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弱い?普通?
「いじめ」で自殺した人についてですが どれほど調査しても「きもい」などの言葉だけで、恐喝や身体的な暴力はなかったようです。 「きもい」「うざい」「死ね」なんて、日常的に使われている言葉です。 そんな言葉を言われ、部活動で仲間はずれにされたくらいで自殺するのは普通ですか? 私も学生のとき「いじめ」をうけていました。 「うざい」「きもい」「死ね」などの言葉はもちろん、持参していた本に書かれたり、鞄を隠されたり、囲まれて蹴られたり、投石されたり。 証拠物を持って担任に相談しても、やはり「評価」が気になって何の対応もしませんでした。 仕方がないので、自分でなんとかしました。 身体的な暴力を振るわれたわけでもなく、言葉だけなのに自力で状況を改善しようともせず、誰かに相談することすらなく自殺するのって弱いとは思いませんか? この件では、「身体的な暴力はなく、言葉だけ」ということに注目して、それだけで自殺するのは、精神的に弱いのか、普通なのか、またどう思うか、皆さんのご意見を伺いたいと思います。 個人的には、学校側が「自殺の原因はいじめ」と結論付けなかったこと(調査直後)は正当で、認めざるを得ない状況に追い込まれて無理やり認めさせられたことをおかしいと思います。
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kikyou-neonさんってオンナの人でした。ちょくちょく失敗。オトコの質問者にオンナの道を説いたりします。 回答、改めて読ませていただきました。優しいんですね!こんなひとが、いじめ、するわけない。すぐ思いました。いじめと取られたことが心外だったんですね。お詫びしなければ。 ただすこし弁解させていただくと、タイミングがわるかったんです。いじめ自殺について、まず親に、ついで自殺した本人へと攻撃の矢を放つ質問と回答が目について、むかむかしていたところに、あなたの質問が目にとびこんできたものだから、つい、あのような言葉をくちばしってしまいました。 ただ、あなたとは距離があるのも事実です。あなたは「言葉の暴力だけなのに」という捉えかた。わたしは「肉体的な暴力とおなじ破壊力を言葉の暴力はもっているのだな」という捉えかた。 そうした違いはあるのですが、しかしあなたの攻撃の矢は、こころない矢ではないということも、いまは感じています。すさまじい、いじめを切り抜けたあなたにすれば、もどかしかったんですね。くやしくもあったのかな。生き抜くことができたのに、なんで、むざむざと死を選んでしまったのかと。
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- nozomi20041114
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私も同じような事を考えてました。 私は弱い人間だと思います。 遺書なんて残して自殺する事に酔ってるだけです。 「今まで育ててくれてありがとう」なんて 臭い遺書はいらないから家族の為にも頑張って生きろよ。 と思います。 自分を大切に育ててくれている両親の為にも死ぬなと思う。 わたしも過去にいじめられたことあるけど 死ぬのは考えたことなかったですね。 辛かったけど私には他に楽しいことなど沢山ありましたから それを支えに頑張って今があります。 イジメを苦に自殺と言うニュースを見るたび ムカついてきます。 馬鹿じゃない?と思い 同情の余地もありません。 逆にいじめてた側が可哀想な気もします。
お礼
回答ありがとうございます。 遅くなって申し訳ありません。 >死ぬのは考えたことなかったですね。 >辛かったけど私には他に楽しいことなど沢山ありましたから 楽しいこと・・・そうですね。 楽しいことがあれば「死ぬ」なんて考えないでしょうね。 楽しいことを見つけられないこともまた「弱さ」なのでしょうか・・・。 いじめていた側は何を言っても加害者なので無罪放免にするわけにもいきませんが(社会的制裁に限らず)いじめられて自殺する側に一方的な同情をするわけにもいきませんよね。 参考になりました。
自殺するから弱いんじゃないです。 弱いから、自殺するのでしょう。
お礼
回答ありがとうございます。 「自殺」は「精神的に弱い」というご意見でよろしいでしょうか? 参考になりました。
- tutui
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NO.10です。お礼を読みました。 >「自殺」を「逃げる」と言っているtutuiさんは「弱い」とは思っていないのでしょうか? 「逃げる」というのは手段の一つだと考えてよいと思います。 死んでしまうことは生物としては「弱い」といってしまえると理解しますが、 「自分がいじめられない為に他の子へのいじめに同調してしまう行為」こそ弱い行為と思いたい。これも手段の一つではありますが。 質問者様は「例え他人を犠牲にしても生き残った者が強い」とお考えなのでしょうか?
