お返事が遅くなって済みませんでした。
yasutoさん状況説明ありがとうございました。
親身になって冷静な回答してくれる人がこんなにいて良かったと思っています。
私が事前に用意していたものより簡潔で良い回答も出ているようです。
国語力が無いので手間取ってしまいました。私が意とするところが伝わると良いのですが。
後でも触れますが「宗教討論では相手の方が格上です。」安易な対応は解決にならない可能性があります。対面対談形式で解決をする場合、どなたか(なるべく人生経験が豊富で家庭を持っている年上の方)に同席してもらうのが良いでしょう。事前にここに寄せられた数々の回答を見てもらいましょう。(安易に偏見に満ちた反論はしないようにお願いし)社会的常識の観点で見守ってもらい、状況に応じてコメントを出してもらいましょう。礼節を持ってyasutoさんの心情をお話しして、解決を目指すのが良いと思います。(ファミリーレストラン等の中立な場所で静かに話をするのがお勧めです。)
状況説明を見て、少し安心しました。最悪の状況では無いようですね。yasutoさん自身に何か問題があるのではなく、むしろ精神的・行動的に健全なかただと感じました。先輩ミュージシャンのかたも熱烈な勧誘をしたけれど、特に異常な行動も取っていないようですね。
>「一緒に戦おう」
の言葉には、先輩ミュージシャンが、「yasutoさんに幸せになってほしい。」という事と供に「yasutoさんは本当に信頼できる人、一緒に信仰できたら(yasutoさんだけでなく)自分ももっと幸せになる」という心情を感じます。
今回の「入信勧誘の問題」さえなければ、お二人の関係は理想的なものですね。
yasutoさんも「勧誘行為」を除けば先輩ミュージシャンの人格等(人物)を認めているようですし、先輩ミュージシャン自体が信仰を持っていることを否定しているわけでも無いようですね。
乱暴な言葉で絶縁宣言をしたり、強力な第三者に入ってもらい強行手段を用いて「入信勧誘」をやめさせたりすれば、“勧誘は無くなったけれど友人関係も終わる”と思います。これはyasutoさんの望む結末ではありませんね。
先輩ミュージシャンの所属している“都道府県の創価学会の会館”宛、あるいは“創価学会の本部”宛にyasutoさんの状況と心情を書面で送付してみてはどうでしょうか(創価学会の対応とこれに対する書面での返答を求めましょう。(ていねいに礼節を持って書きましょう))。創価学会はyasutoさんへ回答すると供に、上層部から「執拗な勧誘は良くない」というコメントが、先輩ミュージシャンおよび周囲(全国かもしれません)の創価学会員に通達されるはずです。もし何も変わらないようならば、「礼節をもって対応請求したこと」「社会的に信用できないこと」を先輩ミュージシャンに伝えましょう。
熱心な勧誘は緩むと思います。ときおり勧誘されてしまうことあるかもしれません。少々のことはガマンしましょう。ていねいにその都度お断りするしかありません。【数十年前は創価学会員個人の判断で、「本件より遥かに執拗な勧誘」が横行していました。現在は「そういう時代では無い、執拗な勧誘は好ましくない、むしろ逆効果なので止めよう」という考えを創価学会は持っているはずです。80年代頃に幹部が頻繁に発言しているはずです。その方針は変わっていないと思います。】
上層部への書面送付以外となれば、従来の方法しかありません。yasutoさんの心情を先輩ミュージシャンに再度告白して、理解してもらうのが良いですね。本当にどうにもなら無い場合は、最後に覚悟をきめて、
>やっぱり宗教抜きの関係が良いですね。すばらしい先輩ミュ-ジシャンとその後輩みたいな関係が良いです。でも本当に創価学会に入らないといけないのならその方と縁を切ります。
という気持ちをぶつけてみるべきかと思います。(簡単に説き伏せられてしまう程、弁舌の力に差があるのなら、心情を書いた手紙を渡すほうが良いかもしれません。)
todorokiさんの回答の
>その尊敬すべきミュージシャンも、手のひらを返したようなことはしないと思います。
