- ベストアンサー
どうしても許すことができない
過去に自分を傷つけたり、傷つくようなことをされた人が、幸せそうに、楽しそうにしているのを見ると悔しくて、なんだか無念で気持ちが塞いでしまいます。もしかしたら彼らも変わったかもしれないし、私も悪かったとも思うのですが、どうしても幸せそうにしているが許せないんです。 あと、自分がされて嫌だったことを他人にもしたいと思ってしまいます。口で言っても他人はなかなかわかってくれないので、同じ思いをさせて自分の無念さや悔しさを分かってもらいたいと思ってしまいます。 もう大学生なのでもっと寛大になりたいのですが、なかなか許せません。どうすれば良いのでしょうか?
- みんなの回答 (13)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
- ベストアンサー
何も理性で、憎しみや恨みを抑える必要はないと思います。 他人への憎しみや恨みが収まらないという人に対して、 私はいつも「気の済むまで恨みなさい」とアドバイスし ます。 私自身、かつてそのような助言をもらったことで、とても救われたことがあるのです。 恨みや憎しみは、自然な感情なのですから、何もそれを 否定することはありません。 むしろそれらの醜い感情をまるで持ってないかのように、 「私は誰も恨んでません、私は心のきれいな人間」と 自分に嘘をつくことの方が、大きなしっぺ返しを食らう ことになります。 私もかつて、人にされた仕打ちにとても苦しみ、その人を 恨み、毎日どんな仕返しをしてやろうかと思っていました。とてもつらかったですよ。きっとその時の私は鬼の ような形相をしていたと思う(笑) でも、心理療法の先生に相談すると、こう言われたのです。「恨むのはいいことだよ。とことん恨みなさい。」 と。 それを聞いただけで、私の心はすーっと楽になりました。 そしてそれから毎日、とても前向きに(?)恨むことを 楽しみました。 するとどうなったと思いますか? 意外なほど早く(一ヶ月もしないうちに)、なんと恨むことに飽きてしまったのです。 恨んだり憎んだりという自分の中の醜い感情を、自分が 否定しないで肯定したからだと思います。 自分自身を肯定したとき、人間は楽になるのです。 楽になると、その恨み自体が、たいした意味を持たなくなるのです。 本当に自然に、「自分も悪かったなー」なんて気持ちに なれたんですよ。 他の回答者の方々の、とても殊勝なご意見も確かに素晴らしいと思います。 人を恨まず、自分自身の幸福を求める。それができるならば一番よいでしょう。 でも、人間、そんなに倫理や道徳や正論どおりにできるでしょうか。 醜い感情は、自然に沸いてくるもので、理性でどうにかなるものではありません。いえ、理性でどうにかしようとして、自分に嘘をつき、いい子ぶることの方が怖いことなのです。
その他の回答 (12)
- バグース(@bagus3)
- ベストアンサー率29% (1973/6719)
人を憎んだり恨んだりしているのは あなたの心です。あなたじゃありません。 心はあなたの持ち物にすぎません。 あなたの心が何を思おうが、あなた自身は ちっとも汚れたりしません。 放っておけばいいです。 眺めていれば、そのうち静まります。
お礼
回答ありがとうございます。 >放っておけばいいです。 眺めていれば、そのうち静まります。 時間が解決してくれるということですね。静かに眺めて、落ち着くのを待つのがいいかもしれませんね。
- monnkiti
- ベストアンサー率18% (54/285)
お気持ちは僕もわかります。 ですが、そのネガティブな感情の連鎖は決して誰も得しないように思います。 >で言っても他人はなかなかわかってくれないので、同じ思いをさせて自分の無念さや悔しさを分かってもらいたいと思ってしまいます。 そうすれば、その人も同じ事をあなたや誰かに、また同じ“嫌なこと”してしまうのではないでしょうか。 武田鉄矢の歌に「傷つけるよりも、傷つく方が良い」という歌詞がありました。昔は、「なにを、そんなこと!」と思っていましたが、最近は「なるほどなぁ」と思っています。 ともあれ、とっとと忘れて、その人より幸せになる方が建設的ではないだろうかと思います。
お礼
さっそくの回答ありがとうございます。 >ともあれ、とっとと忘れて、その人より幸せになる方が建設的ではないだろうかと思います。 そうですね。でも自分がどうすれば幸せになれるのかさえまだ見つかりません。苦しいです。
- 1
- 2
お礼
回答ありがとうございます。 他のみなさんとは相反する回答に驚きましたが、ずばり的を得ていると思います。 >意外なほど早く(一ヶ月もしないうちに)、なんと恨むことに飽きてしまったのです。 ちょっとやってみようかと思いました。