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人生における妥協について
高3男です。 人は誰でも、人生において妥協をしたことがあると思います。 私もしました。 ただ、妥協をすると人生はおもしろくなくなるとは思いませんか? 私は思います。私は人生においてすべてのことが自分の思い通りになれば最高におもしろいと思います。まあ、これは無理なことですが・・ 夢に破れ、別の道へ進まねばならなくなったとき、自分の人生の意味の大半は失われ、理想の自分になれなくなり、その時点でつまらない人生になるとは思わないでしょうか? また、そう思わない方は人生がどうなるとお考えなのでしょうか? ご意見をお願いします。
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- GootoSchol
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Jリーガーや中卒姐さんの話は、そういう状況の人に 弁護士試験受けさせたらかならず受かる、ということでなくて、 そういう状況の人だって目標があり、強い意志があれば できるってことです。 ただあなたの場合は最初からだめだとあきらめているので 今後何やっても成就させることはできません。
私も、同じように感じたことがあります。 高校時代、大学を目指していましたが、金銭面で仕方なく諦めた時から一気にやる気がなくなり、高校も休みがちになりました。 しかしそれでは駄目だと思いました。それがキッカケで、 最終的には希望の大学に入ることが出来、そこで大学生活を送っています。 自分の人生の意味とか、おもしろみとか、理想とか、 そういうふうには思いませんが、ショックが大きすぎて無気力にはなりますね。 私は、そこでショックは受けましたが、その程度の器で終わりたくないですし、そんなことでつまらなくなるなんて、しょぼい人生だとも思いません。 そういうどん底な脱落を味わったことの無い人は、 妥協やおもしろみという表現からあれこれ言い出すと思いますが、 夢が破れるのって辛いですよね。 自分が今まで努力してきたことってなんだったんだ?と思ってしまうのも無理はありません。 しかし自分に言い訳をしたりして現実から逃げたくもありませんでした。 ある一定以上の才能のない人間はいくら必死に努力しても無駄ですね。 >そのとおりです。 しかし自分がやりたいからやっているのですから、夢にやぶれただの言っても、そんなものは、それほど可能性の低いものを目指し成し遂げることができなかった自分への言い訳です。 あなたの人生が「夢をかなえること」「おもいどおりにすること」が人生の目標ならば、ソレ相当のリスクを背負うか、楽に思い通りになる程度の生き方をするしかありません。 「理想の自分になること」が目標ならば、理想をかなえられるほど低く設定するか、よほど努力すべきでしょうね。 しかし努力というものは自分がしたいからしているのですから、 成し遂げられなかった からと言って恩着せがましく見返りを得られなかったことへいつまでも脱落していても意味がないと思います。 夢も理想も自分が勝手にそう思い込んだり妄想し、それに近づこうと自分が勝手に時間を浪費したのですから、 自分が勝手にしたことに対して、見返りが与えられないことへ嘆き、求め、得られなかったことをいつまでも引きずり、そこでしか自分の価値を見出せないと思ってはいけないと思います。 だったら最初からそんな夢は持たなければいいですし、理想どおりになりたいという欲求も持たなければ良いのだと思います。 そこまで都合よく事は運びませんし、生きているといずれ 「この道でよかった」と思うときも着ます。(だからなんだって話ですが) 希望の高校に進学できなく脱落していても、違う高校でたくさんのかけがえない友達と出会え、新しい夢も見つかるかも知れません。 いつまでも脱落し、自分は出来ないやつだと思い込み、かけがえのない人たちの存在の有り難味にも気づかず、新しい夢も見つからない人生になってしまうかも知れません。 今の人生、自分の思いどおりだとは思いませんが、おもしろいですよ
- aonoringo0209
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女子高校生です。 >人生においてすべてのことが自分の思い通りになれば最高におもしろいと思います わたしはつまらないと思いますね。 「ふーん、そんなもんか」と興味を失ってしまいます。 それこそ人生の意味が失われつまらない人生になるのではないでしょうか。 なにが起こるか分からないから人生はおもしろいのだと思います。 後から「やっぱりこっちを選んでよかった」と思い直すこともたくさんあります。 価値観だって人それぞれです。
