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信仰できる宗教を探しています・・・。
何年も何年も悩んだ末、自分には宗教が必要だと気づきました。 それを知人に相談したところ、「宗教は決して悪くない。ただ、宗教を必要とするほど 心が弱っているあなたは、きっと一番最初に足を運んだところに入信すると思う。 判断を誤らないように気をつけて。」とアドバイスしてくれました。 まさにその通りだと思います。今まで無宗教でしたので、無知なんです。 が、それゆえにどこに近づいたらいいのか。わからないことだらけだけど、 知ろうとしても大丈夫なのか。自分で判断できなくなってしまいました。 もしかしたら、結局何も信じることができないのではないか、とさえ思います。 今の私は、「お経を唱える行為」「神様」「宇宙の軌道」「ノアの箱舟」 すべて胡散臭いと思っています。(←そこで足踏みしている状態です) 何で?と問い詰めていくことが怖い。 ちなみに、夫(無宗教)は、「科学だけを信じればいい」と言います。 が、正直私は、「すがるところ」「原動力」がほしいのです。信じられたら、どれだけ楽だろうと思うのです。 危険だろうと思われるところを教えてほしいのですが、それを回答して頂くのは気が引けるので、 ここなら大丈夫でしょう、と思われる宗教を教えてください。 また、私が必要としているのは宗教で合っているのでしょうか・・・。 ご意見をお聞かせください。
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質問者が選んだベストアンサー
No.14です。 質問者さんは、どちらかと言うと科学者的な目をお持ちのようですね。 ただ、その判断するための自分の物差しがはっきりとしていないので、何をどう判断したら良いか迷うのでしょう。 トコトン疑問を追及される事をお勧めします。 また、今持たれている色々な知らないモノが怖いという気持ち(無知に対する恐怖感)は忘れないで欲しいと思います。 物事は全て色々な面を持っています。 一つの物の見方では、正しい形は見えないという事を忘れないで下さい。 >仮に、「神様がくれた石」だったら。 と、「人」は信じられないけれど「神様」なら信じられるというのは危険ですよ。その神様に名前を付けたら○○教になるでしょう。 実際に自分の目で見たとしても、まずは分析しましょう。 何から調べていいものか、また初めは分からないことばかりだと思いますが、調べるうちに知識がついていきます。 旦那さんも「科学だけ」という割りにはカトリックの教えに浸かっているようです(まぁそれだけ旦那さんの育った所は、宗教と意識しないほど生活に溶け込んでいるのですね)が、とりあえずはキリスト教(カトリック)から見てみてはいかがでしょうか。 聖書は翻訳されるときに少しずつ変化はしてきていますが、本質は変わらないと思います。なので、言葉をそのままとらえるだけでなく、その言葉の背景を考えてみて下さい。歴史を学ぶ必要も出てきます。いい所だけ見るのではなく、悪い所も見て考えて下さい。 また、石や偶像、シンボルなどの由来や繋がりを調べるのも良いですよ。 そうやって得た知識が質問者さんの「芯」になるはずです。 自分の心の中に、物事を測る物差しや支えにする「何か」を作るんです。 そうしなければ、ご自身でも納得できないのではないかと思います。 回り道のように見えますが、それが一番の近道だと思います。 急がば回れです。
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- winngu11
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私は宗教は別に必要ないとは思いませんよ。 ただ信徒のようにはならなくても、いい教えはその教えをもらうだけでいいんですよ。 オカルトめいた話になりますが、日本で行われるねぶた祭りなどの大きなお祭りは、祈願の意味があります。ご存知でしたか? 地域のお祭りがこの辺でもよく行われますが、それにも豊作祈願などの宗教的な意味が含まれています。 ひとつひとつを入念に祈ったり形を取り込もうとしなくても、人が生きる中で様々な宗教との意味深いやりとりがもう風習としてあるのです。 前にも書きましたがあなたの土地の神様というのは、本当にあなたの土地に影響する神様がいるはずですよ。