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大人の人が若者に対して「情けない」と言う心理は何を意味するのか
- 大人の人が若者に対して「情けない」と言う心理は、ルサンチマンの心理である可能性がある。昔の大人が努力してきた経験からくる評価基準との乖離を感じ、自身を肯定するために若者を貶めることで安心感を得ているのかもしれない。
- 大人の人は若者に「情けない」と言うことで、自身の努力の価値を示し、伝えたい価値観を伝えることができると思っているかもしれない。しかし、それは他人を否定して自身を肯定するための手段であり、質問者はそのような評価基準に疑問を抱いている。
- 若者に対して「情けない」という心理はルサンチマンの心理に起因している可能性があると質問者は考えている。昔の大人が努力してきた経験と、現在の若者の生き方との乖離が、大人を不安にさせているのかもしれない。この乖離に対する不安を解消するために、大人は若者をけなして自分を肯定している、というのが質問者の見解である。
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質問者が選んだベストアンサー
> 努力のほうに若者を向けたくて言っているのかもしれません。でも、少なくとも僕はその言い方に健全ではないものを感じ取ってしまいます。それは怨恨ではないか、というのが質問の意図です。 では、逆に伺いましょう。 あなたが、「大人」に対して、「大人の人が若者に対して『情けない』という心理はルサンチマンでしかない」と、いうのは、あなたの「ルサンチマン」でしかない、という、私の仮説に、あなたはどうお答えになるでしょう。 http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A5%EB%A5%B5%A5%F3%A5%C1%A5%DE%A5%F3&search_history=&kind=&kwassist=0&mode=0&jn.x=43&jn.y=14 要するに、あなたの言っていることは、そのままあなた自身のやっていることに当てはまります。あなたが、その「大人」の言辞を「ルサンチマン」というのであれば、あなたの言っていることこそ「ルサンチマン」のカタマリのようなものだし、「若者とか言って一緒くたにするんじゃねぇよ」と思うのであれば、それは「大人」と一般化してこの「質問」をしている、あなた自身に言えることです。 あなたの、「補足」に対して回答するならば、あなたのいう怨恨、「ルサンチマン」を溜め込んでいるのはあなたのほうです、ということになります。 私も多くの回答者と同じように、あなたは哲学的な思索により、一般的な問いとしてこのような「質問」をしているのだと思っていたのですが、特定の「大人」の、特定の発言に、単に腹を立てているだけのようですね。少々用法がおかしいとはいえ、「ルサンチマン」などという、いまどきの若者には珍しい、哲学的な言葉にちょっとだまされていたようです。 あえてもう一度申しますが、あなたのその「若さ」を、そのような「ルサンチマン」のために、こんなところで牙をむいて浪費しているとは、大変に惜しいことです。それこそ、なんと情けないことか。
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- anachronism
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> 大人の人が、若者に対して「情けない」とその言い方で言う心理は、ルサンチマンの心理でしかないか。他に何かあったら教えていただきたいと思います。 本当に情けないから。 ただ、その「感想」を素直に述べているだけで、それ以上でも以下でも無いでしょう。情けないものを情けないというのに、それ以上に理由など必要ないでしょう。 だって、あなたを見ていると本当に情けないですもの。 どう情けないかは、これまで言ってきたとおりですけれど、なにより、この情けなさに気づきもしないあなたがとても情けない。 > それをルサンチマンという言葉で本当に勘違いさせてしまったのなら、僕がこの言葉をつかうべきではなかったんだと思います。 と、いっておきながら、なぜ、冒頭に引用したような質問を再掲するのでしょう。ぜんぜん反省しないのが、またあなたの情けないところです。 > 伝えたい価値があるのなら「情けない」と言うことによってではなく、その伝えたい価値を語りだせばいい。 なんと甘ったれた物言い。 あなたが「情けない」と言われるその理由を、己が未熟により理解できないのを、その言葉を発した側に責任を転嫁しているだけです。 私も、最初はあなたが「お若い」と思っていたのですが、飛んだ見込み違いだったようです。 あなたの物言いは、聞けば聞くほど、若いというより単に「子供」です。「子供」が、聞きかじりのちょっとかっこいい言葉で自分が偉くなったように錯覚して、しゃあしゃあと、えらそうなことを言っているだけ。それこそ、そんなあなたや、あなたのような若者たちに誰も「ルサンチマン」など溜めはしません。 大人が、若者をうらやむのはたしかです。しかし、それは若者らしいがむしゃらさ、気概、「なにくそ」と思って何度でも立ち向かう活力、無限の可能性などであり、あなたが思っているような、「ゆるりと生きている」若者とは、全く逆の「若さ」です。むしろ、「大人」が逆立ちしたって取り戻せないせっかくの「若さ」を、のほほんと「浪費」しているとしか思えない、そんな若者に対して発せられる言葉こそ、「情けない」でしょう。 せっかくですから、ニーチェの言う「ルサンチマン」とはなんなのか、「超人」とは何なのか、この際、よく調べてみたらいいと思います。それで、今度こそ本当に「大人」をギャフンと言わせればよろしい。 あえて厳しく言いますが、そんな「子供」は早く卒業して、早いところ、「若造」まで成長してください。大人を批評するのは、それからです。
- iia_aij
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>情けないと言う大人が楽をしている子供を実は羨ましいと思うところがあって、 ないです。哀れに思うだけです。 >でも今の自分から抜け出せない状況があるから「子供は情けない」と言って見下して優位に立つ。 順序が逆。 今の自分で満足しているから(少なくとも「情けない」と思う対称に関しての社会的価値観に合致する)、優位に立つことができ、見下して「若者(18才以上?)は情けない」と言う。
- himit
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質問者さんが、年配者に「むかっときた」のは、おそらくイメージとして持っている「年配者」に対する敬意の表れと、目の前にいる年配者にそれを裏切られたショックではないですか?あなたはとても真摯な若者のような印象を持ちました。 私は30代前半ですが、40代、50代の人間に対して、20代のころは畏怖と尊敬の念しか持っていませんでした。当時は自分に力がなかったから、大人のすることはすべて自分より優れていると思っていたからです。信仰に近いものがありました。しかし、今は尊敬できる面と、そうでない面の両面を見ることができます。これは私自身が成長したからでしょう。 あなたも、もし今小学生ならば意味も分からず「怒られた」としか思わなかったでしょう。 年配者であっても、伝える技術の稚拙な人は多いです。情けないと思った相手に「情けない」と言っても、不快感しか与えません。「ああ、自分は情けないのか」と受け止めるのは、ある意味ではバカです。思考停止状態だからです。むしろ反骨心を持っているほうが、今は立場的に不利であっても将来必ず大きく成長できるでしょう。また、「情けない」相手に向かって本当に「立派になってほしい」と思う気持ちがあるのなら、相手の精神をゆさぶるような問いかけをするべきでしょう。優れた師は、たった一言であっても、相手にとって考えさせる深い「言葉」を発します。 「情けない」という言葉を浴びたからと言って真に受けるのではなく、発した人の良いところはどんどん吸収し、よくないところは受け流しましょう。
- sach127
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No4&No8です、No9さんへの回答を参照させていただきました。 一般的事象としての質問として捕らえていましたが質問者さんの個人的な 経験に対しての事だったのですね。 ではより簡単な話です、質問者さんの言われるように「情けない」 と切り捨てた先輩は確かによりもっと適切な言葉があったでしょうね。 その意味ではその先輩はあまり大人として成熟しきっていない もしくは今時の若者の意識を高揚させるのには精神論的なものが あまり価値を持たなくなっている事を理解できていないだけでしょう。 昔の人なら反骨精神と言うか、たたいて・追い込んで反発心から 成長を促すと言う形でしたが、今はほめて・おだてて伸ばさないと やる気を失ってしまうと言う人が多いというだけでしょう。 深く考えすぎです。
