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いじめ自殺の原因は少なからず被害者の親にも責任あるのでは・・・
この御時世に不謹慎な質問ですいませんが、どうしても知りたいのです。 いじめ自殺の原因は、少なからず被害者の親にも責任があるのではないでしょうか? 「いじめはいじめる側が100%悪い」と言いきる人が居ますが私はそうは思いません。 全てに当てはまる訳ではないですが、親の養育態度によって子どもの性格は決まるようです。 例えばある児童の父が一方的に怒鳴る事で、恐怖で支配するような教育を子どもに施したとします。 するとその児童は将来、口論で反論もできない内気な性格になってしまうそうです。 何故かと言うと、子どもの心理に「従わないと怒られる。」という考えが起きるからだそうで、 そうなるとその子はいじめやカツアゲのターゲットになるのは明確ですよね。 親が思いやりのある正しい育て方をしていればいじめにはあわなかったという考え方もできると思うんですよ。 この考え、間違っているでしょうか? ※分かりづらい文章ですいません。
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- rucky666
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そうですね。 自殺までいかなくとも、その直前での暴力やらカツ上げ、ハブなどの段階で 被害者の親が今まで、泣き寝入りしてきた事も、加害者を一層、増長させた結果かもしれませんね。 これからは、理不尽な事を学校で受けたら、加害者と学校に。 そして、他で受けたら、相手とその場の責任者に。 直訴して、最悪、提訴までする意気込みを持たないと、って思います。 先日、理不尽な目に学校で合いましたが、今、裁判まで視野に入れています。 普通の人だと泣き寝入りしてしまう話かもしれませんが、怪我も大きかったし加害者に反省の色がないため、踏み切ってもいいかと思ってきました。 とかく、この世は被害者がいつも割りを食っています。 http://www.jca.apc.org/praca/takeda/sosyojirei3.htm 上のサイトを見ても、なぜ学校で起きる事故(事件)は、コレほどまでに賠償金額が少ないのだろう? もしも車での事故だったら、、もっと被害者に対して保険会社は優しいし、精一杯の賠償してくれます。 被害者がもっと強くならないと、加害者(一方的に虐めたり暴力を振るう子供)が自分を正当化するばかりではないでしょうか? とにかく、大人社会で通用しない(反社会的で違法行為や暴力行為)が学校では野放し状態なのが異常なのではないでしょうか? 子供同士の事なのだから、、などと。 日本でも、もっと簡単に法的に訴える事が身近になればいいのに、、(それ程、面倒ではないんですよ? 勝つ勝算が高ければ高い程) 学校が身を守ってくれなかったら、法的手段に出るだけだと思います。 それを知らないか、もしくは出来ない親が多いから自殺も増えるのでは?と思っています。 あまりに理不尽かつ暴力的であり陰湿な虐めに対しては、そう感じています。 命を失ってからでは遅すぎます。
- mizuki25
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間違っています。 いじめの原因は100パーセント、いじめた側と見てみぬ振りをした周囲の人にあると思います。 私は教員をしていますが、子どもたちに授業で「いじめ」についての話をしました。その時の子どもたちの反応で驚いたことは、多くの子どもたちが「いじめられる方にも原因がある」と思っていることです。 どうしたら、いじめはなくなると思う?との問いかけに対して、もちろん、いじめた側が悪いことは理解しながらも、「いじめられる人が心を強くすればよい」とか「いじめられる人が悪いところを直せばよい」とか「いじめられたら、やりかえせばよい」とかいう意見が多く出ました。そしてその考えが、いじめられている子どもを追いつめていくのだということが、よくわかりました。いじめられてる自分が悪いと思っているからこそ、「恥ずかしい」「かっこ悪い」という理由で相談できないようです。