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モーツァルトのレクイエム、どの版がベスト?
以前アマチュア・オケでジュースマイヤー版を演奏しました。 クラリーノ・パート(トランペット)を吹いたのですが、 どうしても違和感がぬぐえませんでした。 (モーツァルト自身のオーケストレーションじゃないという 先入観がそう思わせたのかも…) 未完のこの曲には、他にもいろんな版があるとのこと。 結局どの版がベストなんでしょう? またプロの間で多く支持されているのは、 どの版なのでしょうか? なんかアンケートっぽくてすいません。
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こんにちは。 テナートロンボーンの「Tuba Mirum」で冷や汗をかいた経験がある者です。 ちなみに,私が演奏したのもジュスマイヤー版でした。 版がいくつもあるのは知っていましたが,実際の相違や成立の経緯についてはあまり詳しくはなかったので,まず,こちらで勉強しました。よろしければご参考に。 http://www.ne.jp/asahi/jurassic/page/talk/mozart/requiem.htm 上記サイトによると,バイヤー版が出たのが1971年ですから,それ以前の演奏家によるものは全部ジュスマイヤー版です。この頃の演奏が聴きたければ,他の選択肢はありません。 バイヤー版が出た時にはかなり注目を集めたようですが,結局ジュスマイヤー版を駆逐するまでにはいたらなかったようですね。その後のいくつかの版は,これらの亜種という捉え方でよいようです。 今後も,万が一モーツアルトの自筆譜でも出てこない限りは,どのような版が出てきたとしても,モーツアルトのオリジナルに近いという理論的な説得力を持たせる事はできず,感覚的にも,質問者さんのおっしゃるところの「先入観」は永遠にぬぐう事はできず,結局のところ,たとえ少々違和感はあるにせよ,モーツアルトの弟子であるジュスマイヤーが作った版が最も尊重される事は,自然な事ではないかと思います。 プロの間でどうか,という部分はよく分かりませんが,各オーケストラには自前の楽譜ライブラリがあるはずで,特に指揮者の指定がない限りはそれを使います。そういった場合は,ジュスマイヤー版である可能性が非常に高いと思います。 という訳で,ジュスマイヤー版がデファクトスタンダード(事実上の標準)だと,私も思います。 --- (余談) 特に意識して集めたわけではないのですが,家に3種類の版の演奏があります。 ジュスマイヤー版はベーム他数種,バイヤー版はアーノンクール(新録音の方),ランドン版はショルティ(ウィーンのステファン大聖堂での没後200年ミサのライヴ)です。 これらを聴いて感じるのは,版の違いよりも演奏家の違いの方がはるかに大きい,という事です。例えば,アーノンクールの演奏は通常のジュスマイヤー版の演奏とは相当違いますが,これはバイヤー版を使ったからではなくて,アーノンクールが演奏しているからだと思います。 版の選択というのは,表現する上での要素のひとつではあるけれども(特に,どういう立場で考えての演奏か,という意思表示にはなるでしょう),演奏そのものに決定的な影響を与えるものではないのかな,と個人的には思います。
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- ken1tar0u
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演奏会で使われるのはやはりジュスマイヤー版が一番多いでしょうが、その理由のひとつには、最近の版は補完者の著作権が切れていないので楽譜を借りるのにちょっと高くつく、というのがあるかもしれません。 個人的にはモーンダー版の「ラクリモーサ」に続く「アーメン」の二重フーガ(最初の16小節は30年ほど前に発見されたモーツァルトの自筆を利用)はなかなか好きです。
お礼
▼ご回答ありがとうございます。▼コンサートでジュスマイヤー版が多く使われるのは、おっしゃる通り、著作権の問題もからんでいると思います。私はジュスマイヤー版のポケットスコアを持っていますが、他の版は手に入りにくく、値段も高いようです。コンサートも商業的活動である以上、利益が重視されるのは仕方がないことです。でも、モーツァルトイヤーの今年は、版の問題に関心が高まり、いろいろな演奏に接するチャンスが増えるといい、と個人的には思います。▼私としては、レクイエムは「ラクリモザ」で終わってもおかしくないくらいに思っています。次の「ドミネ・イエズ」に違和感なくつながるようなフーガ、または、別の曲の挿入をモーツァルトならやってくれたのかも…と思うと残念です。▼長くなってすみません。
- Ta595
