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普通でいる事ができなかった

21歳です。 普通でいる事が長い間できなくて苦しんでいました。 普通に継続的に人間関係を続けていく事。普通に学校に通い大学受験をする事。普通に恋愛をし彼女を作ること。普通に友達と接し遊ぶ事。 ほとんどすべての事が僕には「欠落」しているように感じます。高校は休みがち。継続的な人間関係を作るのは罪悪・偽善、彼女を作るのは弱者。普通に大学受験をするのは、芯の無いだめ人間。(大学受かっちゃったけど)変な思い込みに息が詰まりそうだった。 今では普通に過ごすことができる様になりました。でも、その「欠落」している期間が悲して仕方ないときがあります。今まで一度も彼女を作った事がない、継続的な友達も極端に少ない。みんなで旅行に行くという経験もない。 その代わりに、アフリカ行ったりアジア行ったりしていました。でも、ちょっと楽しいけどやっぱり少し逃避の要素も所含んでる。普通に夏海とか行って遊んだりもできたらしたかった。 普通はない。といわれるかもしれませんが、だいたいの事はみなこなしますね。普通に。個性的な人などほとんどいないんではないでしょうか? 「ボーダーライン」であったと思います。 僕の人生の大部分を占めるこの「欠落」をどう捕らえればいいでしょうか???

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • dareka
  • ベストアンサー率17% (10/57)
回答No.5

どうしてそんなに「普通」でなかったことに苦しみを感じていらっしゃるのでしょうか? 過去のことをそんなに「自分が普通にみんなと同じようにできたらよかったのにな」って今になって後悔しても、時間がもったいないとわたしは思うのですが。なんてえらそうなことを書きましたが、わたしも高校生のときはよく休んでました。 高校も1年のころは「普通」に楽しくすごしていましたが、1年の終わりごろから精神的に破綻してきて2年のころはほとんど学校でひとりですごしていました。(女の子なのに・・) あなたがいわれるところの欠落している期間です。でも別にこのころのことを後悔はしていません。そんなこといまさらどうでもいいし。(今とってもしあわせに暮らしているから) 最近いろいろな本を読んで思ったんですけど、人生いろいろなことありますけど、それに対して自分がどう思うかが問題なんだなぁって。 >僕の人生の大部分を占めるこの「欠落」をどう捕らえればいいでしょうか??? っていわれても・・。自分でどう捕らえるか、もう今きめてるんでしょう? それとも他の人にどう思えばいいかきめてもらってそう思うつもりですか? 今はあなたがあなたについて思っていることが自分でなんかスッキリしないかんじなんでしょう?ま、そんなに深刻に考えなくてもいいんじゃないでしょうか?それか、とことんつきつめて考えてみて、ずーっと考えてみて、納得いくまで考えてみたら? あなたのほかの質問すこし読ませていただきましたが、いろいろな国に旅行されたりとても有意義な素敵な人生を送っているようにわたしには見えます。 まだ21歳なんだから、これから友達と旅行に行く機会なんかいくらでもあると思うし、海ぐらいこの夏いけばいいし、彼女もこれから作ればいいし、今の友達とずっと長く仲良くすればいいのでは?

Evianus
質問者

お礼

返答ありがとうございました。 ほかの人がどう思っているか聞きたかったんです。 とても明るい回答ありがとうございました。 元気がでました。

その他の回答 (8)

  • pa-ko
  • ベストアンサー率16% (1/6)
回答No.9

こんにちわ。まだまだこれからいっぱい色んな経験をしてみたら考え方もかわっていくかもしれないですよ。(ぜんぜん答えになっていなかったらごめんなさい) 私は大学に行きましたが、心の病気を少しもっていて日差しを浴びることが極端に抵抗があるので、友達と海も旅行もスノーボードも雪の反射が抵抗があり行けません。 仕事もなかなか精神的に辛くて辞めました。彼も近くに寄られると抵抗があるため お付き合いもする気になかなかなれません。 仕事も出来ない、旅行も行けない、ご飯も普通に食べられない、彼氏も作れない、私はそんなんだけど自分のこと今は普通だと思っています。 もちろん以前は普通に生まれて普通に生きたかったと思っていたけど・・・。 でも人間っていろいろだから!確かに私は皆が当たり前に出来ること(ご飯を食べたりね)が出来ないけど私が人より優れているとこもあるし。 大丈夫!!自分を否定しないで!これからこれから!! 私も負けないでがんばるよ

Evianus
質問者

お礼

返答ありがとうございます。 そうですね。いろんな人がいるし、みんな生きていく条件は人それぞれなんでしょうね。自分で気づかない自分のいいところもあったりするかもしれないし。 普通なんて存在しないんだし、そんなことで毎日劣等感を増していたら損ですね。どう人生を生きようと考えても、自分以外の視点で人生を眺めることなんて不可能ですもんね。だから、自分の人生をこれから少しでも豊かにしていこうと思いました。 なんだか、とても勇気付けられました。ありがとう。

  • ran-chang
  • ベストアンサー率24% (12/50)
回答No.8

「普通」って、なんでしょう? みんなと同じということ? 周りに捕らわれすぎていませんか?

