水谷修先生がむかつく理由
水谷修先生は10代の頃から拝見してました。
私も家庭不和だったので、両親の愛みたいなものに憧れていて、メール送ろうかなと考えたり、とっても羨望する一方で「なんかむかつくな」って思ってました。さほど自問しなかったんですけど、最近ようやくその理由がわかりました。
10代にして薄々気づいていたんですけど、私はモテない・モテる努力をしようとすることもできない、だけど性欲がある人間だということです。
高校生の頃、いわゆる片親で非行にちょい走りぎみのギャルのような人達とはやはり相性が悪かったです。でも、そういう人達って彼氏持ちが多いですよね。クラスでのヒイラルキーも高かったり。そこに羨望を感じるものの自分は髪を染めたり、それっぽいファッションをしても顔のつくりからくる印象としゃべり方でどうしても、同類としてみてもらえない。水谷先生のドラマなどを見てても、女の子が薬物中毒だったりするのに彼氏がいる・・・。「それどういうこっちゃ!?。薬物中毒でも男はやりたい生き物だから寄ってくるって話かい不細工な女が薬中だったら、彼氏できるんかいな」なんて思いました。
性欲を満たしたくても普通の恋人はできない,作ろうと努力するのも面倒、顔が悪いからしても虚しいだけ。なんて考えで生きるしかない人間としては、両親の金銭に頼る形で性欲を発散しないとだめなんじゃないでしょうか?
10代の頃イライラしてて、両親も離婚するしないの勢い、借金はないものの家計は苦しい。そんな中、単純に水谷先生に相談してみたら、心は解決できるのかななんて思うこともありました。それに近い形を取って宗教に入ったりしましたが続きませんでした。
確かに、不細工でも積極的で頑張ってる男性はいます。僕もそれを見習ってがんばってた時期がありました。でもうまくいかないんです、常に整形したいと考えているし、それより家でゴロゴロしてテレビを見る時間がなくなっちゃうのが辛いです。元々、性格もおとなしいから、明るくふるまっても息切れするし。ですから、ワタシのようなタイプはある程度、両親が金持ちでその金を使って,風俗へ頻繁に行かせて貰ったりとかしないとダメなんでしょうね。そういう環境じゃないとイライラして自分のペースを作れない。ですから日時を決めてセックスだけしにいく性風俗産業が衰退してしまうと困ってしまうんですよね。
あんまり自分自身認めたくなかったんですけど、それはやせ我慢でした。売春を求めて群がる太って脂ぎったキモイ男性に自分はなりたくないというピュアさとの葛藤はありましたが、折れました。
それで、結局風俗とか荒れる少女が友達に売春させたりとかという社会の闇が存在しないと,僕はやっていけないんです。ですからニュースを見て売春を金で買っている男性に10代の頃からイライラしてました。自分はそういうところでしか性交のチャンスがないであろう人間であることを認めると同時に、性欲を発散している奴らが羨ましくて・・・・
だから、水谷先生が家庭環境が悪い女の子を風俗とかに流れる若い女の子を食い止めるようなことすると困るんですよね。今でも、家出少女を食い物にしている男性がいかに多いことか。そこで援助をしてもらえるのも、それなりにかわいい女子じゃないと無理じゃないですかね。そういうかわいい女子とセックスするには立場を利用して近づく他ないと思います。幸い私はこのまま実家暮らしをずっとしていけそうで、両親から分譲住宅を相続する程度の環境に生まれました。それでも現金は期待できません。でも、首の皮一枚で最低限の環境は整ったと感じています。1Kで一人暮らしをするより安い家賃料で同居人はいますが広い家に住めることは一生確定されていますので、この利点を生かして節約し、金で女を抱くことをせめてもの幸せとして生きていこうと思っています。
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もちろん、だれだって幸せになりたいです。非行に走る女子もそうでしょう、しかしそれと同時に僕らも僕らの行き方で幸せになりたいんです。そういう流れを止めたいなら、不細工な男子・非恋愛体質な男子を産まない・作らない努力もして欲しいって思うんですけど・・・。私も小さい頃はとっても純真でかわいい子だったんですよ?でもそ女子を年齢と同時にレイプをしてでまでセックスがしたくてしょうがなくなってしまうんです。本当は同級生やプライベートで知り合った女性とそこまでいければ良いですけど、現実は難しいし時間や労力が大変じゃないですか。若くしてそういう行為が出来ているやつらが本当に羨ましいですよ・・・。
ですから、反水谷修思想を持ってしまうンんですが、どう思われますか?
お礼
夜回り中のエピソードが書いてある本から読もうと思っていたのですが、一人の生徒さんとの交流が書かれた本もあるのですね!それは興味深いです。 普段、本を読まない私ですが、この機会にたくさんの本と触れ合いたいと思っています。 有難うございました。