- tips
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こんにちは。 ほんとうは、Aという道が良かったけどBで、がまんしたっていう ことになると、妥協となるかもしれません。 でも、AとBをくらべて、選ぶ前の時点でA>Bと判断していますが、 それは、本当に正しいか、誰にもわからないと思います。 人間、自分は一人しかいないし、時間を巻き戻して同じ条件でBを 選ぶ事ができないからです。ひょっとしたら、A<Bかもしれない。 人生のなかで、たしかに『自分』というものが大事かもしれませんが、 どのような道を選んだとしても、毎日接する人や、見る風景、 そういうものを、いつくしみ大切にすることが、めぐりめぐって 自分も周りもを充実させることになるんじゃないかなぁと、 思っています。 自分の意図しなかった道をあるいて、みつける意外な幸せも たくさんあります。 いつもと違う道を通って、しらなかった素敵なお店があったり、 自分にとってはっとするものと、出会えたりすることって よくありますよ。
40代、自営業です。 >妥協をすると人生はおもしろくなくなるとは思いませんか? 「おお、そういう考え方もあるのか!」と思いました。なるほど、妥協をすると面白くなくなるという人もいるんですね。 私の場合、逆です。「何もかも思い通りにいく人生ほどつまらないものはない」というのが私の考え方なんです。人生は、「こうしたい」と思ったとおりにならないから面白い!と思うのですね。 例えば、神様のような人がいたとしましょう。どんなことであれ、「これはうまくいく、これは失敗する」というのがあらかじめすべてわかっていて絶対に間違えない。必ず自分の思い通りに世の中が動く。もし自分がそういう人間だったとしたら――なんてつまらない人生だと思いませんか? 何も思った通りには進まない。この先、どうなるかわからない。思い通りにしたいのになぜかそういうようにならない。どこかでなんとかしないと何も前に進まない。――面白いです。こうでなくっちゃ、わざわざ自分の一生をかけて生きていく甲斐がありません。 こうしたいと思う。が、どうしてもそうはいかない。何とかして希望の方向へ進めたい、どんな方法があるのか頭をひねってあちこち我慢しあちこちごまかし、ようやく理想の65点ぐらいにはできた。それを「妥協」と呼びたい人は呼べばいいでしょう。私は、そうでなければつまらないです。最初から100点か0点が保障されている人生なんて面白くもなんともありません。最初からそうなることが決まっているなら、別にわざわざ生きてみなくてもいいや、なんて思ってしまいます。 現在、40代も半ばです。振り返ってみれば、「一体、なんでオレはこんな仕事をしているんだろう?」と思います。若い頃には全く想像だにしていない日々を送っています。楽しいですよ、人生は。
- siddhaartha
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人生において全てが自分の思い通りになる世界なんて 面白くもなんともないですよ。 だからといって、夢や希望を持つなというわけではないですが それを叶えるための努力をするから面白いんです。 >理想の自分になれなくなり、その時点でつまらない人生になるとは思わないでしょうか? 例えば、死ぬほど努力をして理想通りサッカー選手になれたとしても 必ずしも幸せな人生とは言えないんじゃないでしょうか? もしかしたら他にもっと自分にあった仕事があるかもしれない。 職業だけでなく、恋愛や趣味なんかもそうだとおもいます。 >そう思わない方は人生がどうなるとお考えなのでしょうか? 私は昔、サッカー選手になりたいと思っていました。 そのための努力もしましたし、結構いい成績も残しています。 しかし、途中で己の限界に気づき、今は違う職業についています。 今ではサッカー選手にならなくてよかったとさえ思います。 確かに学生時代の理想の自分にはなれなかったかもしれませんが 今は今で違う目標があります。もしそれが努力しても叶わなければ また違う目標を設定するでしょう。全く悔いはありません。 まだ18才の段階で20年30年後の自分を決め付けるのは 良くないと思います。いろいろなことにチャレンジしなければ!
