年越しそばを始めたといわれている増淵民部とは何者でしょうか
もうすぐ節分です。節分と言えば、もともと年越しそばは節分に食べるものだったそうですが、その年越しそばを始めたといわれている人物、増淵民部についての質問です。
『蕎麦事典』(新島繁著)に、数ある年越しそば起源の1つとして、室町時代の関東三長者増淵民部という人が、大晦日に無事息災を祝って「世の中にめでたいものは蕎麦の種花咲みのりみかどおさまる」と詠んでそばがきを食べたとあります。しかしこの増淵民部とは何者だったのか、さっぱりわかりません。
質問1、この増淵民部は室町時代の関東三長者だったといいますが、関東三長者というのはどういうものだったのでしょうか?
質問2、そもそも増淵民部は、どこに住んで何の仕事をしていた人なのでしょか?
質問3、「世の中にめでたいものは蕎麦の種花咲みのりみかどおさまる」という歌は、何かの歌集に載ったものなのでしょうか?
部分的にでもおわかりでしたら、なにとぞよろしくお願いしいたします。
お礼
回答どうもありがとうございました。関西でも年越しそばの習慣があるのですね。本に関東の習慣だと書いてあったのですが、現在は全国的な習慣と考えて良いのかもしれないですね。