特に、優等生タイプの子やプライドの高い子ほど、言いたくないと言っていました。 子どもたちに「いじめられる子どもは、1パーセントも悪くない」ことを話しました。たとえ、いじめられる子が、自己中心的であったり内向的であったりしても、いじめて良い理由にはならないのです。完璧な人間なんていないのだから、いじめられた側が、自分のことを卑下する必要は全くないのです。堂々としていて良いのです。 そして大人たちはそのことを子どもたちにもっともっと伝えていかなければならないと感じています。 「いじめられる側に原因がある」この考えを持つ大人がいる限り、いじめで苦しむ子どもたちを救うことはできないと思います。
- gjakjapip
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えっと、いじめ自体は分けると、痛みを与えるモノと疎外するモノがあります。 本人に原因がある場合、他の人が”関わりたくない”そう思うコトがあるでしょう。それは構いません。その人に問題があるのでしょうから。ですが、コレはあくまで個人で、関わりたくないと思えばいいので、集団で疎外する事はないのです。集団で、疎外する段階でいじめになります。 >子どもの心理に「従わないと怒られる。」という考えが起きるからだそう 質問の趣旨に沿えば、もし内気で、従わないと怒られると考える子供であっても、そういう子に対しては、いじめるのではなく、逆に優しくしてあげるように導くべきです。親の養育態度を良くするコトは、一つの回避方法かもしれません。ですが、それだけでは解決法になりません。言い方が悪くて申し訳ありませんが、少し安易な考えといえます。もう少し深く、考えるべきでしょう。
- puipui-torute
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何の原因が誰にあるかがかなりごっちゃになっているようですね。 ○イジメの原因はいじめっ子とその環境(特に親)に責任があります。 ○イジメを防げなかったのはいじめを防ぐシステムを確立していない学校(先生だけでイジメを防ぐ事は不可能です)。 ○自殺を防げなかったのは被害者であるいじめられっ子の親です。 学校で何十人も面倒を見ている先生にそれを察知するのは至難の業でしょうが、親ならちゃんと見て、いつも話していれば判っていいはずです。 イジメは決してなくなりません。 戦争も犯罪も人類が生まれてからずっとあるので、いじめだけぱっと無くなるとは思えません。 なくす事は出来ませんが、防ぐ事は出来ます。 イジメが起こった時にすぐさま対処できる環境やその時の一定の処罰を厳格に行うなどです。 イジメが起っても「なあなあ」で済ませたり、感情的になり誰かスケープゴートを見つけて非難だけしているようでは、まだまだイジメによる被害は防げないなぁと思います。
No33です。 「No31です。 補足しておきます。」 の部分は誤りです。 「No32です。」 と言うべきところでした。 失礼しました。
No31です。 補足しておきます。 貴重な青少年の生命が失われるのには耐えられません。 ひょっとすればノーベル賞を受賞するほどの人物だったかもしれません。 自殺するほどの人間は自己の内面を見つめることの出来る真面目な方であったでしょう。 翻っていじめっ子はどうでしょうか? 生きることに逞しいことは疑う余地はないでしょう。 本人や親の目からすれば優秀かもしれません。 しかし社会的に優秀か否かは別問題です。 もしこの世の中に所謂いじめっ子ばかりが生き残ったとしたらどうなるでしょうか? 想像するだに恐ろしいことでしょう。 大事なのはいじめが続発しないようにすること、これ以外にありません。