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#2で回答したものです。お礼ありがとうございました。 今回はご質問への回答,という事ではないのですが。 2/19(日),モーツアルトのレクイエムのコンサートを聴きに行ってきました。 (ティーレマン指揮/ミュンヘンフィルハーモニー管弦楽団) プログラムにジュスマイヤー版と明記してありました。(やはりトロンボーンは大変そうでした,笑) ドイツ系直系と目されているティーレマンがジュスマイヤー版を選んだ事は,その背景は不明ながらも,私には大変興味深く映りました。 演奏は,最近多い古楽的なアプローチとは無縁の,ベーム/VPOあたりを思わせる強固で重厚なもので,大変に素晴らしいものでした。間違いなく,私がこれまでに経験したコンサートの中でのone of the bestだと思います。 もちろんそれはジュスマイヤー版の優位性を示すものではないですが,少なくとも,ジュスマイヤー版を使った素晴らしい演奏は可能という事は,私にとっては紛れもない事実になりました。 (ティーレマンの音楽性との相性がよかった,というのはあるかもしれません) そして,それはバイヤー版でも,その他の版でも同様だと思います。 前回の回答の繰り返しになってしまいますが,それぞれの版には「特徴」があり,ある立場に立つ事で,それは「優劣」として判断しうるものになると思います。そういう意味で,版の選択とは,自分のよっている立場の表明なのでしょうね。 (モーツアルトとの同時代性を重視するのか,モーツアルト「らしい」オーケストレーションを重視するのか,モーツアルト以外の手による創作部分をできるだけ排除しようとするのか,等々) ただ,モーツアルトの真の意図は永遠に不明である以上,普遍的な優劣を与えることは,不可能なのだろうと思います。 そして,それぞれの版が音楽として命を与えられるかどうかは,やはり演奏家次第なのだと,今回の演奏を聴いて改めて思った次第です。
お礼
▼重ねてご回答いただきありがとうございます。ミュンヘン・フィルのコンサートとはいいですねぇ。地方在住でなかなかライヴに接する機会が得られない身としてはホントにうらやましいです。▼版の問題は、結局主観で判断するしかないのかも知れませんが、今後も新しい版が作られたり、これまでの版の取捨選択が行われるのかも知れませんね。ティーレマンの演奏も聴いてみたくなりました。
- mariateresia
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私は演奏したことはありませんが、手元にモーツァル ト直筆のファクシミリ版を持っています。 全部完成品です。 それはベーレンライター社から出版されているので、 これが一番モーツァルトに近いと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。私もポケット版のスコア(ジュースマイヤー版)を持ち合わせているのですが、これには、すべての楽句に(M)あるいは(S)と書き込まれていて、つい補作の問題に目が行ってしまいます(苦笑)。でも、もしかしたら「未完成」だからこそ憧れやロマンが生まれて、この曲を一層魅力的にしてるのかも知れませんね。
- miyamoza
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結構野次馬的興味があり、ジュスマイヤー版の他、バイヤー・モンダー・レビン・ドルース・バッド・フロツイスの各版のCD/LPを聴きました。自分も歌った経験もあり、ジュスマイヤーが一番よいと思います。音楽に詳しい方は、ジュスマイヤーがへたくそだとみそかすにいわれますが、彼が下手なりに汗をかいてやった仕事のおかげで今我々がこの名曲を聴けるのですから、感謝すべきと思います。音友社のスコアの別宮貞雄さんの解説は、「以下ジュスマイヤー加筆の部分には、ふれる必要はあるまい」でチョンです。ジュスマイヤーが加筆したということがわからなかってもこのように言えれば本当の音楽学者なのでしょうが、どうなのでしょう?。で、長くなりましたが、ジュスマイヤーです。
お礼
早速の回答ありがとうございます。 “Lacrimosa”はジュースマイヤーが大部分を補筆したらしいのですが、合唱のあとバセット・ホルンが一時の慰めのように奏でるメロディーはすごく好きです。“Amen”のフェルマータで終わるのもいいんですが、次の“Domine Jesus”で、我に返ってしまうというか、急に夢から覚めたような間の悪さを感るのは私だけでしょうか?
お礼
▼アマチュアでもあんなに詳しく調べておられる方がいるとは驚きです。ご紹介ありがとうございました。大変勉強になりました。▼「レクイエム」のトロンボーンはまさに出ずっぱりで、隣にいながら「大変だな~」と感心してました。▼アーノンクールとバーンスタインのバイヤー版は私も聴きました。どちらも個性的な演奏で版の問題を超越していると思います。とはいえ、バイヤー版を選んだのには、それなりの理由があってのことなのだと思います。様々な版の問題は将来もおそらく解決不能でしょうから、プロの方も自分の持つ曲のイメージとマッチした版を、オーケストラとも相談してチョイスされるのだと思います。▼故人であるフルトヴェングラーやワルター、ベームが現代に生きていたら、やはりジュースマイヤーの版を使うのでしょうか?