- cse_ri2
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No.3です。 >果たしてそうでしょうか? >例えば目標が東大文I主席合格なら、必死にやってもできるはずはないで >しょうし、もっとひどいのは芸術やスポーツの世界です。 私の回答をきちんと読んでいませんね。こういうのを『一知半解』といいます。(意味は自分で調べてください) 目標を達成するにあたっては、当然自分の個性をかんがみる必要があります。 最初からできそうもない目標に取り組むのは、愚者のすることです。 勉強が不得手な人が東大入学を目指すのもそうですし、スポーツや芸術の分野もそうです。 また、その目標が本当に自分の人生にとって有益なのか、きちんと考える必要もあります。 私に言わせれば、東大文I主席なぞ長い人生からすれば、さほど意味はありません。 東大に入学することよりも、東大で何を学び、それをどう社会で発揮していくのかの方がより本質的であり、また重要な内容です。 まだ高校生なので社会のことは右も左もわからないでしょうが、本来職業に貴賎はありません。 金儲けする人がエライわけでもなく、官僚になって出世する人がエライわけでもないのです。 不正な手段で金儲けしたり、また出世をしたりしても、それがバレて警察沙汰になれば一瞬でパーになるのですから。 ただし、仕事で努力して得た地位や財産を、多くの人のために役立てることは、これは価値があります。 ですので、目標をどこに設定するのかが、非常に重要になります。 しかし、若いうちは目先の派手さだけに迷い、物事の本質がなかなか見えません。 しかし、大学入試で苦労し、就職活動で苦労し、社会に出てから下っ端仕事で苦労をするうちに、何が重要なのか少しずつ見えてくるようになります。 もっとも、それがわかってきた頃には、若さをだいぶ失って、それから先の選択肢がだいぶ少なくなることが多いのですが。
- cse_ri2
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大事なことは、目標を一点に集中することです。 人間の力は有限です。また、この世で生きる時間も有限です。 それを、あれもやりたい、これもやりたいと分散させていては、一つ一つの目標を達成するのに必要な力が弱くなり、結果としていずれも中途半端に終わってしまいがちです。 自分がこの世で何をすべきか。 若いうちはそれを真剣に探し、目標が見つかったならば、それを達成することに全力を投入しましょう。 自分の個性との兼ね合いもありますが、真剣に一つの目標に取り組めば、達成できる確率はかなり高くなります。
Jリーガーだった人が引退後、一から勉強を始めて司法試験に合格した人だっています。大平光代さんなどは中卒・ヤクザの姉さんから奮起して弁護士となり、つい最近は大阪市の助役まで務めましたよね。 夢に敗れて別の道に進まざるを得ないことは誰にだってあると思います。そこで人生終わったかの様に挫折を一生引きずり何も見出さないか、新たな目標を持って精一杯日々を生きるかではないでしょうか。私には別の道を歩む事になった後の、前者の選択こそが本当の妥協だと思います。 60歳、70歳から新しい事を始める人だってたくさんいますよ。 人生至る所青山あり!
お礼
回答ありがとうございます。 >Jリーガーだった人が引退後、一から勉強を始めて司法試験に合格した人だっています。大平光代さんなどは中卒・ヤクザの姉さんから奮起して弁護士となり、つい最近は大阪市の助役まで務めましたよね。 えーと、こういう人も確かにいるにはいます。しかし、それは例外と捉えるべきでしょう。だって、その何倍もの同じような状況におかれた人が失敗しているでしょうし・・・まあ、そういうように奮起することは少ないのかもしれませんが、仮にすべてのJリーガーに同じように勉強させてみると、さあどうなるでしょう?いったい何%が司法試験を突破できるでしょうか? >夢に敗れて別の道に進まざるを得ないことは誰にだってあると思います。そこで人生終わったかの様に挫折を一生引きずり何も見出さないか、新たな目標を持って精一杯日々を生きるかではないでしょうか。 そもそも新たな目標を持って努力しても、他人からは負け組扱いされることは必至だと思うんですが、どうでしょうか? あと、後で挽回可能なことと不可能なことがありますからね。 挽回不可能なことだったらやる気が削がれませんか? >60歳、70歳から新しい事を始める人だってたくさんいますよ。 年をとってからだとある程度できることに制限がかかってくると思うんですよ。
- chikusuke
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自分の力だけでは、どうにもならないこともあります。 最善は尽くします。 しかし、その結果が妥協の産物であっても受け入れます。 自分の力量、運、宿命だと割り切ります。 受け入れた上で、静かにチャンスを待ちます。 (その為の準備も場合によって行います)
お礼
回答ありがとうございます。 >しかし、その結果が妥協の産物であっても受け入れます。 そうですか、そんなにすんなりといくものでしょうか?
お礼
回答ありがとうございます。 >真剣に一つの目標に取り組めば、達成できる確率はかなり高くなります 果たしてそうでしょうか? 例えば目標が東大文I主席合格なら、必死にやってもできるはずはないでしょうし、もっとひどいのは芸術やスポーツの世界です。 ああいう世界はほかのこと以上に才能が絡んでくるので、ある一定以上の才能のない人間はいくら必死に努力しても無駄ですね。