お礼
再度の回答ありがとうございます。 >「逃げる」というのは手段の一つだと考えてよいと思います。 「学校から逃げる」「地域から逃げる」「自殺に逃げる」 いずれも手段の一つ、ということですね。 >質問者様は「例え他人を犠牲にしても生き残った者が強い」とお考えなのでしょうか? どこでそのような感想をお持ちになったのかはわかりませんが、そのようなことは毛頭考えていません。 「他人を犠牲にする」のではなく、現状(いじめ)と戦ってほしいだけです。 その結果で「自殺」を選んだのなら仕方がありませんが。
果たして『強さ』『弱さ』が、比べるに際して 本人ひとりだけの力なのかを考える必要があると思います。 家族や友達、全面的に信頼できる人が一人でもいる環境に身を置いていれば(あるいはそう感じていれば) それはたとえ本人は『弱い』人であっても自殺という道を選ばなかったと思います。 『強い』人でも、周りに誰もいない、孤独で、将来に光を見出せない人なら自殺を選ぶかもしれません。 そういう意味で、何があっても味方になって守ってやらなければならない親の責任は大きいと私は思います。 同様に、すべての生徒を平等に守るべき立場の教師も。 身体的な暴力と、精神的な暴力の、ショックの大きさは個人差があると思いますよ。 精神的に強いと思われるご質問者様から見て、自殺した人たちを『弱い』と思うのは もしかすると当然のことかもしれません。経験者であり、克服者ですから。 でもそれは、例えばポロボクサーが私のような読書好きを『弱っちいヤツ』と思うのとなんら差はないように思います。 私にはプロボクサーの試合なんて尋常じゃない、堪え難い痛みと恐怖でしょうね。 弱いか普通かと言われれば、難しいですね。 『不幸』だったなとは思います。 普通、誰でも持っている『弱さ』と周りの環境が、悪い方へつながってしまった、という認識です。
お礼
再度の回答ありがとうございます。 >家族や友達、全面的に信頼できる人が一人でもいる環境に身を置いていれば この件に限らず「誰も助けてくれないから」というのは「他責」にすぎないのではないでしょうか? 自分から手を伸ばして助けを求めたら、その手をとってくれる人がいたはずです。 ただ、今回の件に関しては、少なくとも同級生は気づいていたはずなので、見てみぬふりをしてきた同級生、毎日顔を合わせているのに様子が普通ではない子供に気づくことすらしなかった家族、自分と生徒達の「成績」のみ気にして生徒一人ひとりを見えない教師。 責任と問い詰めれば、関わった全ての人に少なからずありますね。 >弱いか普通かと言われれば、難しいですね。 >『不幸』だったなとは思います。 >普通、誰でも持っている『弱さ』と周りの環境が、悪い方へつながってしまった、という認識です。 「不幸」な「偶然」の「結果」だったのでしょうかね・・・。 参考になりました。
- tutui
- ベストアンサー率7% (21/286)
受ける苦痛の度合いは個人それぞれ違うとおもいます。 また、同じ程度の痛みを受けても、 逃げることしかできない人 立ち向かうことの出来る人 ひたすら我慢する人 対応は、さまざまだと思います。 その中で「自殺」という手段に逃げてしまった人を 第3者が「弱い」と単純に判断してしまってよいのでしょうか? 他人では理解できない葛藤があったはずです。
お礼
回答ありがとうございます。 確かに、人それぞれ違うと思います。 例えば、同じ年齢の子供をランダムに数人選んで、その子たちに対して全く同じことをしたとします。 一人は「自殺」を選んで、他の人は自分なりに対処できたとすれば、「自殺」を選んだ子は「弱い」という判断にはなりませんか? >その中で「自殺」という手段に逃げてしまった人を 「自殺」を「逃げる」と言っているtutuiさんは「弱い」とは思っていないのでしょうか? せっかくご意見をいただいたのに、反論ばかりですみません。 参考になりました。
- shima99man
- ベストアンサー率20% (33/159)
私もANo.6さんのようなこと考えますね。 この子ら、本当に「死ぬ」ことの意味をわかってやっているのかって怖くなります。 弱いや甘いのような次元の話ではないのではないかって。 チャットで喧嘩したときの捨て台詞ぐらいに思ってたりしないかな。 死んでみて、もう戻れないことに気が付いて、驚いてたりしないかな?