Evianus
質問者

お礼

返答ありがとうございました。 「普通」であること…。 過去、「自分は普通ではない」との思い込みが強すぎて、そのまぁ言ってみりゃあ幻想の「普通」から逃れようとすればするほどその「普通」という考え方に縛られていたんだと思います。 「普通」に対して、僕の意見を完全に論理的ではないですが、下記のお礼のところに書いています。もしよろしければそちらの方も見てみてください。 返答ありがとうございました。

回答No.7

ふふふふ。その気持ちが「若さ」というものよベイビー。 普通じゃない自分をステキと思うなら、その方向へ突っ走ればいいと思う。 他人に迷惑さえかけなければ、どんな生き方だって、あり。 その感性が満足する方向を探してみて。 与えられた時間には限りがある。やったモン勝ちだもの。

Evianus
質問者

お礼

不適な笑み。素敵です。 そうですね。 自分の判断でできることをやって、それでだめならいいでしょう。というのが、19歳くらいに決めたことです。価値の基準を他人に求めないで、自分の過去の少ない経験やその時々に成長していく将来の自分に立脚させようと奮闘しています。 こう考えたら、普通って別にたいした問題じゃないんですけどね。たまにちょっとさびしくなります。 仲間はずれみたい…。

noname#5767
noname#5767
回答No.6

再登場ですが・・・。 21でしょ?なんか若いのにもったいないですよ。もっと自分の心のままに行動すればいいんです!思った事を自分の言葉で言えばいいんです!もっと単純に生きていればいいんです!迷惑かけてもいいんです!犯罪以外だけど(笑)熱い人間になってくださいね。。。

Evianus
質問者

お礼

返答ありがとうございます。 燃料たまったんでいつでも、出発できる状態です。エネルギーは十分です。後は、やること=最低限のこと(今取り組んでる学問単純に言って卒論)をこなし、その後はまたその後熱く行きたいと思います。 こういうのが最近の考えの基礎かなぁ。

回答No.4

普通でいることってなんだろう?あなたは「欠落」しているっておっしゃっていますがこの質問を読む限りでは、「欠落」してなんかないと思います。 NO2の方の言葉どおり、人生は一人一人違うんですもの。 私も、学校休みがちだったし、友達は決して多いほうでもなかった。彼がいない期間も長かったし。もちろん、大勢の友達でどこかへ行った経験も数えるほど。 そんな自分がいやで仕方ない時期があなたのようにあったのです。 今になってみれば、「ああ、なんて贅沢なことで悩んでいたのかなあ?」と思えます。 学生さんのようなので、今はご自分のことで大いに悩んで結構だと思います。 就職して社会人になり、人生のパートナーに出会い結婚し家庭を持てば、今悩んでいることよりもっと面倒な悩みがいっぱい出来ます(笑) 人生は彼女いるいない、友達多い少ないなどで決まるものではないと思います。 いかに自分をよりよく生きていくかだと思います。 ご自分の生き方に誇りを持って下さいね。 えらそうなことばかり言って申し訳ありませんでした。

Evianus
質問者

お礼

返答ありがとうございます。 そうですね。自分の人生に誇りを持つことが大事ですね。僕もわかっているつもりです。 でも、どこかで「普通」と比べてしまっている自分を発見してしまいます。 「普通」なんて幻想なのに…。 天邪鬼なんです。皆さん「普通なんてないのよ」といいながら、最終的には「結局普通(??)がいいのよ」といわれます。

noname#5767
noname#5767
回答No.3

あなたは別に普通だと思いますよ。その普通を意識してもねえ。あなたの言う欠落?とは皆持っているもんです、ただ、それはあなたが感じているように弱みとなるので、他人は自分を守るために胸の奥にしまい込んで見せようとはしない。だから見えないだけの事です。結果自分は普通ではないと?むしろあなたが普通なんだと思ってみてください。 んー、あなたの欠落は不完全燃焼なんでしょう?だったら何かを完全燃焼させることが出来ればあなたの何かが変わるのではないでしょうか?また、これだけは曲げられないというモノが一つでもあれば、あなたの個性が際立つと思いますよ。

Evianus
質問者

お礼

そうですね。僕も自分が普通だと思いますよ。 でも、ちょっと得意になっていたところがあるかもしれない。意味がわからなくランボー(フランス19世紀の詩人)の真似をして狂気を装って街道を歩いてみたり、現実への過度の不信から言葉が一時期しゃべれなくなったり、他人がみな自分のあら捜しをして噂話をしているという幻想のようなものを抱くという経験をする人はあまり多くは無いと思っていたから。(高校時代です/書かなかったけど) なんだかんだ言ったって、普通に落ち着く。僕も普通だし、普通に落ち着けばよかったものをそこに落ち着けなかったんですね。馬鹿だな。自分の天才みたいなものを信じようとしていた。ちっぽけな自我です。自尊心の塊でした。妥協は死だと思っていた。馬鹿だ。たいした個性も無いのに。 実際、あなたはフォローしてくれていますが僕に個性なんて特に無いですよ。 でも、僕は自己中心的だと思うから、他人がみな何か心の中に弱みを抱えているというところは「あぁ!」と納得しました。他人のことに気を配る事は大事です…。 返答ありがとうございました。