私はそのへんはなんとなく信じてるのですが、よく果物の採れる土地で祭られる神様は豊作をつかさどるはずです。 また、あなたの先祖や前世の生き方も、あなたに少なからず影響を与えてるとも思いますよ。 人が人を呼ぶ因縁などもあると思います。 だから、もし不安なのなら、地域の一番ゆかりのある神様に、お正月のお参りと一緒に厄除け祈願などを一緒にされて、お寺の中にある石でももってこられたほうがいいかもしれませんね。 うちは近くのお寺で厄除けの年から毎年祈願してはいます。 そういうやり方は、普通のやり方じゃないですか? 一番親しみやすいし。 ちなみにいろんなお寺でもらったお札やお守りやパワーストーンなど一緒に置かないほうがいいとは聞いたことがありますよ。 商業祈願とかで見ませんか?普通にさかきを置いてお札を置いて。 あのやり方は日本古来の安心できる祈願だと思いますが。
補足
それが信仰できるかどうかですよね・・・。わけもわからず(今の私が)お参りに行っても意味はないと思うのです。 クリスマスや初詣とイベントだと思い、他力本願の気持ちだけでお守りを買い、 今の私はそこに信仰心が全くないと思います。それで気が紛れるうちはいいのかもしれません。 暑くて暑くて仕方ないものを、宗教で涼しくしてもらいたいと思うのは、どう考えてもおかしな話ですが、 信仰心によって涼しいと思えるのであれば、それはそれで効果はあるのではないかと。 ちょっとおかしな例えになりましたね。 「信仰心」に興味があるのでしょうか。 って聞かれても困りますよね(笑)入信するか否かよりも、信じられるかどうかかなぁと思います。
- fe-shokugyou
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再び#10です。 #7さんのお話ですが、おおいに考えてみて良いと私も思います。彼女の伝記なり生涯を記した本を読んでみてください。そして、なぜ彼女があれだけの事ができたのか?よくよく熟読して考察して下さい。
お礼
ありがとうございました。 マザーテレサや釈迦の生涯について書かれた本を、読んでみようと思います。
- winngu11
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再度書かせてくださいね。 石、というのは具体的に存在するものなのでしょうか?ありますよ。そんなのなら、ごまんとあるでしょうね。なんだかわからない謎の教祖が願かけだかなんだかをし、ただの石ころが何十万もの高額商品です。 そういうものを崇拝したいんですか? 世の中にはこんなものでも崇拝する人がたくさんいます。不幸が訪れるたびに、どんどん高額商品を買い取ります。そうなりたいんですよね? 世の中には出来うることと無理なことがあります。 大人なんですから、その辺はきちんと判断できるはずです。 もともと宗教は戦争や混乱、あるいは人間の秩序がまだ出来ていない時に、どういう考えがあれば人は幸せになれるのか?人が亡くなった時に、どんな式典をすれば残されたものの気持ちをなだめることができるかという思想です。 本当に宗教を極める人は、あなたのように自分の幸せや欲ばかりを優先させることを考えない、あるいは無償で人の幸せを祈る人ばかりです。 いいですか? この世には魔法であなたの悩みを解決する石とか、自信や意欲が出る不思議なものなんてありません。 現実を見てください。 困ったことがあれば自分で考えて解決するしかないんですよ。わかりませんか? がんばったらがんばったことが結果であって、それになんで石なんかが力をくれるんですか。 いいかげんにしてください。 少しきついかもしれませんが、こんなに自由な意識を持てる自体がよい宗教や法律や日本という文化に守られてるわけですよ?もちろんその中にも宗教だけでなく、人権を一番大事にしなきゃいけないという長年の人々の経験で生まれた思想も私達の中に息づいています。 この世にもしも神様がいたとしても、モノに頼って生きようとするものに特別なご褒美をくれるワケがないじゃないですか。 よく考え、自分の生活を見つめなおしてください。 ヘンなものに手を出して困るのはあなたと家族でしょうね。
補足
