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大学院を辞めたい

大学院を辞めたいのです。 もともと才能がなかったのだとおもいます。 院卒がかっこいいからという不純な動機だったのかもしれません。 今は行くのがいやでいやで、一日布団から出られない日もあります。 うちのゼミが特別厳しいわけではありません。院生仲間は しっかりやっているのに、自分は逃げることばかり考えています。本当情けなくて、苦しいです。 でも、ここで辞めてしまったらもう一生何をしても中途半端な人生しかおくれないと思うんです。 いまさら何かをはじめたってもっと若いうちからやっている人にはかなわないでしょうし。 最近彼女が難関の公務員試験に受かり、喜ばしいし、うれしいのに、すごく劣等感を感じてしまいました。自分には絶対受かれないからです。 顔を見るとダメな自分と比較してしまってつらいので、彼女にはしばらくほっといてとまで言ってしまいました。 これは病気なのでしょうか? もし病気なら、こんな状態から治って院を卒業できるものでしょうか? 辞めたら人生が終わるという考えを払拭して、早く楽になってしまいたいです。

みんなの回答

  • yurijp
  • ベストアンサー率21% (54/251)
回答No.4

私は去年大学院を修了しました。 楽しいことばかりじゃなくて、無性に辞めたくなったり、もう行きたくないと思ったりした日もたくさんありました。 大学院ってカリキュラムが決められてるわけではないから、どんどん自分でやっていける人はいいけど、そうじゃない人は辛いと思います。 そういう中途半端さがいやになった時もありました。 でも私はやっぱり卒業したいと思って、通い続ける道を選びました。 一方、ある先輩は、やめる道を選びました。 どちらも正しいと思うんですよ。 よく考えて自分で選べばいいと思います。 自分で考えて迷惑をかけず責任が取れるなら、やめてもいいしやってもいいし、好きなほうを選んでください。 それが決められないからここで質問しているっておっしゃいそうですが、たぶんそのうちおのずと答えはでると思いますよ。 どうしても続けられなかったら、自然とやめると思いますし、それでもやれそうならなんだかんだで続くんですよ。 肩の力を抜いて流れに身をまかせてみてください。 どっちがいいかゆっくり考えてみてください。 続ければその後の道が開けるでしょうし、続けなくてもそれなりにまた違う道が開けるんですよ。 どっちを選んでもあなたなりのいい道が続くはずです。 気をもっとら~くにら~くに!

  • La214
  • ベストアンサー率37% (6/16)
回答No.3

最初に知っておいて頂きたいのですが、質問者さんのような悩みを 大学院時代に経験する人はいくらでもいます。偉い先生がたにも 同じように悩んでは立ち直り、悩んでは立ち直りしてきた人が たくさんいます。 それで、立ち直って院を卒業した人もたくさんいますし、そのまま 来なくなってしまった人も残念ながら少なくありません。厳しいかも 知れませんが、質問者さん次第ということになってしまいます。 ただし、大学院をやめたからといって人生が終わることはありま せん。普通の会社に就職して、大学にいるよりよほどストレスの ない暮らしをしている人が多いです。それくらい大学の研究室とは 大変なところです(理系しか知りませんが)。 質問者さんがもし修士の学生であるのなら、2年間なら頑張れるかも 知れませんよ。先生に悩みを打ち明けて、今後のことを相談される のがよいかと思います。常識的に面倒を見れる先生なら、今までに もそういう学生を見ていると思いますので、助言してくれるのでは ないでしょうか。

guttten
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 そうなのでしょうか、、自分はもう研究が好きになれそうにはありません、悔しいですし残念ですが。 最終的には自分次第なんですよね、それは忘れないようにしたいと思います。 普通に仕事をする、というのが自分の中で腑に落ちないのが問題なのかもしれません。やはり、何か仕事をしていくならば一つのことを極めたいと思ってしまいます。 今は、修士の1年生です。入った当初から何か違和感はありました。でも2年間はがんばれると思ったのですが、今はあと1年と半分がとてつもなく長く感じてしまいます。 先生に相談するのは、本当に怖いです。 結構気に入ってくれているので(おそらく)裏切っているような気分です。でも、いつかは言わなくてはなんですよね。考えてみます。

noname#147912
noname#147912
回答No.2

色々できるのでは。 休学して留学したり、違う分野の知識かじったり、人生のためになることたくさんありますよ。しかも今しかできないことが。 あまり大学院をどうこうするより、視点をちょっとずらすだけで、なるほどってこといっぱいあると思います。 社会人をやってますが、毎日会社やめろコールに耐えてます。意外と慣れてくる(^^)

guttten
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 辞めろコールに耐えるとは、、すごいです。 今の自分には絶対絶えられない^^;) 今はとにかくもう研究をつづけたくありません。 休学しても、また復帰することを思うと苦しい気もします。でも、その期間に得たもので価値観ががらりと変わってしまうこともあるものなのでしょうか。 いろいろ選択肢を吟味してみることも考えてみます。

