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零戦と1式戦隼の後継機は

零戦は96艦戦の後継機、1式戦隼は97戦の後継機です。 1)零戦の後継機烈風は実用化されませんでしたが、1式戦のあとは2式戦しょうき(変換できず)、2式複戦屠龍、3式戦飛燕、4式戦疾風、5式戦と多数開発されてます。この違いは何でしょうか? 陸軍と海軍はあまり連絡がよくなく、新機開発の考え方も別だったようですが、他にもありますか。 2)零戦は空母だけでなく、地上基地でも多数使用されました。陸上戦闘機という点では雷電、紫電、紫電改も艦戦ではないですが、後継機と見ていいのでしょうか。特に紫電改は4式戦とならんで日本の最強戦闘機と位置づけられていますが。 3)一方、陸軍機も2式戦、2式複戦は1式戦とは用途が異なるので後継機とはいえなさそうで、3式戦もエンジン不調で、実用的な後継機というと4式戦と5式戦でしょうか。

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  • k99
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回答No.1

1)陸軍は「隼」を挌闘戦メインの軽戦闘機、「鍾馗」を一撃離脱型の「重戦闘機」と位置付けて別個に開発していました。  つまり、侵攻/制空任務を軽戦に、防空任務を重戦に振り分けて別の機体を整備した方が戦果は挙がる、という思想です(更に言えば、挌闘戦偏重だったものが、欧州から遠く漏れ伝えられる戦訓から、優速を活かした戦法もアリらしい、ということにこの時期なってきていた)。  更にこれらの後継機(「疾風」。計画段階では鍾馗の出力向上型だったが、重戦・軽戦の枠は考慮されていない万能を目指した)や、ドイツ伝来の液冷エンジン試用機(重戦・軽戦の開発が試みられたが、軽戦型が優良であるとされ、これが後の「飛燕」。設計陣は「中戦である」という意識を持っていたという)、とこれの胴体のリサイクル品(5式戦)と様々なラインが混在していたのが、多数の種類を産み出す原因でしょう(あと、中島の設計陣が厚かった、というのもあるかもしれません)。  対して海軍は基本的には空母に艦載機を積んで作戦をします。空母は陸上基地よりも運用できる機体数で制限を受けるわけで、そこで軽戦と重戦を混載するなどと言うことは到底出来ません。そこで、どっちにも使えるモノを目指していました(例えば当時としては大口径な20粍機銃は迎撃も視野に入れての搭載です)。 2)、3)後継機、という概念によると思います。 少なくとも極地戦闘機は「艦載」でない以上、零戦の正統な後継機だ、とは言えないでしょう。しかし、末期には載っける船なんか無かったわけで、海軍航空隊が手にした主力戦闘機、と言う意味では後継機であるという言い方も出来ると思います。  同様に、陸軍でも大戦後半には「重戦」「軽戦」の区別は限りなく薄くなっていますし、そもそもそんな余裕も無くなっているわけでして・・・

sumiyoshigawa
質問者

お礼

ありがとうございます。大戦後期は敗色濃厚で用途にいる分類は無意味ですね

その他の回答 (1)

  • k-i-r
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回答No.2

1)零戦=1式戦隼、雷電=2式戦鍾馗、月光=2式複戦屠龍、紫電=3式戦飛燕、紫電改=5式戦、ちょっと違いますが強風=4式戦疾風、と考えますと実用化された機種数だけは同じですね。 ただ海軍は艦攻や艦爆の開発もしなければなりませんでしたので、開発数だけ見れば海軍のほうが多かったものと思われます。 2)雷電、紫電、紫電改は基地防衛用の迎撃機として開発されたので、艦上機の零戦とは用途が違います。 ただ艦上型は21型だけで、22型を除く32型以降は迎撃機みたいなもんですので、対戦闘機能力を向上させた紫電改に関しては後継機と言えなくも無いでしょう。 3)1式戦の用途である長距離侵攻を考えるなら、後継機は3式戦になります。 4式戦はどちらかと言うと迎撃機ですね。 エンジン不調は3式戦に限った事ではないですし。 ただ製造ラインは1式戦から4式戦に完全にシフトしていますので、そういった意味では直系の後継機ですね。 戦況の変化に伴い、主力機に求められる性能も変わってきますので、いちがいには言えませんが。 5式戦は、う~ん・・・3式戦からの性能の変化は偶然の産物ですし、狙って作ったワケじゃないですが、まあ後継機といえるでしょう。(もう1~2年早く出ていれば・・・)

sumiyoshigawa
質問者

お礼

なるほど、航続力からすれば3式戦ですか。これは気づきませんでした。3式戦、たしか南方にも配備されてます。ありがとうございます。 3式戦、エンジン不調なければ高高度でもつかえて、制空にもつかえて優秀だったのに。

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