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今この瞬間、誰もいない隣の部屋は・・・
こんばんは(^^) ふと思ったのですが、今この部屋でネットをしている自分の隣の部屋を想像してください。仮に誰もいない場合、扉を開けるまで、その部屋を認識することはできないのが普通だと思うのですが、ならば今、隣の部屋は存在しているんでしょうか?・・・二つ以上の場所に同時にいることは不可能なので、そんなことは誰も真実が分からないのが当然ですが、とりあえずみなさんの意見をお聞きしてみたいなと思いました(笑)考えていたら・・・なんだか怖くなってしまいました(汗)でも、仕事や学校の帰り道、着いたらまさか自分の家が消えているなんてことは、まず・・・無いですよね? 自分が認識できないからと言って、「無い」という話はおかしいのかな?これはただの人間中心的(自己チューといいますか)な考えでしょうか!?
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その感覚・・・私にとってはなんだか懐かしい! 私も18歳まで同じような事をよく感じていました でも些細なことをきっかけに魔法が解けたように感じなくなりました それは、私が中学生の頃家庭環境が複雑でいじめられていた友達がいたのですが 私はその子と仲が良く、一緒に行動することがよくありました 中学を卒業する時も「この先私とは離れる(私は高校進学、その子は就職だったので)けれど大丈夫かな?」 なんて結構気にかけていたのですが、次第にそれも忘れてました そして3年後、18歳になった時に再会するとその子は社会人として普通に成長していたのです それを見た瞬間に「私が認識してなくても、世の中はちゃんと動いてて、人も生きてるんだ~」と実感しました 同時に「私が認識していないことは存在しないと思っていたのか・・・」と自分がとても自己中心的な気がして恥ずかしかったです その事に気づいてからしばらくは「私が全く知らない土地にも人が住んでいて、私が全く知らない一生を送るんだ・・・」とか 「世界中がそうなら、私が一生で出会う人ってなんて少ないんだ」とか、いろんな事に思いを巡らせずいぶん哲学的になっていたと思います 今はそれからもう10年以上経ち、私一人の存在がどうなろうと世の中の動きに影響はないことも十分承知していますし、哲学的になることもずいぶん減ってきましたね それよりも目の前の問題の方が忙しくて・・・
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- BaritoneSax
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とても哲学的な質問ですね。こういうの好きです。 私の考えは、「私の認識の届かないものは、私の世界に存在していない。」です。 だから『他のだれかの世界に存在していても』(だれかがいる部屋であっても)私には存在しない ということになります。 ところで、これまでの あなたの人生って ホントにあったことだと思いますか? 明日の朝起きたら小学校の入学式ってのが真実で、いままでのすべてが長い夢・・・(怖)
お礼
とりあえず疑問を解消するには、そう考えるしかないですよね~。私にとっては無くても、他の誰かにとっては在る・・・で終わらせるしかキリが無いんですよ(笑) >明日の朝起きたら小学校の入学式ってのが真実で、いままでのすべてが長い夢・・・(怖) それは怖いですよね!でも回答者No1さんのおっしゃったことも私はそうだなと思います(^^
- hisa-gi
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面白い考え方だと思います。ただ、つまらないことに、 人間が想像力を膨らませて考えるようなことは実際に起きない、それが現実です。
お礼
確かにそうかもしれません。言ってしまえば、私が勝手に怖い思いをめぐらせているだけ・・・ですからね(^^;)どこにもそんな根拠ありません(笑)
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お礼
やはり大人の方はたいがい、そうおっしゃいますよね(笑)私はまだ18前なので、そういう時期にあたる・・・のでしょうか(笑)なんだかよく分からないこの不安な感覚が早く無くなってほしい!と思う反面、ここで騙されたら、一生騙されて人生を送るんじゃないか・・・とか。またもや変なことを考えてしまう私です(^^;)