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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:氷点のいじめっぷり)
氷点のいじめっぷりについて
このQ&Aのポイント
- 三浦綾子さんの小説「氷点」を読んでいて、物語の終盤の夏枝の陽子へのいじめっぷりについて気になる点があります。
- 三浦綾子さんの自伝の中で祈りを捧げる場面があり、夏枝のいじわるっぷりは人の心の中のそのような部分を描き出していると感じますが、それ以上のどぎつさを感じるのは考えすぎでしょうか。
- 三浦綾子さんの他の作品では大衆ウケを狙う人とは思われないため、この小説が大衆受けを狙ったものかどうかについて皆様の意見を聞かせてください。
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noname#58330
回答No.1
時として人は、それほどまでに残酷になる ということではないでしょうか。 あと、三浦さんは信仰心の強い方ですが・・ 神の前での現状を考えたとき 反していたとしても「あるがまま」という事実。 犯罪はなくならないし、戦争もなくならない。 懺悔をして神に赦しを乞うことは出来るけれども 何かの罰が、果たして神から下されているのかどうか。 夏枝の行為が御心に沿うか沿わないかというより そういった「現実」というものを そのまま素直に書かれたのではないかな、と思います。 自分はクリスチャンではないため 信者という同じ目線に立って考えることは出来ませんが こんなとらえ方は、如何でしょう?
お礼
ありがとうございました!