回答No.1

やめればいいじゃないですか。 大学院を出てなくたって、堅実かつ楽しく生きている人はいくらでもいますよ。 >院生仲間はしっかりやっている >もっと若いうちからやっている人にはかなわないでしょうし >すごく劣等感を感じてしまいました。 なぜ、人と比較して自分の人生を語らなければいけないのでしょう。自分の人生ですよ?自分がもっと楽しいと思えるもの、興味を持てるもの、例え他人からは評価されなくても、そういうものに夢中になる人生のほうが、よほど充実していて張り合いがあると思いませんか? 実は、私は大学院に入りたかったけど入れず、何とかしてあがいてあがいてやっぱりダメだった人間です。 幼いころから「頭のいい子」だった私は、いつからか「自分は学者になってみんなに尊敬される人生を当然歩むべきなんだ」と思い込むようになりました。それしか自分の人生見えなくなってしまったんです。 でも、いろいろあって、そういう人生が送れないということが、ハッキリしてしまいました。それが悔しくて情けなくて、鬱病にすらなりました。 でもそれが治って、「学者になる」人生は自分の人生ではないんだ、と腑に落ちてみると、実に馬鹿馬鹿しいことで悩んでいたなあ、と今では思います。 学者になるには、アカデミックな世界で評価されることを、評価される仕方で学ぶ必要があると思います。でもそれって、自分の興味あること、興味の持ち方と同じとは限りませんよね。 自分は「学者になる」という目的のために、自分の興味の方向性を、アカデミックな世界で評価される方向に曲げようと努力して、だからこそ苦しんでいたんです。自分を曲げるような努力は、私は良くない努力だと思います。 「学者にならなきゃ」の箍が外れてみれば、今まで自分で狭めていた視野が急に開けた気がして、こういうことは、興味を持ってみれば面白いんじゃないか、それにこういう形を与えて表現してやれば、さらに面白いんじゃないか、そういうアイデアが次々に浮かんできます。 それが世間で評価されるかどうかは、今は私は括弧にくくっています。既成のシステムの中で評価され、それで地位や名誉を与えられるより、自分の興味を持ったことをやること、今の私の興味はそっちのほうがはるかに重要だからです。 私の自分の話が長くなりましたが、質問者さんの文章からは、かつての私と同じように、自分自身を大学院というシステムの中で評価されるように矯正しようと苦しい努力をして失敗している感じを受けます。 現状では病気とは言い切れないと思いますが、今のままだと院を卒業するための研究をする苦しい時期には本当に病気になっても不思議ではないな、と、正直思います。

guttten
質問者

お礼

ありがとうございます!! 何か、すごく今の自分を認めてもらえたような感覚でした。 本当に、自分は昔から頭がよかったわけではないものの、努力するうちに勉強はできるようになり、大学でもそこそこ褒められていたので、研究して研究者になろうと思っていました。 昔から親父に「何でもいいからエキスパートになれ」といわれつづけてきたので、自分はこの分野でエキスパートになるものだと信じてきました。 でも、今苦しくて苦しくて、学校のことを考えるだけで何もできなくなります。 辞められるものならば辞めたいのです。 でも、何かほかにやりたいことがあるわけではありませ ん。大学での勉強しかやっていないから、ほかに何かのスキルがあるわけでも、何か仕事に生かせる趣味があるわけでもありません。 ほかに何もやらずに生きてきた分、今ゼロから初めて何かのエキスパートになるのは難しいと思うんです。 ただ逃げているだけなんです。 ここで逃げても、そのまま何もせずフリーターかなにかになって、30過ぎてもフリーターとかになってしまうかもしれないと思うとゾッとして辞めることもできません。 どうしたらいいかわからないんです。