>この考え、間違っているでしょうか? 私は間違っていないと思います。 こういう物事を考えるには、まず、生きるとは考えなければならないと思います。 この世には道理、法則があります。 この世には自分と周り(人や物、物質)があります。 この世には、自分と周りの性質(性格、特性)が違い、周りもいろいろな性質のものが存在します。 この世には、自分と周りが互いに影響し合って生きています。 いじめる性質、いじめられる性質があることは事実です。 自分の中にストレスがあり、それをいじめることによって解消しようとするもの、もしくは、ストレスがあり、それがいじめたい気持ちを高め、いじめるものがいることはこの世の事実です。 また、人にストレスを与え、嫌われいじめられやすい人間がいることも事実です。 koruxaさんが言いたいのは本当に「いじめる方が悪いとか、悪くないとか、いじめられる方が悪いとか、悪くないとか」ではないでしょう? koruxaさんが言いたいのは、いじめが起きる原因は実にいろいろな原因があると言いたいのだと私は思います。 事実に、いろいろな人間がいて、それらの性質、性格、能力、感性など関係で仲良くなることも険悪になることもあり、助け合うこともあれば、いじめることもあります。 その性質、性格、能力、感性などを見れば、それらが変化する要因はたくさんあると思います。生まれる家庭、良き師にめぐりあえるかどうか、自分が強さや良質を求める姿勢があるかどうか、嫌な奴にどう対応するかどうか考えることができるかどうか、ストレスの溜まる環境を自分で変えることができるかどうかなど様々あると思います。 いじめの問題を考える、人間の道徳上で考えれば、「いじめる方が悪い」それがすべてかもしれません。 しかし、それは、いじめを解決する考えには至りません。いじめを解決するに至らない考えをして、いじめがなくならないのは、今の大人達が悪い云々を言うなら、考え方が浅はかか、自分達そのものものが悪い存在でしょう。 いじめが起きるのは、いじめる性質を持った人間といじめられる性質を持った人間が一緒になった時に起きます。 なぜ、いじめる性質なのか、それを変えるにはどうしたらいいのか、 なぜ、いじめられる性質なのか、それを変えるにはどうしたらいいのか? それを考え、実行しなくては、いじめはなくなりません。 被害者の親がいじめられても、いじめた方が悪いというなら、 親の接し方というのはこういうことになります。 世の中には、いじめる人間が少なからずいる。子供のあなたはいじめられやすい人間だけど、今のままでいいからね。今のまま学校やいじめられる場所に行っていじめられないように願っていなさい。でも、きっといじめられるから。でも、いじめる方が悪いから、あなたは何も悪くないのよ。苦しくても、あなたはいじめられる場所に行きなさい、それで苦しんでも、いじめる方が悪いから。 こんなんでは、いじめはなくなりません。家にカギをかけないで、何度も泥棒に入られて、家の中が荒らされても、家にカギをかけない人間がまったく悪くないと言う人はいないと思います。 世の中を生きる上で、いじめられやすい人間は、周りや自分自身が全力を持って変えていかなければなりません。 しかし、koruxaさんの言うように、親に恵まれない子がいます。時として醜く残酷な社会の中で強く生きれるように指導できない親もいれば、自ら、残酷な社会でなおのことを苦しませるような接し方をする親もいます。 それも問題です。それも解決しなければなりません。 こうやって考えていくと、問題の原因は「本人」と「周り」にあると気付くと思います。この両方から考えて改善しなければ解決の糸口なぞ生まれません。 「本人」も「周り」も自分から改善しようとしなければ、そのままの性質のまま生きます。そうすれば、いじめのようなことが発生します。 だから、誰かが介入しなければなりません。しかし、本人が変る気がないのに、介入すれば罵倒されたり、傷つけられたりします。しかし、それでも、良い方向に変えることができなけば、何も変らないままです。 そうなると、もしできなければ、介入する人は良い方向を見極め、良い方向に変えることができる人間にならなくてはと悟ります。それは言い変えれば、自分は愚かで、無力で、正しいことと間違っていることの区別ができない人間と悟ります。そこから、自分から変える人生が始ります。 いじめや犯罪を減少させる方法の1つとして抑止があります。抑止をした場合、いじめたい人や犯罪をしたい人は、非常にストレスが溜まります。そのストレスは抑止されていない何かにいきます。もしくは、抑止の目を盗んでします。さらストレスが溜まれば、抑止なぞ関係なくするでしょう。 ですので、私はkoruxaさんの意見に同感です。 以上、私の考えが参考になれば幸いです。
- shigure33
