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第2次世界大戦後の5大国の常任理事国入り経緯について
今の5大国の常任理事国の経緯についてその内アメリカとイギリスは戦勝国というのはわかるのですが、あと3つの国についてわからないのですが、以下の質問にまとめました。 1.ソ連が常任理事国になれた理由とソ連からロシアに変わった理由 ソ連は一応戦勝国というのがわかりますが、なぜ常任理事国になれたか。その経緯とロシアはソ連の一部の連邦国家なのになぜロシアが常任理事国になれたか。その経緯 2フランスについて 以前ある雑誌を読んでいるとフランスの当時の政府はナチスと協力 した政府と書いていました。もしそれが事実なら常任理事国という のは戦勝国がなれるのに案外いい加減だなあと思いました。 3中華人民共和国と台湾脱退について 当時の中華民国政府(台湾)なぜ脱退したのですか。一応当時の戦勝 国なのに。ほかの4大国はなぜ引き止めることができなかったのですか。今の共産党政府はなぜ横滑りでなれたのですか。 こう考えると常任理事国というのは今の常任理事国はいいかげんな 集まりに見えます。よろしくお願いします
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1)ベルリンに最初に入場したのがソ連軍だったことからも分かるように、ソ連は「一応」というレベルではなく立派な戦勝国であり、かつ当時の世界においてはすでに米英と肩を並べる大国でした。その後、1991年にソ連が崩壊すると、ソ連の資産は構成国(15か国)で分割されましたが、国際法上の権利と義務は、ソ連邦の大部分を占めていたロシア連邦が継承することになりました。その結果、常任理事国としての地位もロシアが引き継ぐことになったのです。 2)質問者が雑誌で読まれたのは、ドイツがフランスを占領後に作った傀儡政権「ビシー政権」のことでしょうが、連合国(と主な海外植民地)はこの政権を認めず、ドゴール将軍の「自由フランス政府」を正当なフランスの政府として扱っていました。ノルマンディー上陸作戦を経てフランスが解放されると、ビシー政権は崩壊、代わって自由フランス政府が名実ともにフランスの政府として活動することになりました。その意味ではフランスは他の戦勝国とは性質をやや異にしていますが、自由フランス政府はパルチザン活動などを通じてドイツ弱体化に貢献しており、また当時は海外に広大な植民地を持つ大国でもありましたので、常任理事国として遇されることになったのです。 3)台湾(中華民国)政府は、脱退したのではなく国連から“追放”されたのです。当時の世界各国は、中国という土地を代表する政府は台湾政府か中華人民共和国政府かのどちらかしか認めないということがほぼ共通認識でした。さて当初は台湾政府と国交を結ぶ国が多かったのですが、中華人民共和国政府の政治的影響力が強まるにつれ、台湾と断交し、メーンランドの中国と国交を結ぶ国が増えていきました。そこで非同盟諸国などからメーンランドの中国政府を国連常任理事国にすべきだという声が強まります。当初米国はこれに強硬に反対していたのですが、ニクソン大統領の時代になってソ連を牽制する意味からも米中が接近。その結果、台湾は安保理常任理事国どころか国連加盟国としての地位も奪われて「追放」され、代わって中華人民共和国が国連加盟国&常任理事国の地位を得た、というわけです。そんなところでいかがですかね。