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イタルデザインの設立者はジウジアーロ氏?
所さんの「笑ってコラえて!」という番組で、宮川秀之氏のことを取り上げていました。 その中では、 「宮川秀之氏と妻マリーザさんが妻マリーザさんの親の援助を得て、イタルスタイリング(現イタルデザイン)を設立し、そこにジウジアーロ氏がきて、宮川氏が彼のデザインの素質に感動して、彼をプロデュースした」 という内容だったのですが、ネットで検索すると、「ジウジアーロ氏がイタルデザインを設立した」というものばかりでした。 ジウジアーロ氏と宮川氏の繋がりを示すものは一つあったものの、イタルデザインと宮川氏の繋がりについては見つかりませんでした。 このような検索結果で、番組の内容の自分の解釈に自信がなくなったので、番組内で紹介された「宮川氏とイタルデザインの関係」は先日質問して、やはり私の解釈した内容でした。 (http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=213430) デザイン業界や車業界では、「ジウジアーロ氏がイタルデザインを設立した」というのが通説なんでしょうか? 実際はどうなのでしょうか? こういう話を聞いたことがある、自分はこうだと思う、ということで結構ですので、ぜひ教えてください。 詳しく知っている、という方の回答もお待ちしています。 よろしくお願いします。
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おクルマの設計が本職ですが、仕事の一環で自動車史も研究している者です。 コイツは盲点でした。あまり正確な回答が出来そぅもないので、ナリを潜めていたのですが、あまり回答がふるわない様ですので、とりあえずカキコ致します。 ワタシが資料として持っているカロッツェリア史に関する本によると、イタルデザインはジョルジュ・ジゥジアーロが設立した事になっており、実際イタルデザインの経営責任者は、今日ではジゥジアーロとなっています。 ただ、設立メンバとして宮川氏の名前も列記されており、これは思うにパトロンだったのではないか?と想像されます。 ジゥジアーロ氏がイタルデザインを設立した当時の年齢を勘案しますと、いきなりあれほどの設備を持ったデザインスタジオを立ち上げるだけの財力があったとは思えません。そこで出資者として宮川氏が登場するのではないでしょうか? 出資した以上宮川氏がイタルデザインの大株主だったと考えられ、今日ジゥジアーロ氏がイタルデザインの代表となっているのは、その後株を買い取られたか、自身の出資比率を上げたのではないか?と思われます。 尚、全くの蛇足ですが、折角ですので?ジゥジアーロ・デザインにまつわる業界ウラ話などをついでに。 1.いすゞ車は117やピアッツァばかりではなく、初代FFジェミニも氏のデザインが下敷きになっていた、とゆぅ信憑性の高いウワサがあります。確かにあの端正且つふくよかな面を張った箱型は、ジゥジアーロ氏の代表作でもある初代VWゴルフに一脈通ずるモノがありますね。 2.カーデザイナとアーティスティックな彫刻家との違いは、機械としての機能も満足させられるかどぅか?とゆぅ点にかかっています。 いすゞ117クーペは、その繊細なピラーを実現する為に非常にムリな構造を取らざるを得ず、錆に対して無防備に近い部分が何箇所かありました。現在この様なデザインをすると、カーデザイナとしては2流です・・・・。 3.また、ピアッツァの元ネタであるショーモデル『アッソ』はボディのタンブル(車体側面の天地方向の丸み)が強すぎ、サイドウィンドゥがドライバの側頭部に接触するほど迫った、到底販売不可能なモノでした。当時のいすゞ開発陣はデザイン変更を迫りましたが、ジゥジアーロ氏はガンとして受け付けてくれません。しかし是が非でも販売に持ち込みたかったいすゞではデザインチームが努力を続け、オリジナルの美しさを損なわない見事な改良を加えました。 しかしそれを見たジゥジアーロ氏が一言「このアールを変更したら、それはワタシのデザインじゃない」・・・・勿論いすゞは、そのタカビーで量産車をバカにした態度に激怒し、そしていすゞ自動車とジゥジアーロ氏は長年の友好関係にピリオドを打ちました。 4.次にジゥジアーロ氏が訪れたのは群馬の呑龍工場、富士重工です。そこでカレは、事もあろぅに「いすゞはオレさまのデザインが理解出来ない田舎モン揃いだ」などと吹いて回りました(当時富士重の設計にいた友人に「ジゥジアーロがいすゞの事をクズだカスだと言いふらしているが、ナニがあったかウワサとか聞いてない?」と聞かれました)。 尚、カレが彼の地でデザインしたクルマは、富士重で記録に残る不人気車となった『アルシオーネSVX』だそぅです・・・・。 別にジゥジアーロ氏に限った事ではありませんが、デザイナとゆぅ人種と仕事をするのはホネが折れます。