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僕は『いじめはいじめる側が100%悪い』と言い切りたいですね。 他の方もおっしゃられていますが、”いじめて良い理由”等ある筈が無いですから。 >親が思いやりのある正しい育て方をしていればいじめにはあわなかったという考え方もできると思うんですよ。 申し訳ないですがそれは逆にいじめていた子の親に向けるべき言葉なのでは無いでしょうか? 思いやりのある子に育っていれば、『人を死に追いやる様ないじめ』等はしない筈ですから。 いじめはいじめられる側の子にも問題がある… 良く耳にする意見ですが、これを聞くたびに数年前のメディアでのディスカッションを思い出します。 『なぜ人を殺してはいけないの?』
このスレッドはもともと次のような内容に集約できると思います。 サブジェクトの「いじめ自殺の原因は少なからず被害者の親にも責任あるのでは・・・」及び最後の方の 「親が思いやりのある正しい育て方をしていればいじめにはあわなかったという考え方もできると思うんですよ。 この考え、間違っているでしょうか?」 この原点に帰ってもう一度考えて下さい。 親御さんは悔やんでいるでしょう。 なぜあの時、気がつかなかったのか。 なぜあの時、力になってやれなかったのか。 だからといって「責任」と言う言葉が相応しいでしょうか? 特に 「親が思いやりのある正しい育て方をしていればいじめにはあわなかったという考え方もできると思うんですよ。」 の部分。 これは 「(加害者の)親が思いやりのある正しい育て方をしていれば(被害者が)いじめにはあわなかった」 と言ったほうがぴったりなのです。 盗人云々はこの点を言っているのです。 正直者が馬鹿を見るお時勢だからこんな考えが出てくるのでしょうか? 理解に苦しみますね。 被害者の親御さんに鞭打つ発言は控えてほしいですね。 暴力絶対反対!無条件反対!いじめ絶対反対!無条件反対! 1%の責任も無いとして断固とした態度を取らないと続発しますよ。
- gootaroh
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>いじめ自殺の原因は、少なからず被害者の親にも責任があるのではないでしょうか?「いじめはいじめる側が100%悪い」と言いきる人が居ますが私はそうは思いません。 う~ん、実際自殺している人がいるので表現は微妙ですが、私も「100%」とは思いません。ただ、そもそもいじめなければこのような問題は起こらないのですから「99%」とでもいいましょうか。 よくいわれるのがいじめの「質」ですよね。いじめ自体は古今東西、学校に限らずあるわけで、忠臣蔵の話ももとはいじめですから。要は陰湿さの違いです。 昔の子供は相手が自殺するほど陰湿なことはしませんでした。 だから被害者の親も「やり返すまで帰ってくるな!」という指導が可能だったわけです。ある意味牧歌的でした。 でも、今の陰湿さでは、そういう指導もしにくいでしょう。「やり返せ」が相手を殺すレベルまで発展してしまうかもしれませんから。 確かに子供自身の性格や親の育て方もあるでしょうが、いずれにせよ、昔の基準で現在を推し量ることはできないと思います。 あとの「1%」というのはご質問者同様「親」だと思います。「保護者」というくらいですから。保護しきれなかったんですよね。 子供としても親にもなかなか相談しづらいかもしれませんが、何かしら変化を察知してやらねばならないと思います。自分も人の親として肝に銘じたい部分です。 学校の教師が自殺した子供の家庭に謝罪にきている風景をビデオ撮影していた親がいましたが、学校を責めるための証拠残しに励むより、自分を責めるべきだと思いました。(このあたりは実際に自殺した方の親ですので、表現方法が難しいです。だから批判しづらいシチュエーションなんですよね。批判がないからご本人も勘違いされることもあります。) あと「学校」。テレビなどで出てくる教師の指導風景では「なぜいじめはいけないかみんなで話し合おう」というのが少なくありません。 どうして教師は「理由」を求めるのでしょう。世の中理屈だけで動いているのではありません。「だめなものはだめ」というのもあります。 いじめにかぎらず、何でも「話し合う」のが「民主的な」教育だと思っているのではないでしょうか。教育とは強制です。しつけです。教師は甘いと思います。