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学歴ロンダリング
私はいわゆる修士から学歴ロンダリングをした者です。 しかし、それが目的ではなく本当にやりたい研究があってその大学院の研究室(バイオ)へ進学しました。 研究自体自分で言うのもおかしいですが相当気合を入れてがんばっており、その甲斐あってかまずまずの結果を残せています。研究に関して同期や後輩、先輩とも激しいディスカッションをしています。 しかし、たまに高校時代の勉強の話やちょっと他分野の話になると高校時代さぼっていた私にはほとんどわかりません。やはりこういう時になると学歴ロンダとの差を感じます。 例えばの話ですが、ある同期はバイオ研究室ですが数学が得意とします。またある同期は物理がかなり得意とします。私はどちらもできません。こういった場合、研究面での差は出てくるのでしょうか? つまりまとめると大学以前の勉強の差が研究面にも影響するかということです。よろしくお願いします。
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「大学以前」と強いて区別する理由がよく分かりませんが、少なくとも、それまでの勉強の差は、当然、研究面に影響すると思います。 もちろん、影響の程度に差はあるでしょうが、何らかの差があると考えるのが妥当だと思います。 つまり、自然科学の分野は多少なりとも相互の結びつきがあると思います。仮に、それまでに学んだことが直接役に立つことはなくても、研究ににおいて実験結果の捉え方、それに関する洞察など様々な面で差が出てくると思います。研究というものは、実験演習とは違いますので、それまでに知られていない事実というものが出てきます。それを科学的にどう説明するかということが重要です。そうした場合に、狭い分野で表面的な勉強をしているに過ぎない人と、深くて広範囲をカバーする勉強をしている人では発想に差が出ると考えるのが妥当だと思います。たとえ勉強したことの詳細を忘れたとしても、その考え方や発想は残りますし、必要があれば短時間の勉強で思い出すことができますからね。 なお、厳しいことを言えば、実験系ではさほど理解ができていなくても良い結果が得られることはあります。つまり、運が良いということです。もちろん運だけではありませんし、まずまずの結果が出ているということは好ましいことだと思います。ただ、短期的に見た場合、良い結果=実力とは考えない方がよいと思います。今後も謙虚な気持ちで頑張って下さい。 なお、「学歴ロンダリング」と他人がいうのは止めようがないですが、自分からはいわないようにした方がよいと思います。私の理解では、勉強する気もないのに、学歴だけのために、編入学や大学院進学を利用して、社会的に高く評価されている大学に進み、実力を付けないまま社会に出る人のことをさすと思います。そこの大学(院)にふさわしい実力を付けたのなら、そういう卑屈な(謙虚な?)言い方はしない方がよいと思います。
- tekcycle
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何人も見てきた、ロンダリング、と言いたくなるような者は全く仰るとおりの傾向があると思います。 個人的には、そこまで自覚がおありで、しかもきちんとディスカッションできているのであればロンダリングとは言わないと思います。 困るのは、自覚がなく、出身大学や高校の成績が良かったようなことを鼻にかけている勘違いさんです。あなたは問題ないと思います。 実際にあったのは、ESRの解説本だったかな、積分の式があり、私は式からグラフの形が容易に推測できたのですが、たまたまいたロンダ組三名は全く解りませんでした。(テストに出なかったからいいんだという最悪のバカには絶句しましたが) 板書をただ丸写ししただけのノート(当然話が判らない)を綺麗なノートと称して自慢していたりとか。(なるほど成績が伸びなかったわけだ) ただ、結論は、何とも言えないと思います。 一生数物に触れないようなケースだってあるでしょうし、少しの努力で解決することもあるでしょうから。 ただし、実は両科目とも、物の見方考え方を鍛える科目でもありますので、当たり前の行動が取れないこともあるかも知れません。 教養ですから、影響することもしないこともあるでしょう。 ただし、そろそろ「大学人は非常識」というようなものと区別が付かなくなる頃だとは思いますが。 なお、国際政治学者の草野厚さん(サンデープロジェクトなんかに準レギュラーっぽく出てますね)は、英語を中学校の範囲からやり直したそうです。 少なくとも、やばくなったら素直に勉強してみることだと思います。 そういう人に対してロンダリングなんて誰も言いません。
- tanuki4u
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言い方をかえると 教養は専門に必要か?効果があるか? ということになるかと考えます。 その問題は、解決していません。 大学において、現在の教養→専門というステップでなく、専門してから、教養付けた方がいいという説も昔からあります。 私見では、別の発想をするためにも、教養は必要だと考えます。 湯川秀樹の物理学には、東洋哲学があるからとか・・・ ただ、これも、結果から説明するだけであって、教養が一概に専門にプラスになっているとも言えません