自分の人生のこと
22歳の私立大学の英文科に通う大学生。ごくごく平凡で、少し変わっているのは、「鬱病」とは診断されていないが、欝になりやすいため抗欝剤を飲んでいて、時々授業に出れないことがある。
です。
前に比べれば欝になりやすい症状は軽減されたが、まだ気分の浮き沈みが激しいです。気分が晴れて症状のことを忘れられるのは、10年以上やっている「マジック(手品)」という趣味です。
テレビで凄いマジックを見てから、本格的に独学で勉強を始め、大学に入り街の近くに住んでから小さなプロやアマチュアのマジシャンの集まる団体に入り、マジックを見せるバーで一時期手品をしたり、ボランティアや商店街の商工会からお金をもらいショーをしています。
週末は商店街でストリートミュージシャンのように個人で手品を見てもらい、チップをもらったりショーの依頼を受けることもあります。「依頼を自分で受けて、ボランティアだろうが出演料を頂こうが、色んなところでマジシャンとして活躍したい」という高校の頃の野望(大げさですが)はいつの間にか叶いつつある状態になりました。
例えばカラオケに行くと「確か街でマジックしてる人ですよね?よく見ます!」と声をかけてもらったり、見てくれる方からは「絶対有名になってよ!応援してるから」と激励を頂いたりします。
今年はもう留年できないので頑張ってなんとか卒業し、まずは就職して、その傍らで時間を見つけ、マジシャンとして活動して、できればテレビに出たりマジシャンメインでやっていけたらなと思っています。
ただ、テレビなどで同世代の人たちが脚光を浴びているのを見て、非常に羨ましくなるのです。これは高校くらいの頃からですが、「自分の作った小説をもとにして、自分で出演したい」なんて、馬鹿なこと考えてました。小学校の頃に書いたかなり短い小説を両親に褒められてから、そもそも文章を書くのは好きだったので、途中で止まりますが時々小説を書くんです。引っ込み思案で恥ずかしがりやのくせに、「マジシャンもいいけど、俳優もいいなあ」なんて近頃は思います。
「子供の頃に児童劇団に入ってたらなあ」とか「ジュノンとかに出られる環境で、運がよかったら今頃俳優だったかも」と、理想と現実のギャップに対し、環境のせいにして回りの環境を恨んでしまうのです。「今頃俳優の学校になんて行けないし、そもそも前からマジシャンになりたかったんだ」と言い聞かせますが、時々、自分が何をしたいのか混乱するのです。気がつけば若いといえどもうすぐ23歳・・・。「歳を取るのは早いなあ」なんて・・・。
よく自分で自分を分析するんですが、「今の人生に対して高すぎる理想を求めてるから悩むんじゃないのか?だから認知がおかしくなって欝になりやすくて」と思ってるんです。「神経質になって悩みやすいのは頭のいい証拠だ」と言ってくれる人がいますが、「こんなことなら(いい意味で)バカになりたい」と感じます。
「隣の芝生が青い」のは、おかしなことなんでしょうか?もっともっと真剣に自分の今後の人生について、今のうちに考えないといけないんですよね? 「もっと早くに俳優になるチャンスが欲しかった」「都会に生まれてればマジシャンとしてもっと有利だったのに」とか、考えるのは甘えてるからでしょうか?それとも若者にはこういった僻みや羨ましさはつき物なのでしょうか?なんだか、色々ありすぎて気が狂いそうなことがあります。
ちなみに、心療内科には通っています(^^;)信頼できるいい先生もいます。
補足
すいません、書くときの具体例、忘れてました・・・・・。 ・共通点の例をここに書いて、その下に 相当する怪盗の名を複数名ここに 書いてください・・・・・・。 説明不足で申し訳ございません・・・・・・・・・。