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学術と創作活動について
ふと疑問に思ったのですが、映画監督や作家や作曲家など、芸術や音楽、エンターテイメントの世界で第一線で活躍する人達の中で、学術的な研究でも成果を上げている人っているのですか?研究する対象物に対して理論的、客観的に考察を重ねていくことは、ものを創作する上で、必要な面もあるが、妨げとなる面もあるのかなーなんて思いまして。あまりに深く学術研究にのめり込むと、分野にもよると思うのですが、創造性に影響を及ぼすこともあるのかなと。まあ全然関係ないのかも知れませんが。 これはちょっと違うかもしれませんが、作家の村上春樹さんは以前意識的に心理学の知識はあまり頭に入れないようにしている、というようなことを言っていました。 僕の知っている例としては、坂本龍一さんが東京藝術大学の大学院を出ていますよね。日本のみならず、海外でもいいので、知っている例があれば教えてください!
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こんにちは。 コピーライター/グラフィックデザイナーです。 僕はヒラメキのみの作業は不可能だと考えます。先ずは左脳的な作業から開始して、ある程度の論理的な蓄積(裏付け)があってからこそ、ヒラメキが到来すると考えます。 グラフィックは視覚(感覚)が大部分なので、この理論はあてはまらないかもしれませんが・・・言語(小説家)などは確実に論理→ヒラメキの図式だと考えます。 村上氏の発言は、創作の際には「意識的に外す」ということかもしれませんね?飽くまでも土台には論理が存在するのではと思います。 ごくごく私的な見解ですが、ご参考になれば幸いです。
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- cocomo_1978
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大きなお世話SUMMERの補足です。 理論(思考)の反復で新しい神経が生まれるらしいです。 僕自身の経験にも稀にあるんですが・・・。 コピーを500案くらい悶々と書き出していると、頭の中でピリピリと(?)痺れるような感覚(神経がつながる)があります。そのすぐ後に素晴らしい(!)アイデアが生まれてきます。 なお、その新しい神経が接続されると、その後に配線が構築されてアイデアが生まれやすくなります。
お礼
回答ありがとうございます! 興味深い実体験ですね。アイデアが生まれるまでにはやはりそれ相応の過程というか、努力が必要なんですよね。 ただ、新しい神経はどの年齢になっても、つねに生み出し続けることは可能なのかな?と思いました。
- ipa222
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修士論文程度は珍しくないですが、研究者として研究活動をしながら創作というのは珍しいです。 建築の藤森照信さんは、元々歴史家で東大教授ですが、建築の設計をやりはじめたら、さっぱり論文を書かなくなっちゃって廻りは困っているようです。 脳を使う部位が違うので、主観と客観の両方というのは、よほどの才能が必要ですね。 スポーツでは、中田英寿は両方できるタイプです。 しかし、日本の芸術系の研究や批評は、ジャンルそのものが確立されていません。既存の作品や作家に箔を付けるために存在しているようなものですから。 海外では時々聞きます。 現代音楽の作曲などは、理論と実践が連続していると思います。
お礼
>既存の作品や作家に箔を付けるために存在しているようなもの なるほど、そうなんですね。主観と客観の両方、どちらも優れているというのは、やはり難しいものなんですね。そういえば以前、村上春樹さんが、「人間にはものを創る人間と批判する人間の2種類がいる」といっていたのを思い出しました。 現代音楽については、以前小室哲哉さんが「音楽は100%理論だ」というようなことを言っていた記憶があります。
お礼
>ある程度の論理的な蓄積(裏付け)があってからこそ、ヒラメキが到来すると考えます なるほど、たしかにそうかもしれませんね。何もないところからものは創れないように、知識や理論の蓄積という土台があってこそ、閃きは起こりえるのかもしれません。閃きとは自分の中の理論と理論がつながったときに起こるものだと聞いたことがありますが、それは理論なしでは出来得ませんからね。しかし理論を通り越したところで何かを生み出すという芸術(例えば絵画など)はまた違う何かが必要なんでしょうね。 ありがとうございます!