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フェルディナンド王太子

フランス国王ルイ15世はルイ16世の祖父ですが、15世の息子のフェルディナンド王太子は何故王にならないままだったのでしょうか。 夭折したわけでもないのに、何故息子が16世となったのか。 そのため15世の無駄遣いは長年にわたり、また16世は若くして国王になってしまいました。革命は避けられなかったとしても、フェルディナンドが16世を即位していたら、オーギュストとアントワネットはもうすこし分別を学び、あそこまで悲惨な最期をむかえなかったのではないでしょうか。 また、ほかにもこういう「世代飛び戴冠例」はあるのでしょうか。 歴史に詳しいかた、是非ご教授をお願いいたします。

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回答No.2

ご質問にお答えいたします。 フェルディナンド王太子の誕生を、フランス王家にとって待望の 王位継承者とのことで、大いなる喜びを持って国を上げて慶祝した。 父とのそりが合わなくて、遠ざけられた生活をしていた。 それなりの教育を受けており、学者肌であったようです。 オーストリア継承戦争(フォントノワの戦い)に従軍して それなりの勇敢さを示すも、敬虔な信者の側面を強く打ち出し ある宗教団体の中心的人物になって行き 次第に政治の世界から遠のくことになり 36歳の時に結核で父に先立った。 歴史の面白さは、彼の子供への命名の仕方です。 早くに先妻に先立たれ、後妻との間に8人の子を儲けた。 まさか王になると考えていなかった三男(ルイ16世)には 彼の好みで敬虔で人徳の高いルイ9世(在位1226年 - 1270年 後にSaint-Louis(サン・ルイ)と呼ばれ聖ルイ・聖王)の クリスチャン名のaugusteを与えました。

j24601
質問者

お礼

詳しい内容の回答をありがとうございました。 こういう事は歴史に詳しい方には自明のことなのかもしれませんが、ネットでは色々調べてもなかなか分かりませんでした。 映画を見る前の下調べでアントワネットの本を数種類読み、いろいろと分からない点が気になっておりました。  今回のお返事を読み、面白いと感じ、興味はどんどん広がっていきました。また革命周辺のことを読んでみようと思います。  本当にありがとうございました。

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  • Willyt
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回答No.1

 日本の聖徳太子と同じような境遇だったようですね。父が元気なうちに病死したのですが、父と二人の兄が病死したために王位が転がり込んだ息子のルイ15世とは対照的な不運の人でしたね。元気な王が退位して王太子に位を譲る条件は後ろで院政を敷ける望みがあるときに限られるようで、そのためには太子が暗愚に見えなければならないというのが通例のようで、フェルディナントは聡明でその条件に合わなかったのでしょう。ブルボン王朝は生前に位を譲るケースが少なかったので、その伝統もあったことも禍しましたね。  この人が王位を継いでいたらフランス革命がなかったというのは聖徳太子が即位していたら大化の改新がなかっただろうという仮説に似てますね。

j24601
質問者

お礼

ありがとうございました。 色々調べたのですが、寿命は短命というほどではないので疑問をかんじていました。 15世の生命力には勝てなかったということですね。院政という手があるなら、政治はどちらにしても変わらないので革命は必ずおきたはずですね。  ちなみに私は、王位継承という栄光を別にすると、地獄を見たルイ16世より彼の方がよほど幸せだったなと感じました。   ひとつ胸のつかえが取れました。感謝いたします。

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