お礼
回答ありがとうございます。 >この子ら、本当に「死ぬ」ことの意味をわかってやっているのかって怖くなります。 >チャットで喧嘩したときの捨て台詞ぐらいに思ってたりしないかな。 なるほど・・・。 本当に「死ぬ」意味もわからず、挨拶のように安易に自殺している、とお考えなのですね。 だったら、日常的に用いられる「きもい」などの言葉も挨拶程度に受け取ることができないものなのですかね・・・。 参考になりました。
いじめられて自殺したら、自殺したあとも、弱いとかいろいろ、いじめられて、かわいそ。
お礼
回答ありがとうございます。 「自殺」する人を弱いとは思わない、という考えでよろしいのでしょうか? それと、今回の一件では、「きもい」「うざい」などの日常で頻繁に使われる言葉のみの自殺、ということについての質問です。 個人的に「自殺」を実行するほどの事情だとは思えないので、皆さんはどうお考えかとご意見を募っているものです。 そのことについて、amuruさんのご意見を伺えればと思います。
- spiko14
- ベストアンサー率21% (237/1099)
私も中学の時いじめに遭いました。 トイレでぼこられたり、パシリやらされたり、モノがなくなったり、宿題何人分もさせられたり、しまいには髪燃やされたり・・・色々ありましたけど、私の場合は直接的な力ではなかったとはいえ、味方になってくれた友達や先生がいました。相手から逃げるとき、一緒になって逃げて隠れて、パシリさせられたときも一緒に行ってくれて、先生にしてもそのときの状態をわかってくれて励ましてくれて、それだけでも随分力になったものです(担任じゃなかったけど)。 思うに、昔と今とで何が違うのか・・・それは、子供自身が狡猾になってきたことじゃないのでしょうか。いじめる側は、もはや犯罪の領域を越えていじめを容赦なく行う。周りにいる子供たちも、大人の「事なかれ主義」を学んで、極力自分は関わらないようにする。多分、これが一番つらいんじゃないかと思います。先生が力にならないのは昔も今も変わりませんから、やっぱり子供同士による孤立化が一番こたえてんじゃないかなと私は考えるわけです。「うざい」「きもい」って言葉も当時はなかったし。 私の場合は親だって力にならないどころか担任と一緒になって無理矢理学校に行かせようとする始末。これがきっかけで「親はあてにならない」ということを骨身にしみて感じました。その気持ちは今も変わっていません。 それに加えて、逃げ方といいますか対処法、これを子供自身が思いつくこともなく、追いつめられたら死ぬということをすり込みのように覚えてしまったのではないかと思います。 死ねば、いじめからは解放される、何もしてくれなかった学校に復讐できる、相手にもダメージを与えることが出来る、というような「自殺のプラス面」だけが見えてしまっているのかも知れません。 一番の原因は大人の事なかれ主義を子供にまで浸透させ、学歴最優先主義を作り上げてしまった社会なんじゃないかなと思いますけどね。 私は、その時のいじめも乗り越えて、転校するときにいじめた相手からプレゼントをもらうという奇跡的な展開になりました。冷めた子供が多い今ではありえない展開です。数年後家庭崩壊したときには自殺も考えましたがこれも何とか乗り越えました。人よりは強い精神力を持っているから何とかなったけれど、これが普通以下だったら私は今生きていないかもしれません。また弟は心が弱かったのでしょう、家庭崩壊があったあと成人し金銭感覚が崩壊したあと借金を重ねて行方知れずになりました。 強い弱いを判断するにはその人の素質と、その人を取り巻く状況とを総合的に見なければなりませんから、一面だけを見て判断することはできません。 でもひとつだけ言えるのは、家庭にしろ学校にしろ社会にしろ子供に対する教育を変えていかないと、自殺者は増える一方だということですね。 履修問題でも騒がれてますけど、学校も家庭も子供自身も受験しか見えていなくて、横のつながりが急激に希薄化していること、これが一番の大問題じゃないかと私は考えます。 ゆとりとか受験とか言う前にやるべきことがあるんじゃない!?という感想を私は持たずにいられませんでした。 長くなりましたが、少しでも参考になりましたら幸いです。
お礼
回答ありがとうございます。 >逃げ方といいますか対処法、これを子供自身が思いつくこともなく、追いつめられたら死ぬということをすり込みのように覚えてしまったのではないかと思います。 刷り込みですか・・・。 どのようにして刷り込まれてしまったのでしょうかね。 そんなことよりも、対処法をまずは考えてほしいですね。 考えることもせずにいきなり「自殺」という結論に至るのは、「生きるちから」がなかったと思うしかないのですかね・・・。 人間なら誰でも一度は「自殺したい」と思うものですが spiko14さんのように「自殺」という思考から、「生きる」ために対処できる強い人が増えるといいですね。 参考になりました。
