神仏への供養というと、なにかものすごく日常とかけ離れたことかと考えがちですが、仏教における供養法は、インドの接客作法を基準としています。
ですから、例えばあなたが誰かから歓待されているときに、相手が意図しない過失を犯したとします。その人は丁寧に謝罪しました。あなたはいつまでも攻め続けますか?
仏教における先祖供養は、故人の真実なる姿を「仏」と観ることです。それは供養する側の意識の高まりです。弘法大師の言葉ですが現代訳したものですが、
優れた医者は雑草から薬効を見つけ、鉱山技師は石ころを宝石を見る。そのものの価値を知っていることと、知らないことの差はいったい誰の責任か(自分自身の能力の問題ではないか)
と。先祖の成仏を願うのは、自身が高い心の意識を持って故人を、ひいては生きとし生けるすべてのものを仏を観ることです。
ですので、「先祖のたたりがある」とひたすら恐れるのは故人を化け物としてしか観ない心の意識。
自らの非礼をわび、今後このようなことが無いように反省するのは、故人を気高い存在と観る意識、その違いです。
ですので、あなたが大切な人になにか失礼なことをしたときに、心のそこからわびるときと同じようにしてください。
さて、仏前への茶の供養ですが、インドでは死者は香りを食べると考えます。で、朝は天人が食事をする時間。昼は仏が食事をする時間としています。ですので、朝にお茶・食事をお供えしたら昼過ぎには仏前から下げることを基本とすることをお知りおきください(これが基本ですから無理ないようにしていただいたら結構ですよ)。
なお、夕刻は畜生が、夜は餓鬼が食事をするとします。ですので仏飯やお供えした水・お茶などはできたら庭の隅や池などにおいて、鳥獣虫や目に見えない餓鬼へも供養してください。
お礼
仏様がお許しくださることを祈っています。おっしゃられるとおり、今日は長めにお祈りします。ありがとうございます