お礼
sach127さんのこの解答を見ていろいろ考えて初めてぐっと来ました。 大人の人は若いときに若者を奮い立たせる為の方法として「情けない」ということを言われてきて、実際自分が大人になって何かを若者に言うときに「情けない」という言葉しかもっていない、という一つの答え。 今の若者は大人とは別のところにいるというか、怒られても気にしないみたいなところがあって、「情けない」なんて言ったところで僕みたいな頑張らなくてもいいじゃんなんて言う奴が出てきてしまいます。 伝えたい思いがあるのだったら大人の人はもう少し言い方を考えた方が良いですね。
shun6066さん独自の状況を強引に一般論にしてませんかね つまり仕事上で先輩おじさんに「近頃の若いもんは情けないなあ」と言われ、ムカッときて ほかに言い方があるだろ・・の状況ですかね 良い悪いなんかのジャッジなんかどうでもよく、その意地悪おじさんを改心させることもまず無理です つまり自分を変えてスムーズに世渡りするのか一番。 その意地悪おじさんの長年蓄積してきた秘伝を頂戴する為に、少しは彼を尊敬し、仲間に入り仕事や付き合い方を盗んで覚えることです 若いあなたが彼を追い越すのに時間はかからないと思いますよ。
補足
僕がこの質問をしたのはご指摘の通り先輩おじさんにムカッときて、他に言い方があるだろ、と思ったからです。 僕が大人にムカついているのはもしかしたしたら、自分が大人のような価値観から抜け出せない自分であることを知っていて、そんな自分から抜け出せない自分が嫌になっているからこそなのかもしれません。そうだとしたら、まあ、見下すというと言い過ぎですが大人の言うことから適切な距離を取れるように自分を変えると楽になれるような気がするし、彼らの良い部分を聞き入れることができるかもしれません。
- sach127
- ベストアンサー率22% (52/230)
No4です、ご回答ありがとうございます、私も少し大人気ない 質問をしました事お詫び申し上げます。 さて改めてご質問の >大人が若者に「情けない」というとき、若者に憧れているけどそういう >価値観を持つことができない自分を納得させているだけではないか。 と言う事への回答ですが、その側面を否定はしません。 前述の回答でも申し上げましたがやはりスタートラインが 優遇されている者へは年代関係無しに羨望はありませんか? はじめて投資をする人が2人いて初めから潤沢な資金を譲り受けた人を 自己資金ゼロから始める人がうらやむのは自然ではないでしょうか? ですがあくまで一側面であって「情けない」と思えてしまう部分も 否定できないと思います、それはNo6さんも言われている 現状維持には膨大なエネルギーが必要であると言う事実です。 同じ体験をしなくてもいいが過去を知ると言う必要はあります 出なければ現在の経済や科学技術がブラックボックス化してしまいます。 私もきちんとした資料を持っていないので確たることは言えないのですが かつて技術立国と言われた日本ですが理工系へ進む若手の方が減ってきて 金融系やサービス業へ進む方が増えているように見受けます。 事実、製造業は労力の割りに収入が伸び悩む業種ですしマスコミや 広告代理店・金融系やコンサルタントは労力以上に収入の伸びが 大きい業種と考えております。 ゆえにそういう方向性に流れるのはやむを得ないとも思えますが 肝心要の実体経済の底を支えている数um単位の分かる旋盤工や 0.1umの汚れが許されない半導体装置の溶接をする職人が いわゆる2007年問題、団塊世代の大量退職でいなくなり後継者不足が 大きな問題と化している事は事実憂慮すべき事実です。 新しい世代の人たちは前世代の人たちが培ってきたものを維持するために 全く別のものを同じレベルまたそれ以上のものを再度ゼロから 作り上げないと維持できないのです。 例えばトヨタは自社内の基幹システムの全体が分かる人間が誰一人 いないと言う事実を解消するために全てのシステムを捨てて 全社のシステムを全て捨てて300億の資金を投資して再構築したと 言う話も聞きます。 