>ただ、やはり自分の信仰をともにできない人間として距離を置くようになると思います。
>もちろん「僕も信仰します!」と心にもないことを言ったとしたら
>その方は間違いなく光の当たる場所に行けるように尽力してくれることでしょうが。
私も同感です。実際はこのようになると思います。
本当に絶縁状態なった場合、“少々冷却期間を取ってyasutoさんの心情を伝える”ということを繰り返すのが良いかと思います。ある程度関係は回復できると思います。
上手く行ってyasutoさんの希望する関係になっても、期間をおいて再度「入信勧誘」をしてくると思います。そのあたりは「信仰を持っている人」の『善意』『止むに止まない心情』と逆にyasutoさんが先輩ミュージシャンの心を理解してあげて欲しいとも思います。
最終手段としては
yasutoさん:「一生信仰を通して私(yasutoさん)を支えてくれる覚悟はあるのですか。」………という問い掛けもあります。本当にこれを実現するのは難しいです。科学的根拠はありません。引き下がる人もいます。
創価学会員:「覚悟があるから、入信しなさい。」「一緒に戦おう」………と返答する熱血漢もいます。
yasutoさんがその根拠の回答を求めれば、
創価学会員:「それを一生かけて証明するのが信心(信仰)だ、入信しなさい。」………と返してくるでしょう。
yasutoさん:「それを見極めるのは私(yasutoさん)にさせてください。今は先輩の生き様を外部から見つめさせてください。(今は判断できません。)」といってみる方法があります。
これは、一時凌ぎにしかなりません。定期的に勧誘はされるでしょう。また、宗教討論では相手の方が格上です。安易にこれを用いると話がこじれないとも限りません。鬼の首を取ったような態度は禁物です。また、これを越えた名回答を出された場合、防衛手段はありません。ただ言える事は、『創価学会の信仰の理論そのものを理解できたと仮定しても、「自分(yasutoさん)の心に「信じる心(信仰心)」が湧かないと出来ない。」』という根本原理でしょう。「心の中に疑いを持った信者を増やすのは間違いではないですか?」これが最後の砦です。『「信仰」から「信」を取ったら「仰」だけです。「創価学会は訳もわからず“拝むだけ”の宗教」ではないはずです。』
『「信仰を持つ」ということは「宗教哲学を基盤に懸命に生きること」。』と創価学会では考えているはずです。
『「何かにすがって、助けてもらおう」と考えるのではなく、「信仰を持つことで弱い心に負けず、個人個人が問題を解決したり、協力して大きな問題を解決して、社会全体の幸せを目指している」』と考えているはずです。
寄せられた回答や更にはyasutoさんの周囲の方の意見を参考にして、今後とるべき行動を考えてください。yasutoさんが純粋な気持ち(誠意)をもって接すれば現状より悪化することはないと思います。
最後は逃げ口上のようになってしまいました。申し訳ありません。
少しでもお力になれたら幸いです。
yasutoさんの幸せを祈っています。
余談ですが、創価学会員の多くの人は「信仰を持たない無神論者は何を基盤に生きているのでしょうか?」という疑問を心のどこかに持っているようです。何かの信仰(宗教)を持っている人と討論し入信させることは、相手の宗教の矛盾を突く理論で行なうので比較的に簡単なようです。無神論者は根本的に「信仰心」自体を待たなかったり、否定したりするので、一層熱心に勧誘するようです。また、「日本人特有のデタラメな宗教観(同一人物が初詣は神社、結婚式はキリスト教会、葬式はお寺といった行動など)」を目にしても心が燃えて熱心に説得勧誘をしたくなるようです。(現実として「世界から日本が信用・尊敬されない理由の一つが“日本人のデタラメな宗教観”だ」という国際学者がいるのも周知の事実ですね。)
お礼
熱いご回答ありがとうございます。次に会う時にこの話しが出たら誠意を持って話してみます。ご回答を寄せてくださった皆さんありがとうございました。