>そういうものを崇拝したいんですか? 違います。 先日、江原さんの本を買いました。そこにも水晶が付いていたんです。 心が浄化されると書いてありました。それを1日持っていました。 水晶に心を浄化する効果があると、その本に書いてあっただけなんです。 私はその水晶を信じることはできませんでした。本に書いてあっただけですから。 ここで、江原さんを神とし、彼の思想を知ることで、変われることはあったかもしれませんね。 高額なものに手を出そうなんて思っていません。 どこぞの仏壇を買わされるのかと思ったら、怖くて聞きにも行けません。触らぬ神に祟り無しです。 また、生活を宗教で埋めようなんて思っていません。自分が今のように迷う時に、道しるべ的なものであってほしいと思います。 winngu11様は、宗教の必要性そのものを否定されているように思われます。 石については、悪魔で例えです。それらしきものでも、「信じられる気持ち」がほしいと思うのです。
参考になればよいのですが 私は釈迦の教えというか哲学はすばらしいものと考えています。 釈迦はこう言ったそうです。 わたしが、軽蔑する人間は、自然の摂理を知らない人間だと。 人間は死んだら、腐り、やがて土になる。生き返ることもないし、あの世もない。これが自然の摂理であると。 また、釈迦が死の直前に、弟子たちを集め、決して、上下関係を作ってはならない。年寄り(年上)を敬いなさい。私を拝んでも何の意味もない、私の教えにそって生きなさい。その教えを広めなさいと告げたそうです。 その実践のため、釈迦は、私が死んだら私の像の顔を壊しなさいとも告げたそうです。そこまで、教えに拘ったのです。 この教えからすれば、けっして、序列を作ったり、金儲けの手段としてはいけないのですが、残念ですが・・・・。 まず、宗教に入る前に、釈迦生き方について、少し学ばれたらいかがでしょうか。 参考書として、日本販売(株)発行所の著書「多々良省三」の「悟り」(釈迦の一生)が分かりやすくてよいと思います。 ちなみに、夫婦のどちらかが異なった宗教に入ると、夫婦円満な生活は難しくなります。旦那さんのことも考えなければなりませんよ。
お礼
ありがとうございました。 「悟り」一度読んでみようと思います。
補足
ありがとうございます。 夫は日本人ではないのですが、家族全員が無宗教です。夫の国では90%がカトリックです。 宗教に関して、夫と話すことが多いのですが、夫は「サルの進化論は信じない。 人間は神様が作ったと思うよ、俺は見たことないけど!」というような具合です。 >人間は死んだら、腐り、やがて土になる。生き返ることもないし、あの世もない。これが自然の摂理であると。 これは私も夫も同じ考えです。 以前は宗教に偏見すら持っていたので、正直どこも怖いです…。
- satomaru99
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#7です。 先ほどは、教団の情報だけを書きましたが、私の理念を追加させてください。 貴方が求めておられるのは、 自分の中心を貫く、真理、または、揺らぐ事の無い信念 ではないでしょうか。 それがある事によって、いかなる迷いや苦難をも乗り越えることが出来る。 それは、絶対的な真理であり悟りの境地なのかもしれませんね。 その教えが、経典であり教義なのかもしれません。 出家して修行する身であれば、その内容に触れることも可能かもしれませんが、 一般衆人に於いて、それを見極めることは至極困難なことであると、思われます。 その為に、お題目を唱えるだけで良いのですよ。という先人の導きであると言えます。 私個人としては、もし仮に宗教に換わりうるものがあるとすれば、それは、「与える愛の心」 ではないかと思います。 それは、この世における全てのものに対しての慈愛の心であり、それは、巡って自分に帰ってくるものだと思います。 何があっても変わらない、不変の心。 それを、何時も心に持つことによって迷いや、苦難を乗り越えていけるのではないでしょうか。 代表的な人が、マザーテレサではないでしょうか。 1度、マザーテレサの本を読まれてみるのも、宜しいのではないかと思います。
お礼
ありがとうございます。 マザーテレサの本、読んでみることにします。何か自分の考え方など影響があるのではないかと思います。 >貴方が求めておられるのは、自分の中心を貫く、真理、または、揺らぐ事の無い信念ではないでしょうか。 それがある事によって、いかなる迷いや苦難をも乗り越えることが出来る。 私の気持ちが通じたのかと思いました(笑)その通りです。
- fe-shokugyou