http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/OPINION/20060724/244158/ 「維持する」と言う事の重みを知れば安穏としていられないと感じます。 >最低限のことをしていれば世界は終わったりしない。 その最低限の事のレベルがあまりにも低いレベルだから情けないと なるのではないでしょうか、自分たちが前世代の遺産でまた 前世代が現役でいるからこそ維持できているのであって自分たちで 維持しているわけでないと言う事実を理解していない事への焦燥と やるせなさが「情けない」という言葉に表れているのだと理解します。
補足
僕が言葉を間違えました。 現状維持でいいじゃん、というのでもないんです。別に現状維持もしなくていい。堕ちるとこまで堕ちればいいとも思っています。日本は少なくとも今のように世界でトップクラスでいなくてもいい。 世界でトップクラスでいようとすることで何が起こってきたか。豊かになりはしたが、このすさんだ日本は何なのか。意味の無い物でも沢山売りさえすれば日本がトップクラスでいられた。豊かさを否定したりは僕はしません。でも豊かさを、豊かさしか見ないで努力するいるのはおかしい。 豊かさが達成されたとしても言われているほどの充実感はない。それは豊かさをを追求して、努力しなくなった子供達に「情けない」と言って情けない子供を承認することを拒絶して、結果、何も考えずに努力する大人を再生産してきたことによってではないか。 努力すること「そのものの意味」を、大人は語るべきだ、と思います。むしろ大人はこのことを言っているのだとも思います。でもそれを受け取る子供達は何も考えずに努力してしまう。僕自信が前まではそうだったから、そう思ってしまいます。 <自分たちで維持しているわけでないと言う事実を理解していない事へ <の焦燥とやるせなさが「情けない」という言葉に表れているのだと理 <解します。 大人も自分のコミットしている価値や事実に不安があるから「情けない」と言うのは納得です。自分より情けない子供に情けないと言って安心する。確かにこれは憧れ(ルサンチマン?)ではないですね。
- anachronism
- ベストアンサー率31% (186/591)
いやいや、お若い。30半ばの自分から見ても、うらやましい限りです。 価値観、というものはそれ自体は証明不可能なものですから、個々人がその人生における実体験から確立してゆくものであって、個々人の実体験の違いだけ、価値観も多様なものであるわけです。 ですが、それだけに、個々人が体験していないがゆえに気づかないこと、というのも多数あるのです。その意味において、酸いも辛いもかみ分けた年配者のほうが、「価値観」というものにおいてはそれがそれだけ多くの「実体験」に基づくものですから、そのぶんの確かさはあります。 年配者が若者に対して批判的に見たり、その価値観を否定することがままあるように、若者もまた、年配者を批判したりその価値観を否定したりするものです。 あなたのいうところの、「現状維持でいいじゃん」「別に努力しなくったっていいじゃん」「誰にも迷惑をかけていないし」というのは、現代に限らず、若い世代が抱きがちな価値観です。今、若い世代を「情けない」と言っている人たちにせよ、若いころはそんなことを言っていた人も少なくないでしょう。 とかく若い人は、自分ひとりで生きていると錯覚しがちです。若いうちは「努力しなくても生きてゆける」のは、その人以外の誰かが、その人の分も努力しているからであり、そういうことにとかく若い人は気づかないということです。一言でいうなら、「まだまだ青い」のです。 でも、人はいつまでもそんな甘い幻想には浸っていられません。若い人もいつか、己の無力を思い知り、人の恩を知り、人と人とが支えあい生きている今の世の中に気づいてゆきます。大人がいくらそういうことを言ったところで「奇麗事」とか「勝手な価値観」とか、「若さへの羨望ゆえ」とかいって切り捨てていたそういうことに気が付いたとき、人はある意味「大人」になってゆくわけです。 もっとも、自分たちがそうであったということは、本人たちも忘れてゆきます。ですから、年配の人たちも自分たちがそんなだったときを忘れて、若い人たちが自分勝手に生きてゆく様を見て、「情けない」と思うわけです。もしくは、重々承知していても、あえて若者を発奮させたくていっていたりもします。 