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「第三の男」はアメリカ人を風刺?

「第三の男」にはどことなく、イギリス人がアメリカ人をコケにするような意図がある」という文を読みました。本当ですか?私の記憶ではそのようには感じられませんでした。「アメリカ人」とは主人公の男を指しているのでしょうか?

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  • isoiso0423
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回答No.1

>イギリス人がアメリカ人をコケにするような意図がある と断言することはできませんけど、見方によってはそう感じる人もいるんじゃないかと思います。 第三の男ことハリーライムの招きでウィーンへやってきた二流の西部劇作家ホリーマーチン(ジョセフコットンが演じてました)の役どころが、騙されたり酒によって暴れてみたりと、ちょっと間抜けな感じも否めませんよね。 ウィーンのホテルでは別の高名な純文学系作家と間違えられても、適当に講演までしちゃうし。 でもこういった設定で”コケにすることを意図した”、とまでは言えないと思いますし、この作品が映画となったのはもともとイギリスの作家グレアムグリーンに監督のリードとプロデューサーのコルダが「ウィーンを舞台にしたサスペンスものを映画用に書いてくれ」というところから出発しているので、はじめから米国人をコケにする、という目的はなかったはずです。 米側のプロデューサーは「風と共に去りぬ」の超大物セルズニックですし、そんな意図があったら共同製作なんかしませんよね。 もっとも製作途中からコルダと意見が衝突してしまい、この作品の英国版と米版では映画の内容がいちぶ違うところがあるそうですけど。 米版は日本では見られませんが、ひょっとしたら間抜けな西部劇作家ぽく見える場面が少なくなっているのかも??

その他の回答 (1)

  • ojiq
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回答No.2

 ジョゼフ・コットン演ずるホリイ・マーティンスは、アメリカの西部劇作家という設定になっていますが、このホリイが、純文学の作家と間違えられて、講演をする羽目になるというエピソードがあったかと思います。通俗作家であるホリイは、いろいろ質問されても満足に答えることができません。ということで、これはイギリス映画ですから、そういう意味では、アメリカ人をコケにしていると言えるかもしれませんが、私の受ける印象では、通俗作家が真面目な質問に右往左往する滑稽さが主眼のように見えました。  原作者のグレアム・グリーンは、遠藤周作のように、純文学と大衆文学の両方を書いた作家だと思いますから、通俗作家を馬鹿にしているわけでもないと思いますが。