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#10です。 具体的に挙がった教団名には関わらない事です。 それに、健全な教団は大なり小なり表現こそ違うものの宗教の最終目標・究極の目的は全て同じです。 余談ですが、「お祈り云々を否定はしないものの、それをしただけで病気は治らない。仮に加持祈祷の類で病気が治るなら病院や医師は必要ないし、合格祈願しただけでどうにかなるのなら受験勉強するまでもないし当然塾や講師はお払い箱である。『宗教』がどうにかしてくれる訳ではない。『宗教』を信仰している当人がどうにかするものである」というのが私の個人的見解です。
- UndineBlue
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「すがるところ」「原動力」=宗教ではありませんが、とにかく精神的に支えになる物が欲しいのですね。 科学もある意味宗教です。 抽象的なものか、擬人化されたものかの違いでしかありません。 自然現象を物理的に解析するか、神様や精霊がやっていると考えるかの違いです。 以下は私個人の持論(これもある意味私だけの宗教と言えるかも)です。 http://blog.goo.ne.jp/undine_m/e/1a20c2079e4770f2904ba391fb0a69f5 http://blog.goo.ne.jp/undine_m/e/69b9437bc4afd0e69e2bb4c605ef3af1 http://blog.goo.ne.jp/undine_m/e/3a44a9af96730794ff48bfe5fbc5da82 http://blog.goo.ne.jp/undine_m/e/297202a3e3832f2f78916521ca210ab1 宗教でも科学でも、妄信することは危険です。 宗教も科学もどちらも共存するものであり、どちらかを否定するものではありません。 また、宗教は団体に入らなくても、その教義(教え)なりを守る事が宗教の本質です。 多くの教義は人の道(人としてどうあるべきか)を説いたもので、そこに信じるモノへの感謝の仕方(礼拝とか経を読むとか)が加わっているだけです。 入団しなければいけない、絶対に洗礼が必要、○○(道具とか本とか)が必要、お布施が必要、セミナーに参加しなければいけないなどという宗教には入らない方が無難でしょう。 あ、別に数多の宗教を否定するわけではありませんよ。 一番のお勧めは「ご先祖様ありがとう教(仮)」でしょうか。 古代の宗教に近いものかもしれません。いつもご先祖に感謝するだけです。先祖がいるからこそ今の自分がいるというのは、揺ぎ無い事実です。究極的には生命の誕生からの先祖でしょうか。いや、もっと戻れば地球の誕生、宇宙の誕生まで行きます。 そうすれば自ずと様々な命やモノに対して、感謝の気持ちが出てくるはず。 人として、生き物の一員として、地球の一部として、宇宙の一部として、自分と自分以外のもの全てを尊重し、感謝するんです。 何か特別なコトをする訳ではなく、人として当たり前の事をするだけです。必要なら目標を掲げてもいいですし。 ・・こういうのでは支えになりませんか?
補足
=宗教としてしまったことが私の悩みを難しくしているのかもしれません。 他の方の補足にも書きましたが、それが鉱石のパワーとかでもいいです。 やはり精神的に支えになる物がほしい、で間違いありません。 ただ、親友が「この石、きっとがんばるあなたに力をくれるよ」と言って石をくれたとしても、 どうしてその石が力をくれるのか、など追求しようとします。 結局、それが親友を信仰する形になるんですよね。でも、親友は人間です。 パワーを持つ鉱石を、もしお店に買いに行ったとしたら、店員さんを信じる以外にないだろうと思いました。 仮に、「神様がくれた石」だったら。と思った時に、何か絶対的に信頼できる物がほしいと思い、 それが宗教や思想ではないかと思ったのです。
- pontamana
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あいかわらず宗教関連は回答が多いですね( ̄ ̄;) それを見てもわかるとおり、なぜ宗教なのか? なぜ信仰が必要となるのか? ではその宗教団体の生い立ちは? そういうものをいろいろ調べていくと意外と面白いですよ。日本の宗教(特に新興宗教)は根源があるものがあるし、ないものもあります。 冷静な判断というより、まずはいろいろな宗教の考え方、歴史、などなど勉強されては? 僕は結果、自分が宗教そのもの・・・と言う考えにたどり着いてしまったので、信仰はしておりません。 自分の宗教観がない方は、どれにもなじめないか、逆にオカルティックにのめりこむか、どちらかです。 なので、自分で宗教を作るつもりでいろいろなものを学べばいいのではないでしょうか? 写経して悪いことなんてありませんし、座禅を組んでも思想は変わりません。信仰するのではなく、いいとこ取りしちゃいましょう! あまり参考にならない意見でごめんなさい。