私も、今の若い人たちにはできるだけ早く、そこに気づいて欲しいと思います。ですが、いくらその反例を挙げたところで、成功、失敗の双方において実体験がまだまだ希薄な若い人には、なかなか理解できないことです。「努力をしなければいけないことを論証できない」のはあたりまえで、これは論証されることではなく、悟ることです。時間だけが解決してくれますが、たしかに、昔の人に比べて、最近の若い人たちはそれに気づくのが遅くなったのではないかとは思います。その理由はいろいろあるでしょうが。 まとめると、年配者が若者を「情けない」と思うのは世の常だし、またそれを「若者を否定して自分を肯定して安心したいだけ」とか「ルサンチマン」というような言葉で切り捨てようとするのもまた、世の常です。もっとも、年配に反発するのも若者の特権なれば、それもまた善哉。世の中はそうやって、良くなってゆくのでしょうから。 情けないといわれて腹が立つなら、「なにを、お前らにこんなことはできねぇだろう」というようなことをして見せるのもまた良し。そこをこらえて年配の言うことにしたがってみるのもまた良し。ですが、せっかくの若さを、年配へのそういう愚痴で浪費するのであれば、それこそもったいないことです。(それこそ、年配への若者の怨念、ルサンチマンといえるかも知れません) あなたの若さを、大事にしてください。まぁ、老婆心というやつですが。
補足
僕も自分のことを若いなあと思います。僕は、何も、知らない。 でも、大人の人が言いたいことは何となくは分かります。いろんなことを経験してきて、大切にしたい思い、充実した感覚を伝えたいのだろうというのも分かるし、僕はそれを伝えたいと思ってくれるのはありがたいとも思います。 でも、その伝え方として、それそのものを言う言い方でなくて、何故「情けない」という言い方、若者を否定する言い方でもって言わなければいけないのか、ということを知りたいんです。努力することが素晴らしいことを言いたいのなら、「努力は素晴らしい。実際努力してきてよかった。だから若者は努力するべきだ。努力を知らない若者は可哀想だ。」などと言えばいい。それを「情けない、若者はダメだ」と言って若者を切り捨ててしまう言い方をするのは何故か。その差は何なのか。 努力のほうに若者を向けたくて言っているのかもしれません。でも、少なくとも僕はその言い方に健全ではないものを感じ取ってしまいます。それは怨恨ではないか、というのが質問の意図です。 僕は中学校のとき結構強い強豪の厳しい部活に入っていました。その中で努力はやっぱり素晴らしいものなのだと思いました。大人の人から言わせれば足りないかもしれませんが、本当に何かを一生懸命やると気持ちが良かった。でも今の僕の母校のその部活はそれなりにやってる普通の部活になってしまっています。でもそんな後輩達に「お前らは情けない」なんて言いたくない。何だか可哀想な気がしています。何かを一生懸命るという、気持ちいいものを知らないから。 僕の言う努力が足りないもので、大人はもっと崇高な境地にいるのかもしれません。でも少なくとも、今の僕は、子供、母校の後輩に「情けない」なんて言いたくない。そのものの意味を伝えたい。
- iia_aij
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>向上心がなくてもいいじゃん、現状維持でいいじゃん、って これは矛盾します。 現状を維持するには、年を取るごとに、よりレベルアップする努力が必要です。 努力、克己禁欲によって自己を相対化させる中でないと、主体性を形成させることができません。
質問の背後には、「大人は若い時努力を強いられたが今の若者は好きに生きている」という考えがあるようですが、それがまず間違っていると思います。今の大人も若い時には、当時の大人に白い目で見られていました。学園運動に身を投じたり、フォークソングやロックに耽ったり。 勿論、今の大人は社会に出てから頑張ったが、若者は就職もせずフリーターになって社会の足を引っ張っている、と考える人もいるでしょう。しかし、時代が違います。昔は高度成長による人手不足で就職もしやすかったが、今のフリーターの多くは就職氷河期に就職できず、今も新卒でないため職が見つからない人達です。こうした人達を「情けない」と見下すのは、単に時代が見えていないだけです。 今の若者を羨むのではなくて、昔の自分を棚に上げているだけです。
補足
昔の自分を棚上げにして、大人は何をしたいのですか?
