私は報酬という対極の、ボランティアのお手伝いをして「裏切られた」と感じました。
ボランティアだから金銭的なことはもちろん、「気持ち」の上でも期待してはいけないんですよね。それはわかっていたのですが、私の場合「愛されたい」「認められたい」という報酬を求めていました。
この場合主観なんですね、私の。
なぜなら母親から愛されなかった私は母とちょうど同年齢のボランティアの代表者を勝手に「母」と見立てて投影してしまったんです。
でも相手は私の母でもありません。他人です。そして彼女も自分自身の大きな問題を抱えてて、そのボランティアに投影してたんですよね。
つまり問題や性格が似すぎてたんです。日頃から感じてたんですが(きっと相手も)、自分の問題を直視するのが怖くて問題が似ている相手に見出してたんです。
それゆえ潜在化の「怒り」も相手に見出してしまいます。
そんな緊張状態はいつか飽和状態を迎えます。
決裂の日は突然来まして、お互いを傷つける結果になってしまいました。
信頼するということと投影することは違うと学びました。
対人関係における自分の問題と原因の根本を知らないと相手との距離のとり方が見えなくなるということです。その結果自分が傷つく。
「信頼」は自分と相手の現実を理解して(そこに勘違いはあるかもしれないが)、信じる結果に何があっても許すことを委ねる気持ちではないかと思います。
「投影」とは相手に自分を同一視して自分と同じであるという思い込みをするというまったく利己主義的なもの(心理的に自然な現象なのですが)だと思います。
でも信じて裏切られて何が悪いと思いますよ。裏切ったほうが悪いに決まっている。
私の場合相手が「母親」なのでちょっと複雑です。思い込みが強かった分、愛されたいという気持ちが強かったそしてそのために何でもしようとしたことが一瞬でパーになったこと・・・。カネ返せじゃないけれど気持ち返せ!ですよ。それなのに相手は私をさんざ「使った」んですよね。でもそれはボランティアであるから求めてはいけないことなんです。だから超プライベートな問題に由来した感情なんです。
でも感情的には悔しいです。ボランティアってホトホト難しいと思いました。
無償の行為のはずなのに、結局お金より気持ちという無形の報酬を求めてしまうんですよね。
#5の方が「自由意志」ついておっしゃってますが、私も同感です。そして私にとっての教訓です。
ご質問者様は今正念場だと思います。忘れるのではなく直視して学ぶことが大切かと思います。
ご質問者様に「力」を感じます。そしてより痛みのわかる方になっていくことを信じています。
お礼
昨夜、泣きじゃくって少しアルコールを口にしました。すっきりしたいのですが今日はダメそうです。でも負けません。アドバイスありがとうございました。