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なぜ不戦の誓いであっても首相の靖国神社参拝は非難されるのでしょうか

死者を悼み、不戦の誓いをするとしても、首相の靖国神社参拝が非難されています。なぜなのでしょうか。非難する理由が知りたいので、教えていただけませんでしょうか。 ・国際摩擦を回避するため ・政教分離のため という理由はよく聞きます。 しかし、A級戦犯合祀が問題のように言われることについて、私は次のように考えています ・「死ねば仏。全ての霊はもはや罪を問わずに平等に扱う」 ・「祀られている246万6532人の内の元A級戦犯は14人だけであり、ことさら重箱の隅をつつかなくてもよい」 ・「不戦の誓いは、戦争指導者にしてこそ重い意味をもつ」 しかし、この考えは、参拝反対論者には受け入れられないのだと思いますが、それがなぜなのか分からないのです。 お叱りのご意見もあると思いますが、どうかよろしくご教示こださい。  

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  • tiuhti
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回答No.23

No.9です。 どうも言いたかった事が質問者の方に正しく伝わっていないようなので、再度回答させていただきます。大変長くなりますがご容赦下さい。 >これ(「死ねば仏」)は「例え」として使ったので、「刑を執行されて亡くなった以上、もはや元(生前は)A級戦犯などととりざたすのは人権意識に欠ける」と言うことを分かりやすく言おうとしたのです。 質問に「首相の靖国神社参拝が非難されています。なぜなのでしょうか。」とあるので、小泉首相の靖国参拝が批判される理由について質問されているのだと理解しています。 で、他の方も指摘されましたが、「死ねば皆仏」という発言は、小泉首相自身のものです。(2001年7月11日日本記者クラブでの党首討論「日本人の国民感情として、亡くなるとすべて仏様になる。A級戦犯はすでに死刑という、現世での刑罰を受けている」)。 そういう発言を踏まえて、私は回答しておりますので、質問者の方がどういう言い回しを使ったかと言う事と、私の回答の内容には関係がありません。ご質問の主旨を間違えてはいないと考えます。 前回の回答と繰り返しになりますが、靖国神社では、西郷隆盛のように国家に反逆したら合祀されないし、東郷平八郎も戦死ではないから合祀されないし、沖縄戦、原爆、東京大空襲などの犠牲者も、「公務死」と認定されない限りは、合祀されません。最近、「戦前に東条元首相が合祀基準を厳格に適用するように指示を出していた」という報道がありました。 http://www.chunichi.co.jp/00/sei/20060806/mng_____sei_____001.shtml 戦後は、一宗教法人となったので、靖国神社が合祀対象を決定する事になりましたが、それでも、死者を選別している事には変わりはありません。それは靖国神社のHPを見れば、誰でもわかる事です。靖国神社に合祀されているのは、靖国神社の基準に合致した「国難に殉じた英霊」だけであり、一般的な意味では、確実に戦没者にカウントされる、原爆被害者などは、引き続き合祀の対象ではありません。 単純な話、A級戦犯が死刑という形で罪を償ったから神になれて、死者は平等に扱われるべきなのであれば、刑に服した事のない原爆被害者が神にならない理由はどこにもありません。原爆被害者を合祀しろと言っているのではなく、死者を独自の基準に従って区別した(=死者の一部を「仏」ではなく「神」として祀った=)結果として、今の靖国神社がある、という意味です。 小泉首相は2005年5月の衆議院予算委員会では「現に東条英機氏のA級戦犯の問題がたびたび国会の場でも論ぜられますが、そもそも、罪を憎んで人を憎まずというのは中国の孔子の言葉なんです。」と発言しています。