- sach127
- ベストアンサー率22% (52/230)
まずはじめに私は本格的に哲学を学んだことが無いので哲学的用語を 理解していません、ですがネットで検索できる程度のことを 10分ほど探して見ました。 その結果ルサンチマンであるか否かと言われるとルサンチマンではないと いう見解です、理由としてはルサンチマンという用語自身が奴隷的な 従属を強いられている弱者が強者(支配者)に対する羨望・怨念・憎しみ であるとありました。 その前提で言いますとまず第一に質問者さんの言われる「大人」は 「若者」に対して「従属的」な関係であるという前提が必須になります。 ですが現在の日本の中で世代間による支配・従属的要素は 見受けられないと考えます。 明治時代などの夫婦のあり方や資産家と労働者の関係、また年長者から 年少者への関係は従属を強いる風潮があったではないかと推察しますが 現在には「支配的」というほどの関係はほぼなくなっているのでは ないでしょうか。 そもそも奴隷心理や労働闘争の関係に対して使われてきた言葉だと 理解しておりますので今の日本にそこまでのものがあるようには 思えません。 ましてやこの前提条件は年少者が年長者に対して支配的な地位を持って いると言う前提が必要になります、私の考えでは現在日本には支配的な 世代間の関係は薄れているしましてや年少者が年長者を支配するという 関係は無いと考えています。 ゆえにそれが前提になる羨望や憎しみは無いと考えております。 >ゆるりと生きている今の若者に対して、 >ただ憧れているだけのような気がします。 これに関してはある意味の羨望と妬みがあるかもしれません 自分たちよりも楽をして生きている者たちへ、自分たちが持ち得なかった スタートラインが優遇されていることへの羨望は否定しません。 この言葉はもっと単純に「いまどきの若い者は」という言葉と同義だと 思います。この言葉自身は1000年以上前の文献に出てくるぐらい 使い古された言葉です、多分質問者さんが50年ほどすれば逆の立場で 言っているでしょうね。 しかしそれとルサンチマンは全く異なるものと理解します。 なぜなら何らかの層が別の層を支配的な関係性で結びつくという 群衆的な関係が必要になると理解しています。 質問者さんの言われるルサンチマンとは そもそも何を指しているのでしょうか?
補足
僕はそれ程哲学は知らなくて歴史的な背景とか本当の定義を知らずにこの言葉をつかったので、このつかい方で間違っていたら、すいません、というより、恥ずかしいです。 この言葉をつかわずに質問を書き換えると「大人が若者に「情けない」というとき、若者に憧れているけどそういう価値観を持つことができない自分を納得させているだけではないか。」ということです。僕には他の理由が思いつかないので、それを聞きたいと思って質問しました。
補足
僕は不勉強なのでルサンチマンの歴史的なつかわれ方を知らずにこの言葉をつかったのでなんだか今は後悔しています。この言葉をつかうことで何だか頭が良くなったような気がしたかったんだと思います。 僕がこの言葉をつかおうとするとき、意味するのが「価値の転倒」です。本当は自分では羨ましいと思ってはいるが、どうしようもないことがあって、それを見下して優位に立って納得安心する。ルサンチマンの例として「狐と葡萄」の話を聞いていて僕はこういう定義をしてしまっていました。あの例には隷属関係だとかそういうのはないので。 情けないと言う大人が楽をしている子供を実は羨ましいと思うところがあって、でも今の自分から抜け出せない状況があるから「子供は情けない」と言って見下して優位に立つ。このときこの大人は僕の言う意味で(間違っているかもしれませんが)ルサンチマンに駆られているといえると思います。 その意味でルサンチマンという言葉を考えると「大人の人が若者に対して『情けない』という心理はルサンチマンでしかない」と言ってしまう僕の心理はのルサンチマンでしかない」という仮説に僕は、「違うような気がします」と答えます。 僕は「情けない」と若者に言う大人になんら憧れ魅力を感じません。このように言い切ってしまう事自体ルサンチマンであるかもしれないのですが、一通り考えてみてもなんら良い事を思いつかないし、最初から魅力を感じていないんだと思います。また一方そのような大人を見下し否定して僕は優位に立とうともしていません。「ああ、なんか言ってるなあ。」って思うだけです。彼らを否定して新たな道徳的な価値観を創出しようとも思っていません。牙を剥いているという感覚でもありません。これも実はやせ我慢して言っているだけかもしれませんが。だからanachronismさんの仮説に対しては「違うような気がする」と言うにとどまります。 それと、大人全てにまで一般化してなどいないつもりです。あくまで「情けないと言う大人」がどうしてそのように言うのか。僕も尊敬できる大人がいることは知っています。僕は哲学的な解答を求めてこの質問をしたわけではありません。情けないと言う大人がどんな心理でその言い方でもって言うのか、その単純な気持ちを、ルサンチマン以外にあったら、聞きたかったんです。それをルサンチマンという言葉で本当に勘違いさせてしまったのなら、僕がこの言葉をつかうべきではなかったんだと思います。 あと、この質問をすることで若さを浪費しているとは思いません。いろいろ考えながらこの文を書いています。きっと役に立つ、いろいろ。 もう一度聞いておきます。 大人の人が、若者に対して「情けない」とその言い方で言う心理は、ルサンチマンの心理でしかないか。他に何かあったら教えていただきたいと思います。