはっきりと分かりませんので、何か以上のことが詳しく載っているサイトですとか、ご存知の方がいらっしゃったら是非教えて頂きたく思います。 宜しくお願いいたします。
お礼
somikakudaさん、こんにちは。うわ~、こんなに詳しく書いていただいて本当に有難うございます^^とっても分かりやすく、参考になります。では、もう一つお尋ねしたいことがあるんですが、私の書いている小説は江戸中期(天明です。1784年くらいです)の吉原なんですが、その頃にはもう「揚屋」は廃れたと書いてありますね。すると、置屋(これはいわゆる『○○屋』などと呼ばれる妓楼・遊女屋のことですか?)から引手茶屋に花魁道中をして、その引手茶屋で宴席&床入りをするという流れは江戸中期も変わらずだったのでしょうか?私のイメージではどうも引手茶屋はお客と遊女の仲介所(精算をしたり)で待合室であり、そこへ花魁が迎えに来て宴席のあと遊女屋(つまり置屋?)へ戻って床入りなのかなあと思っていたんですが、そうではなかったんですね? 歌舞伎の助六では意休が三浦屋(多分、置屋ですよね?上記にあるように置屋ではお客は遊ばないはず・・・)で遊んでるので、これはどういう事なのかな?と疑問に思っています。 ・そもそも遊女屋=置屋と思っているのは間違いなんでしょうか? http://www.jti.co.jp/Culture/museum/tokubetu/eventSep02/yosiwara_2.html ↑ ここの説明によると遊女屋でそのまま上がっちゃう客がいたり、遊女屋に宴席の間などがあったりしてて、遊女屋でも客が上がって遊べたのかな?というイメージがあるのですが・・・う~~ん頭がこんがらがってきました><馬鹿ですねわたしは^^;すみませんこんな馬鹿を相手に>< somikakudaさんの文章を読んで大方分かりましたが、細かい質問で申し訳ありませんがシステムがちゃんと分かっていなかったものですから、再度質問をさせていただきました。宜しくお願いしますm(_ _)m