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こんにちは。 #1です。再びお邪魔します。 #2さん、勉強になりました。 ひとこと追加させてください。 私の持ってる「ISUZU」の本には、 「1968年2月には生涯の同士を得、イタル・デザインと社名を代え・・・・」とあります。 当初よりなんかひっかかっておりましたが、宮川氏のことでしょうかね。 詳しくジウジアーロ氏を紹介しておきながら、たった一行だけで済まされております。 またなんか分かれば、お邪魔します。
お礼
たびたびありがとうございます。 >「1968年2月には生涯の同士を得、イタル・デザインと社名を代え・・・・」とあります。 >当初よりなんかひっかかっておりましたが、宮川氏のことでしょうかね。 また宮川氏との繋がりが・・・!? 「生涯の同士」っていうのは、おそらく宮川氏のことだと思います。 テレビを録画してなかったので、詳しい年月まで覚えてないんですが、「同士を得て社名を代え・・・」ということは、テレビの内容に合わせるとすると、宮川氏が設立したのはイタル・スタイリングで、ジウジアーロ氏が加わったことでイタルデザインと社名を変更したのかも・・・。 けど、一行ですまされているとは・・・。 また、何か分かったら是非おしえてください。 2月末に締め切ると書きましたが、延期することにしますので、みなさま、よろしくお願いします。
補足
最後の回答から2週間以上たちました。 何か些細なことでも分かったことがありましたら、また回答お願いします。 この後何も回答がなければ、3月10日で締め切ろうと思います。 よろしくお願いします。(2002/3/6 16:03)
こんにちは。 その通りだと思いますよ。ジウジアーロ氏は元はベルトーネのチーフデザイナーでした。 そこでは初代マツダ・ルーチェをデザインしました。 次に同じカロッツェリアにある、ギア社にトレードされました。そこでデザインされたのが、あの名車いすず117クーペです。 ただそこはトップが交代したこともあり、長く続かず、 独立して、イタル・スタイリングを設立します。 そして翌年1968年に社名をイタル・デザインと代えて今日に至ります。 イタル・デザインの最初の仕事がいすず117クーペの実現完成でした。 私は、117クーペ、ピアッツァ、アウディと乗ってきましたので、全て彼の手によるものばかりです。 尚彼が独立したのが30歳。私ら凡人とは違いますね。
お礼
回答、ありがとうございます。 ジウジアーロ氏がイタル・スタイリングを設立した、という説ですね。 やはりこれが通説なんでしょうか。 彼のデザインのセンスはすばらしいですね。 デザインの履歴(?)を見ると、感動すらおぼえます。 すばらしい才能ですよね。 それにしても、宮川秀之氏が彼をプロデュースしていたことは、あまり知られていないんでしょうか。 番組の内容の真偽(宮川夫妻がイタル・スタイリングを設立、ジウジアーロ氏をプロデュース)も気になります・・・。 どうもありがとうございました。
補足
他の方のお話しも聞いてみたいと待っているのですが、なかなかありませんね。 ジウジアーロ氏とイタルデザインについてご存知の方、なんでもいいので、教えてください。 2月末くらいまで待ってみようと思います。 それまで、質問の締切はもう少々お待ちください。 よろしくお願いします。 (2002/02/13)
お礼
回答ありがとうございます。 資料を持ってるのですね! やっと宮川氏とイタルデザインの繋がりが・・・! >出資した以上宮川氏がイタルデザインの大株主だったと考えられ、今日ジゥジアーロ氏がイタルデザインの代表となっているのは、その後株を買い取られたか、自身の出資比率を上げたのではないか?と思われます。 テレビでは、「宮川氏はイタルデザイン設立後、ジウジアーロ氏と出会い、彼をプロデュースすることに徹した」と言っていたので、宮川氏は設立したのは確かですが、代表ではなかったのかもしれません。 それで、ジウジアーロ氏がイタルデザインの顔になり、そこからいつの間にか「ジウジアーロ氏の事務所で、彼が設立した」というような話になっているのかも・・・。 余談ですが、現在、宮川氏は奥様とともに実践してきた「開かれた家族」の方に専念しておられるそうです。 4人の実子以外に、3人の養子(韓国・インド・イタリア人)と1人の里子(イタリア人)を育て上げたこともすごいと思いますが、今同じような考えを持つ4家族とともに農園を経営して、社会になじめない人たちを受け入れたりしているそうです。 宮川夫妻に感動しました。 話がずれましたが、ジウジアーロ氏の裏話もとても興味深く読まさせていただきました。 確かに、デザイナー(特にトップデザイナー)という人と仕事するのは大変かもしれませんね。 実際に形にする方々は苦労しているんでしょうね。