- ベストアンサー
校長先生の信頼する人達
中学生の頃、朝礼で校長先生が、 「私は、この学校にいらっしゃる全ての先生方を信頼しています。私が信頼しているので、きちんと言うことを聞くようにしてください。」 とおしゃっていました。 ふつう、何十人もの赤の他人である先生方を、本心から信頼できるものなのでしょうか? また、いじめ問題などで校長先生に訴えても、担任の先生が事実を否定すれば、担任の先生の言うことを信用するということでしょうか?
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
- ベストアンサー
まさか「私は先生方を信頼していません。言うことを聞かないでください」というわけにはいかないでしょう。 現実には、何十人も先生がいれば、その中に一人か二人くらいは信頼していない先生がいてもおかしくないような気がします。
その他の回答 (3)
難しい問題ですね。あなたが何歳なのかわかりませんが、おそらくこの学校の学生さんだとしたら中学生ですよね?その年齢の子にこういう回答をしてもいいのかどうかわかりませんが、日本の社会や組織というのは本音と建前の世界です。どこの会社、学校、町内にも本音と建前があります。人間には必ず2つの答えを持っていますが、それを場所によって使い分けるんです。その本音と建前がないのは唯一家庭の中くらいでしょうか。いや、でも最近は家庭の中でさえ本音で話せない環境にあるからいろいろいやな事件が起こるのでしょうか。 例えば大人社会ではたいして親しくもないし、本当はその人のことをどうでもいいと思っていたのに、その人が結婚して式に呼ばれたら出席します。本音は「また結婚式の出費があってお金がかかるよ、めんどくさいから出たくないのに」と思っているのに、式に出席しないといけないこともあります。式にでたら本人には「おめでとう!」と心にもないセリフをいわないといけないこともあります。葬式だってそうです。生前たいして親しくもないのに葬式にでないといけないこともあります。本音では出席したくないのに立場上とかで出席しないといけないことが。 今話題になっている飲酒運転だって建前では法律で決まっているのでお酒を飲んで運転するのは悪いことということで、「飲んだら乗るな」などと言っていますが、本当は誰も飲んで運転することがいけないこととは思っていないと思います。飲酒運転しない人は、ただ法律で決まっているからとか事故を起こしたら大変なことになるからとか、その後にある背景を恐れているから飲酒運転しないだけで、飲酒運転自体を悪いことと捉えている人は少ないと思います。 スピード違反だって捕まったら「俺はなんて悪いことをしてしまったんだ!もう二度とこんな悪いことはしないぞ!」なんて思っている人はいないと思います。「あ~捕まっちゃった。罰金が高いな~それにしても運がわるかったな~」と本音ではそう思っているはずです。それは建前では「交通ルールを守らなければいけないことだよね。」とみんな口を揃えていいますが、実際にスピードを5キロや10キロオーバーしても即危険ということでもないし、すぐ何かが起こるわけでもないからです。飲酒運転も同様に飲んで事故を起こすからいけないと言われるのであって、酒を飲んで運転したからすぐに何か起こるわけではないのです。そういう意味で本音ではすぐに危険なことではないので「まあいいか」という気持ちになっているのです。 これは大人に限らず子供だってそうです。先生に「どうして宿題をわすれた?」と聞かれたら「すいません、昨日は疲れてそのまま寝ちゃったんで・・・」なんて言い訳しませんか?本音では「そんな宿題なんて最初から全くやる気ねぇよ!」なんて先生にいえないでしょう?知らず知らずのうちに子供だって言い訳という公式な建前の理由を用意して言っているのです。 このように世の中は全て本音と建前の両方の言い方があるのです。この校長先生だって本音はどう考えているのかは本人になってみたいとわかりません。でも校長という立場上では建前としてこういう話をするのが正解ですし、大人として校長として立派だと思います。本当は本音ではすごく嫌いな先生が中にはいるかもしれません。でもそれをみんなの前で本当のことであっても言うことは社会では許されないことなのです。校長としては建前でこういわなければいけないのです。仮に「私はA先生は好きだけど、B先生はきらいなんです。ですからB先生の言うことは聞かなくてもいいですよ」なんていえませんよね、たとえ思っていても。 校長という立場上は信頼していなくても、信頼しているところを見せないといけないこともあるということです。そして本音で信頼しているかいないかは誰もわかりません。その校長だけが心の中で思っていることですので。 参考になりましたでしょうか。
お礼