「罪を憎んで」と言っているという事は、戦犯に罪があった事を認めている事を示唆しますが、罪を犯した人を憎まないのはいいとして、「憎まない」事が、何故「神として祀る」事につながるのか、そこに論理の飛躍があるのは明白です。 このような靖国神社の性格を、小泉首相が知らないとは到底考えられないので、死者を選別している靖国神社への参拝を批判されて、「死ねば皆仏」「罪を憎んで人を憎まず」と反論しても、屁理屈、あるいは反論にならない反論に聞こえる、という事です。 小泉首相は、大学時代の同級生、かつ、かつての同僚議員によれば、「通常の意味で、とにかく頭が悪かった。本当は頭がいいんだけど、成績が悪いといったパターンがありますが、彼の場合、ただわかんないだけ。理解カゼロなんです。」(週刊現代 2005/12/24号)なんだそうですが、それが原因なのか、あるいは、そもそも説明する事が嫌なのか、死者を選別し、特定の死者を神として祀る神社に参拝する事の批判に対して、「死ねば皆仏」とか「罪を憎んで人を憎まず」とかいった言葉で回答しても平気なようです。 しかし、A級戦犯合祀の理由を、論理的な整合性を持って主張している団体&人はいます。それは、靖国神社自身と、その思想に賛同する人です。 靖国神社のHPを見ればわかりますが、簡単に言えば「太平洋戦争は、国を守りかつアジアを解放する為の聖戦だった」というのが、靖国神社の主張です。そういう前提に立つならば、「その戦争を遂行した指導者が、A級戦犯として死刑になったりあるいは獄中で病死したりした事を、『国難に殉じた』と解釈」しても、矛盾はありません。東京裁判は、当然にして否定されます。そして、そもそも国難に殉じたという点では、その他の合祀対象となんら違いはない(と考える)のですから、A級戦犯だけを特別視する事は、『差別』になります。元々、合祀されるべき対象を合祀して何が悪い、という事ですね。 このような考え方に賛同する人の主な共通点としては、次のような主張があげられます。 1. A~C級は、罪の軽重を示すものではない。 2. 戦後の、戦犯遺族に対する遺族年金支給の為の法改正、複数の連合国各政府に対する赦免要請決議を理由に、A級戦犯も名誉回復された。 3. 東京裁判での「平和に対する罪」は事後法であり、よって東京裁判は無効(あるいはインチキ。) 1については、B級で死刑、A級で有期禁固の例もある事からわかるように、A~C級の区別そのものに罪の軽重はないのは事実だが、A級が「平和に対する罪」である関係上、A級戦犯の訴追理由には、たとえば「戦争遂行に関わる共同謀議」などがあり、A級戦犯は「指導・指揮した側」が多く含まれたのもまた事実なので、指導した側の方が、指導された側よりも責任が重い、というのは、ごく普通の考え方。 2については、戦犯遺族への年金支給は、遺族の生活を守る為のもの。赦免要請といっても、刑の執行が終了するだけの事で、裁判が「間違っていた」という事にはならない。(一般の刑事罰では、減刑と再審無罪は全然意味が違う。なぜ、A級戦犯だけが、減刑が名誉回復になってしまうのか?尚、A級戦犯で赦免されたものはいない。) 3については、国際法は、条約などで明記されない限りは、所詮慣習法なので、新しい慣習法がいつ成立したかは、どうやっても議論が分かれてしまう。また、東京裁判が如何にインチキであっても、それは日本の戦争指導者に責任がなかった事には直結しない。 といった問題があり、必ずしも説得力がある訳ではないのですが、相当独特の『解釈』はあったとしても、小泉首相の反論と違って、少なくとも論理的に一貫性があるのは事実です。そして、この手の考え方は、靖国神社やネットだけで広く見られるだけではなく、国会議員の中にすらあります。↓ずばり、「小泉総理が『A級戦犯』を戦争犯罪人と認めるかぎり、総理の靖国神社参拝の目的が平和の希求であったとしても、戦争犯罪人が合祀されている靖国神社への参拝自体を軍国主義の美化とみなす論理を反駁はできない。」といっています。