回答No.2

僕は人生に「普通」とか「一般的」なんて言葉はないと思います。 「人生は10人10色(じゅうにん、といろ)」なんです。 今までいろんな思い込みをしていた分が解消されつつあるならOKだと思います。自分の他の人と接する機会が多くなると影響される部分も多くなります。嫌な面もありますが、良いこともある。 自分が経験できなかったことを、他人の経験を知ることで、疑似体験することも必要です。人生の中ですべてを体験することなどできないのですから。それには、人の話を聞いたり、本を読むことが必要です。 人生の中で、自分にとって無意味な時間を過ごしたと言って後悔する必要はないのです。たとえ「無」の時間があったとしても、それは「無」ではなくて、意味がある時間なのです。 僕は今、30才ですが、友達は高校の時からの親友が2人。親友と言っても会うのは年3回。メールでやり取りはしてます。友達は少ないです。むしろ、親友だけ居ればいいと思ってます。彼女も本当に相思相愛したのは、1人だったかな。海も憧れていたけど、いかなかったし、自分なりに拘りがあったと思うんです。それは、それで後悔してないし、それが自分の生き方なので、Evianusさんにとっての生き方を再認識すればいいのではないでしょうか。 Evianusさんにとっての「欠落」部分は、これから生きる上で、それを補う生き方なのか、そのこだわりを伸ばしてゆくのか、やっぱり自分で考えて行かないと答えがでないでしょう。「人は何故生きているのか」などをじっくり考えるのもいいと思います。 くれぐれもアドバイスしますが、「意味のない時間はありません」。その時間を有意義な考え方に転換できれば、いいと思います。

Evianus
質問者

お礼

返答ありがとうございます。 「意味の無い時間はありません」とても難しい言葉のように感じます。でも、空白の時間がそれとして重く今の人生に影響を与えているという点では、僕にとってあの空白は意味があったといえるのかもしれません。でも、もしかして勝ち得たかもしれない、本当に選択支の一つとしてあった「幸福な過去」(こんな事あんまり考えてもむだかも)と比べた時、やはりむなしさを禁じ得ません…。 -------------------------------------------------- 《すいません・少し語らせてください》 過去、例えばクラスの人などが一般的な普通である価値観を表現して闊歩している時期があると思うんです。高校生くらいまででしょうか?tvのアイドルや、愛や、友情などの作られた幻想、楽しい学生生活…etc. それに対抗するすべを持たない人々は「普通」という、化け物に飲み込まれてしまう。(僕)「普遍的」な価値観が力を持つ時代。 でも、本当の価値観というのは僕もそう思うけどやはり、経験として一つ一つ学んでいかなければならないものです。そして、その人の経てきた過去によりその人の価値観が決定されるのです。でも、いまだに世間一般の「普通」の価値観の強さを振り回している人を多く見かけるような気がします。否、それは実際は少ないのかもしれませんが、過去のその自分の中に「普遍性」に対抗するものを見出す以前にそれに飲み込まれてしまった悪夢が僕の目の前にまた襲ってきて、まったくこっけいですが、本当に怖くなってしまうのです。それは僕に、僕の人生は空白だといいます。 ちょっと弱い自我(かなぁ)を持った僕でした。きっかけ。(あと、微妙にナルシシズムを持った僕でした。すいません。でも、ちょっと伝わりませんか?)

  • jun95
  • ベストアンサー率26% (519/1946)
回答No.1

文学は、その作家の「欠落」から生まれていることも多いです。芥川龍之介の実質的処女作「老年」は、彼が幼少のときおかれていた事情から生まれたものです。 また、美術でも、ムンクは、得られなかった恋人を何度も描いています。 NHKスペシャルで放映された「奇跡の詩人」にでてくる日木流奈は、話すことも動くことも何も出来ないのに、子どもでは考えられないような「奇跡」のような書体で詩やエッセイを書いています。 「欠落」は、すくなからずの人にあるのです。それを忘れないからこそ、優しくなれるのです。完璧な人は、人にもそれを求めますし、なんで、そんな簡単なことが出来なかったのかと笑うでしょう。

Evianus
質問者

お礼

返答ありがとうございました。 >完璧な人は、人にもそれを求めますし、なんで、そんな簡単なことが出来なかったのかと笑うでしょう。 目からうろこです。確かにそうですね。 自分で言うのもなんですが、変ですが、僕も最近何かできない人に対しやさしくなっている自分を発見する事があります。そして、それが別に心に負担として(我慢して)のしかかるわけでもなく、自然にしているのです。 あぁ、自分で言うのやっぱなんかへんだな。まぁ、いいや。とりあえず、過去の自分と比べてです。まだまだ、僕は小僧っ子です。 でも、ちょっと前までその欠落が怖くて怖くて、夜も眠れなく、真っ暗な穴に落ちていくような感覚を長い間持っていたこともあるんですよ。心臓が爆発するかと思いました。

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