- unfilm
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いじめを苦にした自殺といっても、ケースによって違うと思います。 私は現役高校生、いじめられた経験もあるし、大なり小なりのいじめは日常茶飯事のように目にしています。 近頃多い、長い遺書を残しての自殺は、弱いとか普通とかの話ではなく、なんというか、背筋が寒くなるようなことと感じています。 ある意味、流行にのっているかのような、同じような文面。 体裁を整えつつ、陰湿に粘着に復讐しているような雰囲気。 まるで、陰湿で粘着質ないじめに、目には目をとでも言うような。 それだけのパワーを持っていれば、もっと生きて出来ることがあるだろうに、方向性を間違ってしまったような、そんな印象を受けます。 死者に対して、こういうことを言うのはいけないことかもしれないし、それだけいじめが酷いことであったと想像できるのですが、それでも思ってしまうことがあります。 どうにも、物語的すぎるということ。 まるで、ブログで自殺未遂を公開している人のような、見ている人を意識しているような気がしてなりません。 苦しめまくった人間に、命をかけて復讐する価値などないし、自己演出したとしても、死んでしまったらそれを見ることもできないのだということ、考えて欲しいですね。 いじめる側は本当に悪い。 でも、自分の人生の最期に、こんな復讐なんて形の終わらせ方しては絶対いけない。 こんなこと、強いでも弱いでもない。 そして、こんなこと、普通であってたまるものか。
お礼
回答ありがとうございます。 >ある意味、流行にのっているかのような、同じような文面。 >体裁を整えつつ、陰湿に粘着に復讐しているような雰囲気。 >まるで、陰湿で粘着質ないじめに、目には目をとでも言うような。 私も「自殺することで、いじめた人たちに復讐できるなんて本当に思っているの?」と思っていました。 でも、それだけではないのですね。 物語化しているのですね。 最近ゲームにはまっている子供たちに対して「現実と虚構の区別がついていない」と言われていますが、これもその延長線上の出来事と考えられるのですね。 >こんなこと、普通であってたまるものか。 そうですね。 「普通」にはなってほしくないですね。 新たな見解を発見できました。 参考になりました。
- kyoutoukyo
- ベストアンサー率6% (97/1560)
正直言いまして、弱いと思います。自殺する人も、他殺に走る人も。同等です。 キモイウザイと言われることに慣れている人は、それなりの人間に成長し、我慢や謙虚さも生きている中で学習し、自分の生き場所で落ち着いていくわけですが、 ぬるい環境で生きてきた人というのは「キモイ」と言われただけで逆上して猛烈に怒り出すか猛烈に落ち込んでしまうらしい。らしいです。 綺麗、可愛いと言われてきた人が怒り出す様はすごいらしいですよw
お礼
回答ありがとうございます。 >ぬるい環境で生きてきた人というのは「キモイ」と言われただけで逆上して猛烈に怒り出すか猛烈に落ち込んでしまうらしい。らしいです。 ぬるい環境が弱さを生み出すのですかね。 日常でよく使われる言葉(「きもい」など)なんて、挨拶程度と受け流せないほど弱くするのですね。 確かに、近所の子供や町で見かける若い人たちを見ていたら「ぬるい環境にいるな」と思います。 環境が変わるといいですね・・・。 参考になりました。
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お礼
再度の回答、ありがとうございます。 >わたしは「肉体的な暴力とおなじ破壊力を言葉の暴力はもっているのだな」という捉えかた。 他の方々のご意見を読んでいても、そういう考えた方が一般的なようですね。 「いじめ」というのは「言葉」ありきで、「靴や鞄を隠す」などの嫌がらせの行為、そして身体的な暴力という段階があるので、「暴力>言葉」という図式を描いていました。 >すさまじい、いじめを切り抜けたあなたにすれば、もどかしかったんですね。くやしくもあったのかな。生き抜くことができたのに、なんで、むざむざと死を選んでしまったのかと。 仰るとおりです。 もっと現状に抗えたはずなので「自殺」という道を選ぶには早すぎだと思います。 参考になりました。