つまり、小泉首相の発言と行動の不一致は、靖国参拝に反対だからそう見えるのではなく、ある靖国参拝賛成派の国会議員からみても、明らかなのです。 http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a163021.htm 上記のような理由から、小泉首相の「死ねば皆仏」理論に対して、より積極的に批判するのであれば、「口では、不戦の誓い・死者は平等とは言っているが、その行動は、一般戦没者よりもA級戦犯を神聖視している靖国神社の、『太平洋戦争=聖戦論』を支持し、A級戦犯の責任を否定しようとしている」という事になるし、より消極的な批判としては、「本心から、分け隔てなく、戦没者を哀悼し不戦を誓いたいのなら、死者を選別し、太平洋戦争を聖戦視するような靖国神社には行かないで欲しい」という意見が出てきても、別に不思議ではないでしょう。 まして、「靖国神社に行くかどうかは、心の問題」といった首相の反論は、国家が宗教と絡む場合は、その目的や効果によっては違憲の可能性が出てくる以上、首相の行動が「心」だけではすまない部分があるのは常識だし、さらに、8月15日参拝を自民党総裁選の公約にして、自ら、参拝の政治上の意味を重くしておいてから、後で「心の問題」だと言っても、あまり説得力がありません。 >日頃から、この問題に取り組んでいるのでしょうね。 このサイトで回答したり、他の方の回答を読んだりしているだけなので、「日頃から取り組んでいる」とは到底いえません。ただ、ネット上では、他人の意見を、少しずつ誤解しながらコピペしていく人が結構いるので、似たような性質の間違い・知識不足にしょっちゅうお目にかかりますから、こちらもわりと勉強する機会がたくさんあるのは事実です。例えば、(東京裁判)当時の国際法・先進国のどの法律にも「敗戦国」に「戦犯」を課した記述はない、などという説は、第一次大戦でドイツ皇帝が開戦の責任を問われて訴追された時に、日本も連合国の一つとして訴追する側に加わった事も知らずに書いているのでしょう。ま、「戦犯」を課すという日本語の意味が、私には今ひとつ不明ではありますが…。(だからといって、平和に対する罪は事後法では無い、と主張するわけではありません。国際法は、そんなに簡単な話ではありません。第一次大戦の例も知らずに、生半可な知識で意見を書いても、迫力がない、というだけです。) >参拝している本人が不戦の誓いをしていると述べているのですから、まずは、これを信じることが大切ですよね。 このサイトは、議論をして他人を説得する場ではなく、質問に対して回答する場ですから、質問者の方がどういう意見をもたれるかは、完全に自由です。「刑を犯した者が「刑期を終えれば」刑が消える、というのは、ちょっと日本語としては変に聞こえるので、完璧には意味がわかっていませんが、罪を犯した者は、刑期を終えて罪を贖えば、その後は、普通の人として扱うべき、という事であれば、理屈としては全くその通りです。(世の中での一般的な考え方では、犯罪経験者は、いつまでもレッテルを貼られ続ける事が多いですが、よい事ではないですよね。) しかし、そういう理屈に従って、(例えば)重光葵外相が、戦後の活躍を理由に、政府から勲一等をもらった(国連が勲一等をくれるわけが無い)事が、死刑になったり病死したりしたA級戦犯が神として祀られる事とどういう関係があるのか、元々A級戦犯に神として祀られる資格がある、と主張しない限りは、無関係ではないか、と思うのですが…。だから、質問者の方が「小泉首相の不戦の誓いを信じる事が大切」と考えられても、「何故、死者を選別しないはずの小泉首相が、靖国神社に言って、不戦の誓いをするのか」疑問に思ったり、批判をしたりするのも、理解できないって事はないと思うのですが、どうでしょう。 尚、誰を祀ろうが靖国神社の勝手でしょ?というのは、私は正論だと思います。A級戦犯分祀には反対です。宗教法人が、何を信仰の対象にするかは、その法人が決める事です。ただ、一国の首相の行動、それも一旦は公式の場で約束した事は、「私の勝手でしょ」ですむかどうかは、全く別の次元です。