お礼
>僕は結果、自分が宗教そのもの・・・と言う考えにたどり着いてしまった 自分の考え方をしっかり持っておられるようで、うらやましいです。 私もいろんな人の本などを読んで、しっかりした考えを持ち、そこに自信が持てるようにがんばります。
- winngu11
- ベストアンサー率20% (169/810)
私も無宗教なのでよくわかりませんが、すがってどうするのですか? 根本的に思うのですが、宗教というのは拝むから何かしてくれるというわけではありません。 最近の宗教は、いわゆる企業と同じで、お布施や募金で成り立っているただの団体である場合が多いです。 有名なブッタやキリストなども、どちらかというと人をどうやったら幸せな思想に導けるか考えた人達で、いわゆる思想家だと思います。 もし高名なそのような方が生きていれば、自分達にすがることが人間の生き方ではないときっと言うと思います。無理をしない、自分の幸せのために、自然に生きるということを多分教えの中に入れてると思います。そういう教えを説いただけであって、敬うから幸せになるとは絶対言わないはずです。 すべての自分の幸せに感謝し、厳しすぎず、周りを思い、生きる限りをつくして生きなさい。そういうことがあるいは教えだと思います。 どこに入ればいい、などと考えなくても、答えは出てますよね?あなたが新興宗教に対する疑問は普通の賢い人間の考えです。 あなたはあなたで、自分の周りで自分のすべてを幸せにしてくれるご主人をはじめとするすべての自然の加護に、感謝の祈りを捧げればいい気がします。 何も入信などはなさらずに、土地の神様や有名な寺院をお参りするだけでも、なんとなく神聖な気持ちになれるはずです。
- tabinowanko
- ベストアンサー率18% (2/11)
私も悩みが多くて感情をコントロールするのが下手だったのですが、たまたまある本(宗教関係の本ではありません)を読んで、 坐禅が心の平穏に有効だと知り、禅の本を読むようになりました。 本を読み進んでいくうち、禅すなわち禅宗(臨済宗・曹洞宗など)は他宗教でいう信仰(誰かにすがる)ではなく信心であり、坐禅によって悟りを開き自身が仏になる、という教えだとわかってきました。 これは自分で向上したい、他人に頼りたくないとの考えと通ずるものがあったので、引き込まれました。 また、坐禅や写経というのは自身を冷静にみつめられ心が平穏になることが科学的にも証明されてます。 写経で書く般若心経の解説本や禅語の本を読んでみると、現代社会に通じることが多く書かれてあります。 私自身、これまでも新興宗教やカルトには否定的ですし、考えを変えるつもりもありません。 私自身のことですが、参考になればと思い書き込みしました。
お礼
ありがとうございました。
お礼
>そうやって得た知識が質問者さんの「芯」になるはずです。 自分の心の中に、物事を測る物差しや支えにする「何か」を作るんです。 そうしなければ、ご自身でも納得できないのではないかと思います。 まさにそうだと思いました。 他の回答にありました、マザーテレサの生涯についての本を読んでみようと思っております。 だからキリスト教に!ではなく、彼女の生き方や考え方から、何かしら自分に影響するものがあるのではないかと。 宗教を信仰しなくても、そういうことを繰り返すことで、自分を確立できるのではないかと思いました。 ありがとうございました。
補足
>「人」は信じられないけれど「神様」なら信じられるというのは危険 例えば、私は祖母が亡くなっているのですが、生きている間に「いつも見ていてくれる」 という安心感は、物理的にあり得ないと思うのに、亡くなった後は、きっと見ていてくれている、 と思えてしまうんですよね。相手が人間だと、自分の全てを受け入れてくれるとは思えず、 人と人は意見がぶつかって、考え方の違いで事が片付いてしまう。 それが、見えない何かであることで、一方的な気持ち、不安などが全て受け入れられる と思えてしまう。だから、自分の信じたい物が人間ではないと思いました。