ご回答ありがとうございます。中学生だったのはずいぶん前の話で、成人しています。 うそをつくことは良くないと思います。うそをわざわざ言う必要がなく、触れなければいいのです。結婚式へ仕方なく行ったのでしたら、「立派な結婚式ですね」とウソでもない別の言い方は沢山あるはずです。 子供のときから、宿題を忘れたいい訳をうそつくなら、どんな大人になるか分かったものではありません。小手先の言い訳ばかりする捻じ曲がった根性を叩きなおすのが教育だと思います。それを校長自身がやっているのだから、あきれるばかりです。 私自身は、飲酒運転は犯罪だと考えますし、そう考える人のほうが多いでしょう。絶対、ダメという意見が大半です。他人の迷惑になるのだから当然です。 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa1835389.html?check_ok=1 最近、問題になっている不二家の隠蔽体質も、校長先生の本心ではない言動に通ずるものがあります。今の時代、本音と建前をあからさまに使い分ける人や組織は、信頼されないような気がします。いじめを隠す学校、不二家、NHKなど、建前を出せば出すほど嫌われていますね。 うそをつくことを褒める人がいることに驚きました。そういう意味で参考になりました。
- nekororin
- ベストアンサー率25% (106/420)
>「私は、この学校にいらっしゃる全ての先生方を信頼しています。私が信頼しているので、きちんと言うことを聞くようにしてください。」 とても素晴らしい言葉だと思いますよ。 「私は信頼している先生にしかあなた達生徒を任せません」 という事です。 例えるならば、 「お父さんはお母さんを愛してるんだ。お前達はお母さんの言う事を聞くんだよ」 「お母さんはおばあちゃんのこと尊敬してるのよ。おばあちゃんの言う事しっかりききましょうね」 と大人が子供達に言えるような家庭は、子供達の心も穏やかなはずだと思います。 >ふつう、何十人もの赤の他人である先生方を、本心から信頼できるものなのでしょうか? 他人ではありますが同じ職場の職員同士、『赤の他人』とは言いません。 「ウチの近所の〇〇ちゃんだと思って声をかけたら、赤の他人だったよ」 という使い方をします。 >いじめ問題などで校長先生に訴えても、担任の先生が事実を否定すれば、担任の先生の言うことを信用するということでしょうか? いえいえ、その校長先生は生徒の方を信じるでしょう。 生徒が一番大事なのです。その為に先生方を信頼しておられるのです。 「先生方を信頼しています」とおっしゃる限りは、日頃から先生方と信頼関係を結ぶのに心を砕いておられるはずですよ。 しかし、質問者様がそこまで懐疑的でおられるのには、何かワケがあるのでしょうか。良かったら補足下さいね。
お礼
会社ですと、自分の会社の社長は、外部の人に対しては苗字を呼び捨てます。ところが、先生同士は親の前でも「先生」と呼び合います。お互い尊敬しあう前に、ひどいことになっている都心の公立中学の教育水準を上げることの方が先でしょう。実際、問題教師をクビにできないので、問題教師を1年ごとに他校へ転任させて、たらい回しにしている例もありました。 非常に「世間体」を気にする校長先生で、運動会も組体操の出来が悪かったために、激怒されたと体育教師が仰っていました。人と比較するのが好きで、他の学校やオリンピック選手などと比較して、自分の学校の中学生が出来が悪いことを注意していました。トラブルが外に漏れないかどうかを第一に考える、保身が強い人だったと思います。
信頼関係がなくては生活ができませんよ 顔を見たことがなく名前も知らない電車の運転手を信頼してるから電車に乗れるし、何十万人もいる警察官を信頼してるから110番通報できるし、医者を信じてるから腹を切り裂く手術を任せるし、.... 教師を信頼してないなら転校させるし、生徒も信頼してると思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 ただ、誰でも信頼すると、騙されてしまいます。人をよく見て、信頼できる電車、事故の起こったJR三田線より私鉄、腕のいいお医者さんを選んでいきたいと思います。
お礼
>現実には、何十人も先生がいれば、その中に一人か二人くらいは信頼していない先生がいてもおかしくないような気がします。 やっぱり、そう思いますよね?当時、問題教師を1年ごとに色々な学校て転任させてたらい回しすることがありました。「この学校の先生方は、君たちの事を考えて、頑張っていらっしゃる先生が“多い”です。皆さんも言うことを聞いてみてください。」といえば、ウソにはならない訳です。 だから、誰でも信頼する単純な人か、ウソをつく事に鈍感な校長先生だと思いました。