pocorino
質問者

お礼

[A級戦犯も「神」として祀った「靖国神社」に行くこと]が、反発を買うと言うことですね。 よく分かりました。 私は、今まで靖国神社への参拝も、お盆のときのお墓参りと同じと思っていましたが、例えて言えば、その墓地・霊園自体が別の目的の施設としての役割を果たしているので、そこに入っていく人に対し、眉をひそめたり悪感情を持つということですね。(多少違うかもしれませんが、大筋は合っていますよね) 丁寧に説明いただき、反対している人の理由がわかりました。 ありがとうございました。

その他の回答 (22)

  • myeyesonly
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回答No.2

こんにちは。 第二次大戦では、靖国神社は戦意高揚の精神的支柱として宣伝活動に用いられてきました。 日本ではそれだけの事で、戦死した人を祭ってるのだからどうという事はないのですが、日本軍と戦った人たちから見たらどうでしょう。 靖国神社は日本軍の精神的支柱ですから、ある意味、靖国神社と戦ったようなものです。 自分たちと戦って死んだ人はあそこに祭られている、あるいは自分たちの親兄弟を殺した人があそこに祭られている、と思って当然でしょう。 当然そういう経験をもった人達は、それに対して意見を言う権利があります。 当該国の国民がそれを言うのは自由でしょう。 それに対して、日本の一般人が参拝するのしないのってのは問題にもなりません。 しかし政府の人間となると、敗戦時の条件を守る義務があります。 政府の人間がそれを止める時は、戦争の終了時、結んだ講和条約を止めて改定するなり、破棄して、今までの話は一切なしにすると、世界に宣言するよりありません。 そこでA級戦犯の問題が出てきます。 そもそもこの裁判が意味があるかないか、という事はありますが、これを受け入れる事で、戦争の終結を認めてもらった経緯がある以上、行政上は戦犯と言われる人は犯罪者として扱わなければいけないわけです。 つまり政府の人間が戦犯を神として崇拝する靖国に参るという事は、過去の講和条約の立場を放棄するに等しい事になります。 ついでに私見ですが、靖国は政府の為に死んだ人を祭ってる神社ですから、政府に反対した人は祭られていません。 つまり明治以降の支配階級だけの巣窟ですね。 国民を代表するような鎮魂施設ではないし、行政官や政治家がいくべき所じゃないと思います。 政府が起こした戦争で被災した原爆や各都市の大空襲の被害者だって祭られてないのですから。

pocorino
質問者

お礼

ありがとうございました。 やはり「死ねば仏」などの意見は通用しないのでしょうか。 質問が稚拙ですみません。

  • lvmhyamzn
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回答No.1

首相の靖国神社参拝は政争の具に格好だからです。 首相が靖国神社参拝したからといって、それが原因で中国人が死ぬわけでもないし、 苦痛を受けることもありません。 確かに、靖国参拝で中韓に実害があるのなら、内政干渉であってもやめてくれというのはわかりますが、 実害はないのです。 つまり、誰も困らないのです。 中韓の首脳が国内でどんな儀式をやろうと、日本人が困ることはありませんし、むしろ、何をやってるかも知らないでしょう。 誰も困っていないのに、説明しようが文祀しようが何も変わらないでしょう。 あくまで、これは政争の具なのです。 実害がないのに日本にやめろやめろと言うことが出来る道具、それが靖国なのです。

pocorino
質問者

お礼

政争の具というのも聞いたことがあります。 ということは、こじつけてでも反対しているだけということでしょうか。 ありがとうございました。 できれば、日本人で反対意見を述べている人に、「死ねば仏」などの意見は通用しないのかを聞きたいと思っていました。 質問が稚拙ですみません。